第524話
からからから・・・
「只今戻りました」
「あ! おかえりなさいませ!」
クレールの元気な声。
上がろうとして、つっかけがあることに気付く。
ふと顔を上げると、居間の空気が引き締まっている。
(ラディさんか)
死霊術の授業を受けに来たのだ。
上がり框に足を掛けた所で、さらりと執務室の襖が開き、マツも出て来た。
すすす、とマサヒデの前に来て、手を付いて頭を下げる。
「おかえりなさいませ」
「ラディさんですか」
マツが笑顔を上げ、
「ふふふ。クレールさんたら、意外に厳しくて。
お茶をお出ししますから、ご覧になってて下さい」
「へえ・・・」
居間を覗くと、クレールとラディが差し向かいで座っている。
ラディを見るクレールに、随分と威圧感がある。
よ、と刀架に雲切丸とホルニの脇差を掛けると、
「もう一度」
「はい」
もう一度、というクレールの声が厳しい。
ほう? と2人から少し離れて座る。
ラディがぶつぶつと何か唱えると、前に置かれた懐紙の上に何か見えた。
小さな虫を召喚したのか。
膝を進めて見ようとすると、
「もう一度」
と声がして、何かが消えた。
「はい」
顔を近付けると、何か薄ぼんやりと小さな物が見える。
虫か? んん? と目を細めていると、すぐ消えてしまった。
「そこまで。一度休憩しましょう」
「はい」
ぐったりとラディが肩を落とす。
「お疲れのようですね」
「マサヒデさん」
ラディの顔がげっそりしている。
心労だろう。
「クレールさん。どうです」
「呼び出したい物の像が、上手く掴めていないだけです。
ラディさんは元々、集中力は人並み外れてあります。
こんな小さな虫では、魔力なんか使いません。
何度も繰り返して、感覚を掴むだけです。掴めればすぐです」
「へえ。素振りみたいですね」
「多分そういう感じです!」
マツが盆を持って入って来て、
「さ、お茶ですよ」
と、皆の前に湯呑とまんじゅうを置いていく。
ぱくぱくっとクレールが2口でまんじゅうを食べて、ずうーっと茶を啜る。
ラディは湯呑を持ったまま、口に運ぼうともしない。
マツがくすっと笑って、
「ラディさん。無理にでも甘い物を口にした方が良いですよ。
甘い物を食べると、頭が動くようになります」
「はい」
と、ラディが答えて、ちんみりとまんじゅうの皮を齧る。
マサヒデが笑って、
「ふふ。厳しいですか」
「平気です」
3人がラディのげんなりした顔を見て、くすくす笑う。
とても平気そうな顔には見えない。
そうだ。少し元気を出させてやるか。
「そうそう。ラディさん、新しい脇差が手に入りまして」
「ん」
ぴくりとラディの顔が少し上がって、マサヒデを見る。
よ、とマサヒデがヒロスケの脇差を刀架から取って、
「まずは、そのまんじゅうを食べて、手を綺麗にして下さいよ」
「あ、あ・・・はい」
ラディがばくばくっとまんじゅうを食べて、茶で流し込む。
くす、とマツとクレールが笑う。
「これなんです。贈り物の中に入っていたんですよ。
カオルさんも、これまた良いものを・・・」
半分くらい抜いた所で、
「ああーっ!」
と、ラディが声を上げて、脇差を指差す。
「濤瀾乱!? まさか、ヒロスケ!?」
マサヒデが一瞬だけ笑って、ふいっと横を向き、かく、と脇差を納める。
「おおっと、これは失礼しました。まだ授業中でしたね。
見るのは、授業が終わってからにしませんと」
「そんな!」
ぷ! とマツとクレールが吹き出す。
「ふふふ。授業が終わってからです」
「誰の作かだけでも!」
「見ればすぐ分かります。後で・・・あ、そうそう」
マサヒデが庭に目をやる。
茣蓙の上に、道場の蔵に送る刀がまだ置いてある。
「忘れる所でした。他にもあるんですよ」
縁側から庭に下りて、桐箱を抱えて、縁側に座る。
「これ、道場の蔵で預かってもらうので、すぐ出てってしまうんですけど」
ぱかっと蓋を開け、
「いやあ、良い出来なんですけどねえ。
ただ、細かい彫りがあって、ちょっと手入れが面倒かなって。
それで、蔵で預かってもらうんですが」
くるっとラディに背を向けて、見えないように抜く。
「これは一目で誰の作って分かります。いや、素晴らしい」
「く!」
「この拵えも良い。この柄巻。菱に狂いが全く見えない。
縁金具と鯉口の大きさが完璧です。いや、凄い拵えですよ、これ。
ラディさんにも、是非とも見て欲しいのですが・・・」
肩越しに顔だけラディに振り返り、
「見て欲しいのですが、授業が終わるまで、私も我慢します」
と、箱にしまって蓋を閉める。
マツとクレールが口を押さえている。
げっそりしていたラディの顔が赤くなっている。
「マサヒデさん!」
くるりとマサヒデが振り返り、
「今日は刀を見に来たんですか?」
「むっ」
「それならお見せしますが・・・
申し訳ありません。てっきり、死霊術の授業かと思ってました」
「く、く、く・・・」
「授業が全て終われば、刀工も見れるんでしょう。
さあ、クレールさん。お願いします」
げらげらとクレールが笑い出し、
「あははは! ラディさん! 頑張りましょう!」
「は、い・・・」
ラディが、き! とマサヒデを睨む。
マサヒデは笑顔でラディの視線を受けて、
「ははは! 元気が出ましたね。あんなにげっそりしてましたけど。
やはり、魔術というのは精神の部分が大事なんですね」
「そうですよ! ラディさん、死にそうな顔してましたよ!
元気出たじゃないですか! まだまだいけます!」
「む」
ぽん、とラディが頬に手を置く。
きりっとクレールの顔が引き締まり、笑いが消えて、
「では、もう一度ここに。
蟻がイメージしづらいなら、他の生物でも構いません」
「はい」
ぽ、と小さく虚ろな物が微かに浮かぶ。
ふう、とクレールが溜め息をつく。
「はっきりとした姿で呼び出せねば、はっきり見えません。
はっきりとした姿で。
最初の目標はこれです」
「はい」
「もう一度」
ぽ、と小さく虚ろな物が微かに浮かぶ。
クレールは無表情のまま「もう一度」と繰り返す。
ラディも真剣な顔で、懐紙を見つめたまま、蟻を呼び出す。