第533話
トミヤス道場前。
日は既に昇り、道場前で馬車を降りると、中からカゲミツの大きな声と、竹刀の音が聞こえてくる。
イマイがゆっくり回り、
「変な所ない?」
「ないです。私は」
ラディも回る。
「ないない」
「俺はどうだ」
ホルニも回る。
「大丈夫です」
よし! と襟を正し、3人が顔を合わせる。
「じゃあ」
行くか、というところで、門弟が出て来た。
門弟は、お? と一瞬だけ怪訝な顔をして、
「おはようございます。トミヤス道場に何か」
ホルニが前に出て、頭を下げ、
「おはようございます。
私、鍛冶師のホルニ。こちらは研師のイマイ。これは私の娘。
カゲミツ様にお目通り願えますでしょうか」
貴族にも見えなかったが、ああ、と門弟が納得した顔をする。
鍛冶師に研師。カゲミツの注文だろうか。
「稽古中ですが、構わないかと思います。どうぞ」
門弟が先に立って歩き出した。
ラディ達3人もぞろぞろと続く。
道場に向かって歩いて行き、竹刀の音、門弟達の声、カゲミツの声が大きくなってくる。
3人の緊張感も大きくなってくる。
やはり、聞こえてくるカゲミツの声が、パーティーの時とは雰囲気が違う。
「それでは、しばしここで」
ぺこりと頭を下げ、門弟が道場の玄関を開けて入って行く。
イマイがふう、と小さく息をついて、
「何か緊張感あるよね」
「ですな」「はい」
ホルニとラディが頷く。
「ちょっと懐かしいな。僕も道場に通ってたし」
イマイが目を細め、ゆっくりと周りを見回す。
少しして、
「こっち来てくれー! 縁側ー!」
と、カゲミツの大きな声。
3人は顔を合わせてから、もう一度襟を正し、縁側に回っていく。
カゲミツは縁側に立っていて、小さく手を上げ、にこにこと笑っている。
近付いて行くと、
「おはようさん! 来てくれたな!」
「「「おはようございます!」」」
びし! と3人が勢い良く頭を下げる。
カゲミツは苦笑して、
「そういうの良いから。まあ、座ってくれ」
どすん、とカゲミツが縁側に座り、おずおずとホルニ達が座る。
カゲミツは座った3人を横から見て、
「ははは! 何で礼服で来るんだ?」
と、笑い声を上げる。
笑うカゲミツにラディが顔を向けると、いつの間にか正座している門弟が目の端に見えた。気付けば竹刀の音もしない。
「カゲミツ様の道場を訪ねるのに、平服では」
「わーっはっはっは! 持ち上げられたもんだな! そんなに緊張したか!」
ばしばしとカゲミツが膝を叩く。
「皆、次からは平服で来てくれよ。そんな格好じゃ、動きづれえしよ」
「は」
小さく頭を下げて、ホルニがラディの方を向き、菓子折りを受け取って差し出す。イマイも懐から小箱を出す。
「こちら、手土産にと」
ははっと笑って、カゲミツは受け取り、
「菓子折りか? 悪いなあ」
イマイも小箱を差し出す。
「おっ? 何だいそれ。小さい箱には良い物があるって決まってるんだ」
「刀油です。私が作りました」
カゲミツが少し驚いて、
「ほう! あんたが作った刀油・・・ねえ。ふうん」
「使ったりとか、変な場所でなければ、1年は放って置いても持ちますので」
「そりゃすげえな・・・いくらで売ってる?」
「銀5枚です」
「ええ? 倍でも売れるぜ? たった銀5枚?」
「趣味のような物で」
ううん、とカゲミツが小さく唸り、小箱をしげしげと眺める。
「へーえ・・・たくさん作れば、あんたこれで生計立てられるぞ」
「材料は安いのですが、油が出ないもので、年に10本出来る程度ですから」
「年に10本! 貴重品じゃねえかよ・・・ありがたく使わせてもらうよ。
さて、じゃあ早速行こうぜ。だべってる時間も勿体ねえだろ」
菓子折りと小箱を抱え、カゲミツが立ち上がる。
すたすたと歩き出したカゲミツを、3人が慌てて立ち上がって付いていく。
途中で足を止めて、
「あの蔵だ。蔵の前で待っててくれ。鍵、取ってくるから」
「は」
カゲミツは本宅の方へ歩き出し、ホルニ、ラディ、イマイは蔵へ。
玉砂利を踏んで、じゃ、じゃ、と歩いて行く。
蔵の扉の前に立つと、3人が扉を見ながら息を飲む。
「ここにあるのか・・・」
「あるんだねえ・・・」
ホルニとイマイが扉を凝視する。
後ろでラディも喉を鳴らす。
胸を高鳴らせて待っていると、カゲミツが茣蓙を抱えて歩いて来た。
後ろに、アキが座布団と箱を持って付いてくる。
「おう、待たせたな」
茣蓙を立て掛けて鍵を開け、んっ、と小さな声を出して開けると、
「おおっ!」
と、ホルニが声を上げた。
イマイも、ラディも、口を開けて目を丸くしている。
蔵の一角に、山積みになった刀達。
箱に入っていない物も多い。
こんな置き方をしては拵えを痛めてしまう、と一瞬思ったが、さすがにこの量は、刀架に掛けて置くことも出来まい。箱に入れて積んだら崩れそうだ。
この安物の数打ちのように投げ出された刀が、全て銘刀・・・
マサヒデやカオルが言っていた通り、本当に山積みだ。
「よしっと」
カゲミツとアキが中に入り、刀の山の前で茣蓙を敷いて、座布団を置く。
アキが箱を置いて蓋を開けると、中には紙の山と刀油。
この紙で油を拭いて見てくれ、という気遣いだろう。
「ささ、どうぞ入ってくれ!」
「「「失礼します!」」」
ば! と頭を下げ、3人が中に入る。
カゲミツの前に立つと、
「悪いが、稽古中だからさ。俺は道場に戻るけど、好きなだけ見てってくれ。
昼も用意するから、飯時になったら本宅に来てくれよ。
あ、中には変なのも混じってるけど、大体はそれなりだから」
「ありがとうございます!」
「じゃ、ごゆっくりー!」
驚く3人を置いて、カゲミツはさっさと出て行ってしまった。
「もう・・・すぐにお茶をお持ちしますので、皆様、どうぞ」
「これは、お気遣いを」
ぺこりと頭を下げ、アキも出て行った。
少しして、3人が眉を寄せて腕を組む。
「とても1日で見終わる量じゃねえな・・・」
「はい・・・」
「1年かかっても無理そうだね・・・」
ゆっくりとホルニが近付いて、上の1本を取る。
鞘には鑑定書が巻いてあるが、まだ見ない。
すらりと引き抜いて、
「おお!」
と驚きの声を上げる。
ラディもイマイも、あっ、と声を上げて、ホルニの横に駆け寄り、ぴったりくっついてホルニの手の刀を見つめる。イマイが指を差して、
「これ、ここ映りだよね。間違いなく古刀だ。
末・・・じゃあ、ないかな。中期くらいかな」
ん? と顔を近付け、
「ほら、良く見て、これ。二重刃だ・・・」
む、とホルニとラディも顔を近付ける。
ゆっくりとホルニが鍔元から切先まで目を動かし、
「直刃に、小互の目、沸出来、沸も良く付いている。
む、小足も入っている」
ここ、とホルニが指差す。
「あ、ほんとだ・・・庵棟でしょ、直刃、小沸で、匂口は締まってる。
板目に、杢目、地景も入ってるし、映り・・・すごい肌だね、これ。
トヤマ風だけどさ・・・地金がちょっと粘り気あるから、南方の人かな」
「ううむ・・・これ1本で、今日1日が終わりそうですな」
「お父様、誰でしょう」
「見てみろ」
ホルニが鞘を見て、ラディが鞘に巻いてあった鑑定書を巻き取って、広げる。
「あっ! レンサイです・・・」
「む!」「やっぱり南方だったね」
ホルニとイマイがラディの方を見る。
「特保です」
「ううむ・・・レンサイか・・・」
魔の国との戦乱中期、南方の最前線で作刀をしていた刀匠だ。
元の名はヨシクニ、出家してレンサイ。
前線で作刀していたが、数打ち刀工ではない。
一本一本、丁寧に作られた、優れた作を多く残している。
ねっとりした柔らかく重厚な肌が、如何にも南方の鉄、という感じがする。
南方の大小貴族には、今でも先祖伝来、という作が多く残されている刀匠だ。
美術館でも、それらが貸し出され、よく展示される。
イマイが首を傾げて、
「これで特保? 重保じゃないんだ」
「重保の審査を受けていないだけでしょう・・・」
ホルニが登録証を覗き込んで、
「うむ、やはり古い鑑定書です。先々代の王の時代のか?」
「あ、そうっか・・・それで特保止まりか。今なら重保いくね」
「私も間違いなく重保と見ました」
「もう1回出せば良かったのにね」
イマイとホルニが頷く。
今は重要保存の審査が緩いのか?
ラディは少し首を傾げ、もう一度レンサイを見て、
「お父様」
「何だ」
「今なら重要保存になるというのは? 昔より基準が緩いのですか?」
ホルニは呆れた顔でラディを見て、
「昔は今と違って、保存、特保、重要、特重と、順番に1回1回審査をしなければならんかったから、鑑定は時間がかかった。その上、上の審査になるほど、審査の金額も上がるという仕組みだ。今は1回の鑑定で、これはここと格付けされるから、何度も送る必要も、金もそうかからん。知らんかったのか?」
「知りませんでした」
「お前、本当に刀好きなのか? 常識だぞ」
うんうん、とホルニとイマイが頷く。
苦い顔をして小さく俯くラディを見て、イマイが苦笑し、
「もっと見てたいけど、僕は別のを見ようか」
「あ、では、私も」
適当に上に乗った刀を取って、ラディとイマイが座布団に座り、
「えっ!?」「これは!?」
と、声を上げる。