第555話
翌朝。
ここ最近の緊張感のある素振りに、シズクはにやにやしながら並んで入って来た。真剣で素振りをするマサヒデとカオルを見ても、全く動じていない。
もう、全然平気そうだ。
「・・・50」
ひゅぃん! ぴゅうん!
マサヒデとカオルの刀が、高い音を立てる。
1回、2回程度だったのが、今日の素振りで急に変わった。
うん、と2人が頷いて、納刀する。
「カオルさん。私、多分、掴みかけてます」
「私も、はっきり手応えを感じます」
「もうすぐ・・・ですかね」
「1ヶ月は必要なさそうです」
「ええ。やはり、無願想流にどこか似ているのを感じます」
「はい」
シズクも素振りを終えて、2人に顔を向け、
「私も何か掴んだ! もうビビりじゃなくなった!」
う! とマサヒデとカオルが顔を逸らす。
「う、うむ。そうですか!」
「良うございました!」
「さて、身体を・・・」
そそくさとマサヒデが井戸に向かう。
2人の態度を見て、シズクがカオルに胡乱な顔を向ける。
「何だ? カオル、お前ら、何か隠してるな」
「ええ。後で、ご主人様がお話になられます」
どき! とシズクの胸が鳴った。
まさか、一度ビビりになった者は必要ないとか・・・クビ?
「それって・・・まずい事?」
「ご主人様からお聞きになって下さい」
「な、何だよ。不安にさせるなよ」
「私の口からは。では、朝餉の支度に」
「おい、ちょっと」
手を伸ばしかけたシズクを避けて、ささっとカオルが逃げていく。
(まじかよ!)
どきどきしながら、シズクも井戸に向かうと、マサヒデが身体を拭きながら歩いて来る。
「待たせましたね」
「うん、大丈夫」
マサヒデの様子は変わらない。
だが、この男は、たまに平静な顔でとんでもない事を言う。
(大丈夫そうだけど、本当に大丈夫かな?)
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皆の前には膳が並べられていて、シズクが朝餉の膳につくと、マサヒデが手を合わせ、
「いただきます」
と、朝餉が始まった。
「そろそろ、朝も涼しくなりましたね」
「本当。過ごしやすくなってきました」
「もうすぐ、秋なんですね!」
皆は普通だ。
知っているのは、カオルだけか?
「シズクさん」
来た!
ごくっと口の中の物を飲み込んで、
「ん! 何かな」
「実は、貴方に謝らないといけないことがあります」
う! と皆がシズクから顔を逸らす。
あ、これは・・・
シズクはがっくりと肩を落とした。
鬼族の救世主様と居られるのも、もう最後か。
「昨晩の事ですが」
「うん」
「あの薬なんですけどね」
「うん」
ぷ! とクレールが吹き出した。
あれ? と顔を上げると、マサヒデがにやにやしている。
ん? ん? と皆を見ると、口を押さえ、肩を震わせている。
「な、何? 何なの?」
「あれ、実は・・・」
「え? あの薬、まずい奴だったの?」
「いえ。あれ、ただの片栗粉です」
「は?」
ぶは! とクレールが吹き出し、皆がげらげら笑い出した。
「ははは! あれ、薬なんかじゃなかったんですよ!
ただの片栗粉! お湯で溶かしただけ! あははは!」
「はあ?」
「ぷ! シズクさん、担がれたんですよ!」
「あははは!」
「う、うくく・・・あははは!」
シズクが呆然としていると、
「ははは! 貴方、あれ薬だと思い込んでただけです!
ただの片栗粉だったんですよ! ははははは!」
「え? 片栗粉? ああー! それで、それで変な感じしなかったのか!」
「そう!」
「それで、粘っこかったんだ!?」
「そうです!」
「だ、だ、騙したな! マサちゃん! 騙したのか!?」
「そうですよ! ははは!」
皆が怒るシズクを見て、げらげら笑う。
「て、てめえー!」
「ふふん。治ったでしょう?」
う、とシズクが片膝を立てた体勢で固まる。
「心の部分が、引っ込んでただけですからね。
簡単な思い込みでも、治るものです」
カオルが笑いながら目を逸らし、
「シズクさんは単純ですからね」
「ぷっ!」
「あーははは!」
マツとクレールがまた笑い出す。
「くっ、くっ、くそ!」
「ふふふ。でも、これで貴方はまたひとつ上に上がりました。
もう、攻防自在の動きが出来るようになりましたね」
ぎりぎりとシズクが歯を鳴らして、どすん、と座る。
マサヒデに鋭い目を向けながら、
「いいよ・・・怒って悪かったよ。悪い癖、治してくれたんだ」
「おや。今日は随分と物分かりが良いじゃないですか」
「・・・ふん」
シズクが、ち、と小さく舌打ちして、飯をかき込む。
「さて。シズクさんの悪い病が治ったところで・・・
皆さんに大事な話があります」
マサヒデが真面目な顔になる。
んん! とシズクがマサヒデを睨む。
「アルマダさんの所の騎士さん達が戻ったら、シュウサン道場に行こうかと」
「え?」「もう?」
拗ねていたシズクが驚いて、マサヒデを見る。
カオルも驚いている。
「ご主人様、あの振りを2000回出来てからと仰っておられましたが」
マサヒデは頷いて、
「私もそう考えていました。ですが、アルマダさんは得物の違いもあり、剣であの振りは数年かかると言っています。しかし、次はコヒョウエ先生も見に来て下さいます。さすがに何年も待って頂くのも、と」
カオルが膝を進め、
「ご主人様。私も2000回振れてから来い、と言っていたのだと思います。
追い返されてしまうのでは」
「それならそれで仕方ありません。
2000回、振れるようになってから、改めて訪ねるだけです」
カオルが少し下を向いて、
「次は先に報せを送れ、との仰せでした。
私が届けて参りますので、届けるついでに、その旨をお尋ねしましょう」
マサヒデは首を傾げ、
「すぐに返事がもらえますかね。
コヒョウエ先生は、ふらふらしているそうですし、居れば良いのですが」
「む、そうでしたね・・・では、居られましたら聞いてきます。
それで宜しいでしょうか」
「そうしましょう。待ってたら時間もかかります。
それと、マツさん、クレールさん、今回は一緒に行きませんか」
「私達もですか?」
「ええ。アルマダさんと稽古をした時みたいな感じで。
クレールさんは、消えなくても構いませんよ」
マツとクレールが顔を見合わせる。
良いのだろうか?
「ジロウさんも、純粋魔術師と戦った事はないでしょう。
あったとしても、貴方達2人ほどの者ではないはず。
コヒョウエ先生も、そうだと思います。きっと興味があるでしょう。
私からのコヒョウエ先生の礼だと思って、手を貸して下さいませんかね?」
「そういう事でしたら、私は構いませんよ」
「私も大丈夫です!」
マサヒデはにっこり笑って、2人に頭を下げ、
「ありがとうございます。
馬車でも良いですが、結構距離があるので、朝も暗いうちになります。
場所は分かっていますから、お二人の風の魔術で飛んで行きましょう」
「お任せ下さい」「はい!」
「では、朝餉を済ませたら、手紙を書きます。
騎士さん達は、今日、明日には戻ると思いますが・・・
余裕を持って、3日後。皆さん、如何」
「は!」
「楽しみだね!」
カオルとシズクに気合が入る。
「お土産はサン落雁ですね」
「ワインも持っていきましょう!」
マツとクレールはにっこり笑う。
この温度差に、マサヒデは思わず笑ってしまった。
「ふふふ。では、手紙を書きます。カオルさん、少し待ってて下さい」
「は!」
「おっと、ついでに、アルマダさんにも3日後と伝えてもらえますか。
あと、当日は風の魔術で飛んで行くので、こちらに来るようにと。
あ、時間、どうしましょうか?」
「昼過ぎで良いでしょう。我らも、軽く身体を温めておいた方が」
「そうしましょうか。では、書いてきます」
頷いて、マサヒデは執務室へ入って行った。