第493話
ホテル・ブリ=サンク、ロビー。
カゲミツはソファーに座り、ぐったりと背をもたれかけている。
口を半開きにして、天井を仰いでいる。
マサヒデがレストランから駆け出して来て、すぐにカゲミツを見つけた。
あれが父か?
あんなに腑抜けた父は、見た事がない。
足を止め、カゲミツを見る。
しばらくして、マサヒデはゆっくりと歩き出した。
カゲミツの対面に座って、上を向いているカゲミツに、小さく声を掛ける。
「父上」
「マサヒデ」
それきり、2人は黙ったまま。
レストランの中から、招待客達の声が聞こえる。
何かを話している声。
笑い声。
「父上が持っていて下さい」
カゲミツが軽く手を振り、
「いいさ。持ってけ」
マサヒデは首を振って、
「お忘れになりましたか」
「何を」
「守り刀の、魔神剣」
「何だっけか」
「私の手元には、置いておけないと。
マツさんも、分かっています。
どうせ、取りに行くことはありません」
「・・・」
「名義だけ、マツさんに変えてもらえば結構ですから」
ふ、とカゲミツが笑う。
「俺は金庫代わりってか。ふふふ」
なんと力のない声だろう。
放っておけば、数日でボケ老人になってしまいそうだ。
「ここで、しばらくお待ち下さい」
「ああ」
マサヒデは立ち上がって、レストランに入って行った。
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レストランの中を、くるくると見回す。
カオルが必要だ。
(どこだ)
すたすたと歩きながら、カオルを探す。
何度か声を掛けられたが「急いでいますので」と、さっさと歩いて行く。
壇上に上がり、見渡す。
カオルがいる。
壇上に上ったのに気付いたか、カオルもこちらを見ている。
頷くと、カオルがするすると壁際に行き、歩いて来る。
マサヒデも壇から下りて、人のいない壁際に行く。
カオルはにこにこしながら歩いて来て、招待客達を背にして立つ。
くるっと険しい顔に変わり、ささ、と目を左右に配らせ、
「何か危急の」
「クレールさんのナイフ、持ってきてもらえますか。急ぎで」
クレールのナイフ。魔剣の事だ。
何かあったのか?
「持っております。置きっ放しでは危険ですので」
「助かります。マツさんを呼んで来てもらえますか」
「は」
カオルが招待客達をするすると抜けていく。
しばらく待っていると、マツを連れて来た。
「マサヒデ様、なにか?」
「月斗魔神は流石に重すぎますから、別の物を頂きましょう」
「別の物と言いますと?」
「クレールさんのナイフ。父上はまだ気付いていませんから」
くす、とマツが笑う。
「ふふふ。それも良いですね。
お父上が無くなった事に気付いて、駆け込んで来る事もなくなります」
「では、父上の所に行きましょう。
あれを見てもらえば、賭けに十分な物だと分かりますよ」
カオルは知らないので、少し首を傾げる。
あれとは何だ?
「今ですか?」
マサヒデは渋い顔をして、溜め息をつき、
「父上、今、ロビーにいるんですけどね。
さっき見てきたんですが、放っておいたら、数日で老人になりそうです」
「うふふ。そんなにですか」
「ええ。マツさん、カオルさん。行きましょう」
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ロビー。
カゲミツはソファーに座り、呆けた顔で、天井を向いている。
マサヒデがナイフとフォークが数本乗った小皿を持って、カゲミツを指差し、
「見て下さい。あの通りです」
「あらあら」「ううむ」
マツとカオルが驚いたような、呆れたような顔でカゲミツを見る。
「行きましょう。このままでは、どんどん歳を食ってしまいますから」
「うふふ。そうですね」
すたすたと3人が歩いて行き、マサヒデが座る。
じゃら、と音を立てて、ナイフとフォークを乗せた皿を置く。
「父上」
「ああ」
「月斗魔神の代わりに、別の物を頂きます」
「息子に憐れみをかけられるとはな」
マツとカオルが顔を見合わせる。
これがあのカゲミツか?
全く声に力がない。
「父上の持ち物で、匹敵する物です。
これが嫌なら月斗魔神を頂きます。
ただし、絶対に怒らないと約束して下さい」
「はいはい」
ひらひらとカゲミツが手を振る。
「マツさん」
マツが頷くと、ぴん、と空気が変わり、周囲の音が消える。
ん、とカゲミツがマツに目を向ける。
「ん? なんだよ・・・」
「お父上、申し訳ありません。
誰にも、見られたくも、聞かれたくもないもので」
マサヒデが真剣な顔で、
「父上。絶対に怒らないで下さいよ」
カゲミツが少し怪訝な顔をして、
「あ? ああ」
「カオルさん。出して下さい」
「は」
カゲミツの前に、安物のナイフが置かれる。
最高の材質を使った、見た目だけは安物。
魔剣ラディスラヴァ。
「ん?」
「これを頂きます。ご確認下さい」
「はあ?」
「ご確認下さい」
「ああ・・・」
安っちいナイフ? なんだこれ?
と、カゲミツが手を伸ばしかけ、は! と手を止め、
「ああっ! これ!」
この感じは!? ぱ、と手を伸ばす。
もやもやと鞘から滲み出てくる、黒い霧。
カオルがにやりと笑い、
「カゲミツ様。私、カゲミツ様から1本『盗りました』」
「・・・」
ききき・・・と、カゲミツがゆっくりカオルを見上げる。
「ふふふ。この1本、いつかお返し頂きます。
お教えか、お刀か・・・ふふふ」
「てっ!」
ば! と立ち上がりかけたカゲミツに、マサヒデが手を上げ、
「父上!」
「なんだ!」
「怒らないとの約束です」
「く・・・そうかい! これが代わりってか!」
カゲミツがぼすん、とソファーに座り、魔剣を置く。
「父上。この魔剣の力、判明しました」
「ふん! 月斗魔神の代わりになるくらいか!」
マサヒデが頷いて、
「抜いて下さい」
「ち・・・」
言われるまま、カゲミツが魔剣を抜く。
「で! 何だ! 月斗魔神に匹敵するって、どんな力だ!」
マツがにやにや笑っている。
カオルはまだ知らないので、少し怪訝な顔をしている。
「では父上。集中して、月斗魔神の姿を正確に思い浮かべて下さい。
集中は切らさずに」
ぴく、とカゲミツの眉が動く。
「そういう事かよ・・・」
「まずはお試し下さい」
カゲミツが目を細めると、すっと黒い月斗魔神の姿が現れる。
手に温かみを感じる。
力まで再現してしまうのだ。
「くそ!」
マサヒデがナイフとフォークを取って、ひょいひょいと投げる。
真っ二つに斬れたナイフとフォークが、ちゃりんちゃりん、とテーブルに落ちて跳ね、カゲミツの足元に転がる。
何の抵抗もなく、金属がすっと斬れて落ちた。
「では父上。お立ちになって、試しに振ってみて下さい。ゆっくりと」
カゲミツが立ち上がり、横薙ぎに振る。
すすす・・・と剣の軌跡が残る。
真・月斗魔神の力のひとつ。
「おおっ!?」
カオルが驚いて声を上げた。
ただ形を再現出来る、というだけではなかったのだ。
調査の後、厳しく警戒しろ、と言われたのは、これだったのだ。
力まで再現してしまうのだ・・・
カゲミツが軽く跳んで振り下げる。
歪みが恐ろしい速さで飛んで行き、空間の壁で消える。
「こういう事か」
すっとカゲミツの手から黒い月斗魔神が消え、くるっと振り向き、ソファーに歩いて来て、ばすん! と乱暴に座った。
鞘を取って納める。
「父上。その魔剣には、まだあります。
その力を見た事のないラディさんでも、力を再現出来てしまいました」
姿さえ分かれば、誰でも、どんな力でも・・・
なんと恐ろしい魔剣か。
こく、とカオルが小さく喉を鳴らす。
魔剣や称号の剣のいくつかは、刀剣年鑑や図鑑の類でも見られる。
姿が分かれば、その全ての力を、この黒いナイフ1本で使えてしまうのだ。
「ふん! 確かに月斗魔神の代わりは十分だな!」
き! とカゲミツがカオルを睨む。
「見逃してやるよ」
「・・・」
言われてから、少し間を置いて、は! とカオルが驚きから立ち直る。
ふう、と息をついてから、カゲミツに笑顔を向けた。
「ふ、ふふふ・・・
はて、カゲミツ様。見逃す、とは? 1本取られた、では?
この1本、高くなりますが」
「ち!」
舌打ちして、ぷい! とカゲミツが横を向く。
くす、とマツが笑う。
ふ、とマサヒデも笑って、
「では、月斗魔神の代わりに、こちら頂きます。構いませんか?」
ちら、とカゲミツが魔剣を見る。
「お前、これ扱えるのか?」
「いいえ。握ると魔力が一気に満ちるので、そういう便利道具として使います。
魔王様の所に着いたら、封印してもらいます。
その時に、魔剣登録の申請もします」
「その方がいいな。見られたくない、聞かれたくない、か。納得だ」
カゲミツが魔剣を取って、マサヒデに放り投げる。
「この力、知ってる奴は」
「私、マツさん、アルマダさん、ラディさん。
父上とカオルさんは、今、知りました。
クレールさんとシズクさんは知りません」
「良し。こんな力、知ってる奴は、出来る限り少ない方が良い。
忍の連中も知らねえんだな」
「はい」
「気を付けろよ」
「はい」
「少しでもそれが狙われていると感じたら、大急ぎで俺の所に持って来い。
お前が来ても構わん。その時だけは、敷居を跨がせてやる」
「助かります」
マサヒデは立ち上がって、カゲミツに頭を下げ、カオルに魔剣を差し出す。
う、とカオルは一瞬固まったが、受け取ってさっと隠す。
マツを見て頷くと、ぴいん、と音がして、ざわめきが聞こえる。
「へっ、流石は魔王様の土産だ」
少し拗ねてしまったが、さっきのボケ老人手前からは立ち直った。
いつものカゲミツに戻った。
3人は軽く頭を下げて、会場に戻って行った。
「ふん・・・」
カゲミツが3人の背中を見ながら、ごん! とテーブルに蹴りを入れる。