第530話
職人街、ホルニ工房前。
「こんにちはー」
「む」「いらっしゃいませー」
カウンターの横の椅子に、ホルニが座っている。
マサヒデは笑顔を向けて、
「どうも。明日は道場に行く予定と聞きましたが」
うむ、とホルニが頷き、
「そうです。血湧き肉躍るとはこの事で」
「ははは! 血湧き肉躍るですか!」
後ろでラディの母もくすくす笑っている。
マサヒデはカウンターに立って、
「今日はこれを自慢しに来たんです」
と、カウンターに脇差を置いた。
「こちらは」
「あれ? 奥方様から聞いていませんか?」
「派手で綺麗な脇差だと」
くす、と小さく笑って、
「ええ、その通りです。贈り物に入っていたんですよ」
「拝見しても」
「どうぞ」
ホルニが脇差を取って、軽く頭を下げて抜く。
「おっ!」
「中々良いかなと思って、これは手元に置いておく事にしました」
「ううむ・・・中々という物では・・・」
「ははは! この程度では、猪の首は斬れませんからね。補欠です」
「・・・」
無言でホルニが脇差を見つめている。
ぱん! とラディの母がホルニの肩を叩き、
「あんた! 褒められてるよ!」
「は!? あ、これはありがとうございます」
「それ、夕方まで預かってもらって良いですか。
私、夕飯のおかずに釣りでもしてこようかと」
ホルニが眉を寄せながら、
「ありがとうございます・・・」
と、小声で礼を言う。
マサヒデはカウンターに稽古用の安物を置き、
「奥方様、こちらも預かってもらえますか」
「あら? こちらは」
は! とホルニが刀袋を見る。
マサヒデは笑って、
「これは何でもない、素振りに使うように買ってきた安物です。
金貨1枚の、安いモトカネの写し。
さすがにこれで素振りなんて、恐れ多くて出来ませんし」
これ、と、雲切丸の柄を、ぽん、と叩く。
なあんだ、とホルニが脇差に目を戻そうとした所で、
「カオルさんにも良さげな脇差が1本増えたので、また機会があれば」
お、とホルニが顔を向け、
「良さげな? どのような」
「地金の小沸が凄くて。多分、古刀かと思います。
あ、そう言えば銘を見てなかったですね」
「ほう」
「1尺3寸の平造で、湾れ乱れ。表に素剣、裏に二筋樋」
「ふむ。仮に古刀でなくとも、見間違う程の作と。
ううむ、そちらも是非拝見したいですな」
「カオルさんが持ってますから、いつでも魔術師協会に来て下さい。
では、私は一旦ここで。夕方に来ます」
「ありがとうございます」
「トミヤス様、いつもありがとうございます」
ホルニとラディの母が頭を下げる。
「こちらこそですよ。では、また後ほど」
くるっと振り返って、マサヒデが出て行った。
少しして、ホルニがカウンターの方を向き、
「おお、そうだそうだ。
ラディが昨日見れなかったって歯ぎしりしてたのは、これじゃないのか?」
「ふふふ。そうじゃないの?」
「あいつ、まだ寝てるのか? とっくに昼も過ぎてるぞ」
「魔術の稽古で、相当絞られたみたいだしねえ」
「さすがに起こしても良いだろ。
俺だけ見てたなんて、あいつ拗ねちまうしな。
引っ張って起こしてこい」
「はいはい」
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虎徹で船を借りて、川下の方へ下る。
夏の日差しで水面がきらきらと輝き、さらさらと川が流れる音。
風も心地よい。
「トミヤス様、この辺りが良うございます。
へへへ。実を言うと、ここはあたしが若え頃、さぼって釣りしてた所だ」
船頭が竹竿で「よいこら!」と船を川岸に押しやって、ひょいと縄を投げる。
竹竿を置き、ぎしっと音を立てて飛び降り、木に縄をくくりつけて止める。
「良い所を教えてくれて、ありがとうございます」
「お楽しみ下せえ。早くお帰りになりたくなったら、一声掛けて下さいまし」
「いや、時間一杯まで釣りますよ。釣り、好きですからね」
言いながら、借りてきた竿の糸の針に、餌を付けて、ひょいと放り込む。
船頭はごろんと寝転んで、
「トミヤス様ぁ若く見えますが、お歳は一体いくつで?」
「やっと16ですよ」
「16! まだそんな若僧、おっと失礼しました」
「ははは! その通りです。若僧で構いやしません。その上、職無しです」
ぐい、と引かれた竿をひょいと取る。
フナか。
針を外し、ぽちゃん、と川に投げ戻して、ひょいと竿を放る。
「お仕事してらっしゃらねえんで?」
「冒険者ギルドで、冒険者さん達に稽古をつける代わりに、飯を食わせてもらってます。後は、試合でもらった礼金を減らしてるだけです」
「へえ! あのいかつい冒険者達を相手にですか!
そんな細いお体で、よくもまあ!」
「まあ、これでも」
ぐぐっ!
「おっ!」「来た!」
しゅ。しゅ。ひょい。
マサヒデが軽く竿を左右に振って、くいっと上げると、びたん! とナマズが船板に落ちる。船頭が目を丸くして見ている。
「よし! 蒲焼だ!」
「や・・・お見事です」
魚籠に入ったナマズが暴れて、ごとんごとんと音を立てる。
「トミヤス様、そんなでけえもん、どうやって上げたんで?
ひょいと竿を動かしただけなのに」
マサヒデが餌を付けていた手を止め、不思議そうな顔で船頭を見て、
「どうやってって、見ての通り、引っ張っただけですが」
寝転んだ船頭が起き上がり、顔の前で手を振って、
「いやいやいや。こんなの、軽く引っ張っても上がるもんじゃねえ」
船頭が魚籠を持ち上げて、
「こんなに重いんだ。どうして上げられるんです?」
「どうしてって・・・」
マサヒデが「ええ?」と首を傾げて、
「食いつくと、魚が引っ張りますよね」
「引っ張りますね」
マサヒデが竿を置いて、左手を抱くように回し、
「で、こう向きを変えた時に、力の向きが変わるから」
くいっと右手で下から左手の指先を上げる。
「それを上に。そうすれば、勝手に上がりますよね」
船頭は胡乱な顔で首を傾げ、
「・・・いや、さっぱり分からねえ・・・
トミヤス様、きっと釣りの神様がついてらっしゃいますよ」
「ははは! 釣りを商売にするのも良さそうですね」
笑って、マサヒデがひょいと糸を垂れる。
「それもあれですかい? やっとうの心得ってやつで?」
「さあ・・・ああ、もしかして、そうかもしれません。
私の弟子に、カオルって人がいるんです。
カオルさん、餌も付けずに、針だけでひょいひょい釣りますよ」
「針だけで!? そいつぁすげえ!」
「驚いたことに、魚が食いつくのを待ったりしないんです。
針の上を魚が通る瞬間に、さっと上げるんですよ。
だから、上げると、腹とかエラとかに針が刺さってるんです」
「そりゃほんとですかい!? 見てみてえもんだ・・・」
「見てると、呆れて物も言えなくなりますよ」
「呆れて? 驚いての間違いでしょう?」
「それは勿論、最初だけは驚きましたけどね。
でも、あれでは、釣りの楽しみも何もあったもんじゃないですし。
ただ食い物をって感じで、何の味気もなくて」
「そのカオルさんってえお弟子さんこそ、釣りを商売にするべきですよ」
「ははは!」
ぐぐっと竿の先が沈む。
「おおっ!?」「またでけえ!」
ひょい。ひょい。
「おっ? やるな?」
ひょい。ひょい。しゅっ。マサヒデが竿を上げる。
ばしゃっと鈍い銀色の鯉が上がって、ばちん! と舟板に乗った。
びったん、びったん、と跳ね回る。
「うおっ! でけえ! こりゃでけえぜ!」
「ははは! どうですか!」
「いや、すげえもんだ! この調子でばんばん釣り上げて虎徹に持ってけば、船賃なんて軽く超えちまいますよ! こいつぁ、今夜のあらいになるかな?」
「あらいかあ。良いですねえ」
ひょいっと竿を投げる。
船頭が両手で鯉を引っ掴んで、魚籠に頭を突っ込む。
「なんてこった! 入り切らねえ!」
魚籠の口で、鯉の尾がぶんぶん振られ、魚籠が倒れそうになって、船頭が魚籠を抱える。鯉が暴れてナマズも暴れ、魚籠がぶんぶん振られる。
「うお、うお、すげえ! こりゃ活きが良い!」
「ははは! まだまだ釣りますよ!」
「トミヤス様、もう魚籠が一杯ですぜ!」
「たった2匹じゃないですか! ははは!」