第522話
店員に目を認められた後は、査定は思いの外、早く進んでいった。
たまに執事が口を出し、
「どこどこの何々かと思いますが」
「これは失礼を」
などと言って、数字が書き直されたりする。
油断も隙もない。
馬車1台分が終わり、差し出された伝票を執事が鋭い目で見ていく。
頷いて笑顔を店員に向け、
「いや、偶然とは言え、良い店に入れて運が良うございました。
あと、馬車2台分ほどありますが、買い取って頂けましょうか」
店員が相変わらずにこにこしながら、
「品次第ですが、当店ではあと1台分も買い取れますかどうか。
それにしても、そんなに贈り物を頂きましたので?」
執事も笑顔を向け、
「トミヤス様はまだまだお若うございますが、顔は広く。
これもあのお人柄ゆえ、人徳というものでございましょうか」
「それ程の。いや、私もお近付きになりたいもので。
時に、トミヤス様の奥方様は、マツ様とクレール様でしたな。
お客様は・・・」
「トミヤス様のお許しで、クレール様にお付きしております」
カオルが心の中で頷く。
マサヒデからの許しを得て、クレール付き。
主筋はあくまでマサヒデ、マサヒデを舐めるなと言っているのだ。
店員が深く頷き、
「や、私も良い勉強をさせて頂きました。
よろしければ、もう1台分、見せて頂きたく思いますが」
「是非とも。この店は、実に良い店ですな。
では、もう1台運んで参りますので、お待ち下さいませ。
金はそちらの査定が終わりました時に」
「はい。お待ちしております」
笑顔の2人の会話を聞きながら、カオルが立ち上がる。
ここまでの伝票を、執事がさっと懐にしまい込む。
(やれやれ。どちらも油断も隙もないな)
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その頃、魔術師協会では。
「頭をお上げ下さいませ」
「は」
居間で、クレールとラディが向かい合っている。
「授業を始める前に、まずは一服致しましょう。
先日頂いた贈り物に、良い物があったんです」
「ありがとうございます」
クレールがにっこり笑って、台所に入って行く。
窓の外から、小さな声。
(仕事は終わっております)
こくん、と頷いて、クレールがティーポットを取る。
ぽ、と薪に小さな火をつけて、ほんのり風を入れ、湯を沸かす。
取り敢えず、仕事はちゃんと終わらせてきたようだ。
さて、今日の茶葉は何にしようか・・・
やはり、魔術の稽古前に飲むなら、アールグレイか。
いや、ラディはきっと逸っているから、ピーチにしよう。
もうすぐ沸騰、という所で、ポットに湯を入れる。
用意したカップに湯を注ぐ。
ポットとカップ、両方を温めておくのがコツ。
ポットの方の湯は戻して、沸騰させる。
このカップは銀なので、すぐに熱が飛ぶ。こっちの湯は戻さない。
金属製のカップは、ぎりぎりまで湯を入れておく。
よし。沸騰。
蓋を開けて、さらさらとポットに葉を入れる。
ちょい、と竈に指を向けると、すうっと火が消える。
ポットに湯を入れる。
ここで上品に静かにいれてはいけない。
ざばっと入れてもいけない。
跳ねない程度に、じゃーっと入れる。
これで葉が広がって、美味しく出来る。
この葉なら、3分くらいかな?
待つこと2分。
カップに入れたままの湯を捨てる。
綺麗に拭いて、盆に乗せ、居間に戻る。
ちょうどいい時間。
「お待たせしました」
紅茶を注ぐ。
ふわっと香るピーチの香り。大成功!
「さ、まずはこちらをお飲み下さい。
魔術の稽古にぴったりな、リラックス効果があります。
最初の一口目は、香りにゆっくりと集中して下さい」
「ありがとうございます」
す、とラディがカップに手を伸ばしかけ、ぴたっと止まった。
このカップ、相当の値がする!
細かな銀の細工。
カップの耳の一部だけ、陶器になっている。
金属はすぐ熱が伝わる。持っても熱くならないように作ってあるのだ。
茶器は和物洋物、どちらも分からないが、この作りは難しいはずだ。
間違いなく高い。
「いただきます」
止まった手をゆっくりと伸ばし、恐る恐るソーサーを取ろうとして、
「うっ!」
持ち上げようとして、また手が止まった。
カップに目が行っていたが、やはりこのソーサーも高い。
銀というのがまた厄介。
素人目では、割れないから良い、などと言われそうだが、銀は柔らかいのだ。
砂粒ひとつが指に付いていただけで、はっきり傷がつく事もある。
こんなカップでは、落ち着いて飲めない・・・
かた、と小さく音を立てて、クレールがソーサーにカップを置き、
「どうされました?
いただきます、と言いましたよね。
いただきます、と言ったからには、飲んでほしいのですが。
冷めてヌルくなってしまいましたか?」
「いえ。カップの出来の良さに、驚いてしまいまして」
ふ、とクレールが小さく笑って、
「ありがとうございます。
ラディさんの目に適って良かった。
恥ずかしながら、私が選んだ物でして・・・」
クレールがカップに目をやって、
「ふふ。私ったら、死霊術を学びたくないのか、と勘違いしてしまいました。
ふふふ。そんな事があるわけもないのに・・・」
ちら、と冷たい目でラディを見上げる。
「大変失礼致しました」
ぐいぃぃーっ!
「・・・」
かちゃり。
ラディがソーサーにカップを置く。
「・・・」
こん! と鹿威しの音が響く。
ちょちょちょ・・・と鹿威しに流れる水の音まで聞こえる。
クレールが無表情でラディの様子を見ている。
少し間を置いて、にこっと笑い、
「ふふふ。緊張するのも分かります。
でも、最初の一口目は、香りに集中して下さいね」
クレールがポットを取り、静かに新しい茶を注ぐ。
「さ、どうぞ。香りを楽しんで下さい」
「は・・・」
慎重にカップを取り、一口だけ口に入れる。
口に広がる、ピーチの香り。
ちらりとクレールを見ると、いつもと全然雰囲気が違う。
笑顔なのは変わりないが、威圧感がありすぎる。
これが、死霊術師。
目も、いつもの子供のようにきらきら輝いている目ではない。
目に表情がない。
だが、死人のようにぼーっとした目ではない。
何の表情もない目なのに、鋭くラディを見ている。
(見られている!)
私は、今、見定められている。
目の前にいるのは、普段のクレールではなく、一級の死霊術師。
ぞわっとラディの背中が何かが抜けていった。
この小さなお茶会で、既に試験が始まっている!