第527話
魔術師協会、居間。
マサヒデとカオルはギルドの訓練場に向かった。
「はあー・・・」
と、大の字になったクレールが息をつく。
天井を見上げていると、すうーっと襖が開く音がして、マツが出て来た。
「クレールさん、甘いものでも食べましょう」
「はあい」
かちゃかちゃと小さな音がして、マツが盆に大盛りのまんじゅうを乗せて持ってくる。よいしょ、とクレールが身体を起こして、マツが座り、まんじゅうの皿を置いて、湯呑を差し出す。
「毎朝、こうなっちゃうんですかね・・・」
クレールがまんじゅうを取って、ぱくっとかじる。
マツもまんじゅうをかじって、床の間のタマゴを見る。
「毎朝あんな空気では、テルクニがタマゴの中でどうなってしまうか!
私、心配で心配で。将来、ぐれてしまわないかしら」
クレールもタマゴを見る。
「赤子って、そういう所に敏感だって言いますしね・・・
私達も、我慢出来るでしょうか・・・」
「もう少し、辛抱しましょう。マサヒデ様とカオルさんなら、きっとすぐに振れるようになります。でないと、私達、心労ではげてしまいますよ」
「はっ! 円形脱毛ですか!?」
「・・・」
マツが目を逸して、そっと髪に手を当てる。
「だ、黙らないで下さい! 不安です!」
「・・・なきにしも・・・」
ぼと、と食べかけのまんじゅうが、クレールの手から落ちる。
震えながら、髪に手を当てる。
「どっ・・・どうしま、しょう・・・」
かたかたとクレールが震える。
く! とマツが手を握り、
「どこかで心労を発散しましょう! 私達、人前に出られなくなりますよ!」
「そうです! どこで何をしましょう!?」
「考えましょう。楽しい事、楽しい事・・・」
むむむ、と2人が腕を組む。
はい! とクレールが手を上げる。
「イマイさんの所に、遊びに行きましょう!」
「却下!」
「なにゆえー!」
「研ぎは恐ろしく張り詰めているそうではありませんか!
見てたら、余計に心労が溜まりませんか!?」
「はっ! そ、そうかも・・・でも私は楽しいですけど」
「私は分からないです! だから却下! 別を考えましょう」
「はい!」
マツがまんじゅうを手に取って、もくもくと食べる。
クレールも食べる。
「そうです! クレールさん、馬達の所に行きませんか?」
「却下です!」
「どうして!?」
「黒嵐はお父様より怖いんです! マツ様は良くても、私は大変な事に!」
「ううん・・・」
「マツ様、別を考えましょう」
もぐもぐ・・・
ぴた! とクレールの手が止まる。
「はっ! マツ様! 良い事を思い付きました! きっとこれなら!」
「む! お聞かせ下さい」
「お昼はブリ=サンクに行きましょう!
レストランでケーキをいっぱい! お昼ごはんはスイーツです!
食後のティータイムは、ワインタイムにしてしまいましょう!」
「むっ・・・中々です・・・採用!」
「マツ様はそのままでも平気ですね! 私はホテルで着替えます!
マサヒデ様達が帰ってくる少し前に、出てしまいましょう!」
「そうしましょう! しかし、問題がひとつ」
「何でしょうか」
「毎日は行けませんよ」
ぽんぽん、とマツが腹の横を叩く。
「ん・・・んー! 確かに・・・」
くに、くに、とクレールが横腹で手を動かす。
「明日からどうするかは、食べながら考えましょう。
私は、急いで仕事を片付けて参ります」
「はい!」
元気よく返事をして、クレールがもちゃもちゃとまんじゅうを食べる。
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冒険者ギルド、訓練場。
ぽん・・・ぽん・・・
正座して並ぶ冒険者達の前で、マサヒデが手に竹刀を乗せる。
横に、竹刀を突き刺すように立て、柄に手を乗せたカオル。
(一体何があったんだ!?)
冒険者達が息を飲む。
昨日は、マサヒデとアルマダに全員が散々にのめされた。
2人共、基本的に寸止め一本で終わる。
当然、打ち込んでくる稽古もある。
だが、そういう時は、2人共「今日は打ち込む」と先に言う。
昨日の稽古では、何の言葉もなく、只々「次の方」と言うだけであった。
雰囲気も全然違う。
マサヒデもアルマダも、真剣ではあるが、ここまで威圧感を出す者ではない。
それが、今日はカオルまで・・・
「本日は」
びく、と全員が竦む。
「いや、昨日は、自分に手一杯で、皆さんを見る余裕がなくて・・・
とても稽古と言えるものではなく、申し訳ありませんでした」
普通はここでほっとする所だが、マサヒデとカオルの空気が凄すぎて、皆が飲まれている。
「今日は真面目に稽古をしましょう」
マサヒデはにこっと笑ったが、この雰囲気では、その笑顔が逆に恐ろしい。
おずおずと冒険者の1人が手を上げる。
「トミヤス先生」
「なんでしょう」
「何か、あったのですか。昨日はトミヤス先生も、ハワード様も、尋常の様子ではありませんでした。今もです」
おい! と冒険者達が目を向ける。
「今もですか」
マサヒデがじっと冒険者を見つめる。
「私で、何か力になれることは、ありますでしょうか。
もしかして、ご自身ではなく、お近くの方に何か問題など」
マサヒデとカオルが顔を合わせ、すうー・・・ふう・・・と、息をつく。
心なしか、柔らかくなった気がする。
マサヒデが首を振り、
「正直に申し上げます。今、私達は行き詰まっています。
この壁を越えられない限り、私達はこれ以上は大して伸びないでしょう。
私もアルマダさんもカオルさんも、皆、同じ壁にぶつかっています」
「・・・」
「これは自身でしか解決出来ない壁です。
昨日、まともな稽古にならなかったのは・・・八つ当たりと同じ事でした。
当たり散らすつもりは一切なかったのですが、結果そうなりましたから」
「カゲミツ様や、コヒョウエ様に助言などは」
マサヒデは首を振り、
「既に、解決方法は分かっているのです。ですが、手が届かない状態です。
つまりは、単に私達が未熟なだけです」
この人達が未熟で、分かっているのに手が届かない!?
もしかして、何か奥義の伝授のようなものか!?
ちらちらと冒険者達が目を合わせる。
そのようなものであれば、気合が入って当然だ。
この雰囲気も納得出来る。
「お心遣い、本当に感謝します。
皆様にも、ご心配をおかけしているようですね。申し訳ありません。
ですが、私達それぞれが、自身で解決するしかないのです。
ですので・・・」
マサヒデは質問してきた冒険者に頭を下げて、
「稽古を始めましょう。今まで通り、出来る限り、寸止めします。
皆さんのお仕事に、支障が出てはいけませんからね。
それでは、最初の方」
「はい!」
冒険者達が隣の者を小突いて、こそこそと話し出す。
(何か奥義とかかな)
(しかねえ。トミヤスさんが詰まるとかあり得ねえ)
(やべえよ。あの若さでトミヤス流の免許皆伝とかすんのか)
(こええけど、しばらく稽古は来ようぜ。やべえの見れるかも)
(だよな。剣聖誕生の瞬間に立ち会えるかもな。今日かもよ?)
(立ち会ってる時にさ、目の前で開眼とかしたらすげえぞ)
(私達っつってたよな。カオルさんもか)
(剣聖3人かよ)
(いやいや、最後あれだろ。3人のうち誰が、みてえな対決)
(まじかよ。うわ鳥肌きた)
(誰かな)
(トミヤス先生だろ)
(ハワード様じゃね)
(カオルさんあるぞ。トミヤスさん追い詰めてる時もある)
(いや。あれ、トミヤス先生、手ぇ抜いてたぞ)
(だな。こないだハワード様と立ち会ってたけど、完全に手玉に取られてた)
(じゃどっちだよ。すっげえ気になる)
「次の方」
マサヒデの静かな声。
ぎくっ!
「はははい!」
ば! と冒険者が立ち上がる。
「皆さん、昨日あんな感じだったので、不安になるのは分かります。
ですが、見るにもなるべく集中して下さい」
「申し訳ありません!」
冒険者達が胸を高鳴らせて、マサヒデとカオルを見る。
皆の目が「もしかして、ここでどちらか剣聖に!?」と期待に輝く。