第489話
ばたん。
マサヒデの後ろで、レストランの大きな扉が閉められた。
扉の向こうから、まだ拍手が聞こえてくる。
「ご主人様」
「なんでしょう」
カオルが入り口の横にある、白い布で仕切られた一角を見る。
「あの仕切りです。あそこでイマイ様が刀を見ておられまして」
「ああ」
あれだけ重い物を頭から尾まで両断したのだ。
カオルも、刀に瑕や欠けなどがないか、見てもらえ、と言いたいのだろう。
「ええ。見てもらうつもりです。それにしても、流石の斬れ味でしたよ。
ううむ、惚れ惚れしますね」
カオルが持っている雲切丸を見る。
カオルがマサヒデに顔を向け、
「どのような?」
「ううん、口では説明しづらいですけど・・・こう、振った時に、すっと入って、骨にも当たったんですが、すがっと言う感じで、後はそのまま、すがががっと」
カオルが変な顔をして、
「すが?」
「何と言うんでしょうかね。骨にもすっと入ったんですよ。
すっと入って、固い物を斬ったという、がっという感触が混じったような。
顎に当たって・・・背骨の横を通って、肋を斬りながら・・・
固いのに、抜けていくんですね」
「抜けていく・・・凄いですね」
「何の抵抗もなく、という物ではないです。
ちゃんと、固い物を斬ったという感触は、確かにあります。
頭から尻まで行きましたから、骨を通る度にその感触が伝わってくるんです。
でも、特に引っ掛かる事なく・・・ホルニさんの脇差以上ですね」
「ううむ・・・あの斬れ味、そこまででしたか」
「はい。あの手応えからして、大きな瑕や欠けはないと思います。
ですが、重いのが真正面から来た訳ですからね。
鞘に納めた感じ、何もないですけど、少し腰が伸びてしまったかも」
「分からない程度でしたら、寝かせておけば直りますね」
「ええ。後は、瑕や欠けとかの確認だけです。
イマイさんを待ちますか」
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ロビーのソファーに座って待っていると、レストランの扉が開いた。
お、と顔を上げて、
(う)
さっとマサヒデは顔を逸した。
入り口の周りに、門弟や招待客がびっしり集まっている。
(や、これはまずい)
目を逸しながら、
「カオルさん。どうしましょう」
「雲切丸はお任せ下さい。私がイマイ様に」
「それは冷たくないですか?」
ふう、とカオルは息をついて、
「ご主人様、この程度は腹を据えて下さい。
まだ日が沈んだばかりです。夜は長いですよ」
マサヒデが渋い顔をして、溜め息をつく。
「まだ呑まされてもいないではありませんか。
囲まれるのは、想定内でございましょう?」
かくん、とマサヒデが首を落とす。
「はあー・・・そうでした」
「ご武運を」
「はい」
うんざりした顔を見せないように、下を向いたまま立ち上がり、固い笑顔を見せながら歩いて行く。
「マサヒデ様!」「トミヤス様!」
皆の声がロビーに響く。
(あーあ・・・)
「いやあ、何と言うか、少しは楽しんで・・・頂けましたか?」
「凄かったですよ! まさか一太刀とは!」
「あれは一体何です!? あんな体勢で何故!?」
「虎殺しここにありですな!」
「竜でも斬れるのではありませんか!?」
わらわらと人が集まってくる。
これはとても相手に出来ない。
しかし、レストランの中に入れそうもない。
「やあ、何と言いますか・・・ええと、偶然です、偶然。
振った所に飛び込んで来てくれただけですから」
「ははは! マサヒデさん! ご冗談を!」
アルマダだ! 助かった!
「皆さん、偶然なんかじゃありませんよ。
マサヒデさん、跳び込んできてから、振ったじゃないですか。
私の目は誤魔化せませんよ」
やめてくれ!
「なんと!?」
「あの素早さが見えていたのですか!?」
おお! と皆が声を上げる。
アルマダがこちらを見て、にやっと笑う。
「そうですとも。マサヒデさんには見えていたんです。
でなければ、あんな体勢で斬る事なんて、出来はしません。
マサヒデさん、謙遜も過ぎると嫌味ですよ」
「やはり!」
「素晴らしい!」
「虎ごとき、余裕なんですね!」
皆の目が眩しい。
「ええ、まあ・・・その、何と言いますか・・・そのような」
「それにしても、良く虎を逃しませんでしたね?
あれ、完全に腰が引けてたじゃないですか」
「え? アルマダ様、どういう事です? 逃さなかった?」
門弟がアルマダに顔を向ける。
「気付かなかったんですか?
虎がじりじり後ろに下がってたでしょう。
あれ、飛び掛かる準備じゃなかったんですよ。逃げようとしてたんです」
「え!? という事は!?」
アルマダが上を向いて笑い声を上げ、
「ははは! あの虎、マサヒデさんには敵わないって、気付いてたんですよ!
野生動物の勘ってやつですね! だから、逃げようとしてたんです!」
うお!? と驚いて、皆がアルマダの顔を見る。
「では、では!? 向き合った時点で、もう勝敗は決まっていた!?」
アルマダがにこにこしながら頷く。
「そういう事です。虎が跳びかかる前、大きな声がしたでしょう」
「しました!」
「シズクさんですね!?」
「頑張れって!」
「あれに答えて、平気だ、って言って、ちらっと虎から顔を逸したでしょう?
逃げられたら見世物にならないから、わざと目を外して隙を作ったんです」
「虎相手に!?」
「誘ったという事ですか!?」
「そんな余裕が!?」
どんどん話が・・・
にこっとアルマダが笑って、マサヒデの方を向く。
「ですよね? マサヒデさん」
アルマダから目を逸し、我ながら固い笑いだ、と感じながら、笑顔を作り、
「ええーと、まあ・・・そのような、そうでないような」
うおおお! と皆が声を上げる。
「ははは! と、いう訳ですよ!
虎なんて、はなからマサヒデさんの相手になんかならないんです」
「すーげえー!」
皆がぐいぐいと押し寄せてくる。
(アルマダさん! 助けてくれるって言ってたのに!)
アルマダがにこにこと笑いながら、すたすたと歩いて来て、ぽん、とマサヒデの肩に手を置き、
(さ、逃げますよ)
と、小さく囁いて、
「皆さん、舞台を準備して下さいましたクレールさんに、お礼を申し上げに行きませんと! 通して下さいますか?」
「あ、ああー! そうでした! クレールさんに、急いでお礼を言わないと!
すみません! 通して頂けますか!」
「おお! これは失礼しました!」
「あの虎も凄かったな!」
「道場でも見たぞ!」
「熊も出せるらしいぞ!」
わやわや言いながら、皆が道を開ける。
ぽん、とマサヒデの背中が軽く叩かれ、
(早く)
「いやあ、申し訳ありません」
と、ぺこぺこしながら早足でレストランの中に入って行く。
群衆を通り過ぎて、こつん、とマサヒデがアルマダを肘でつつく。
「ちょっとアルマダさん、あれはないんじゃないですか?」
「良いんですよ。ああやって少し話してから逃げてしまえば、後はあの人達で勝手に盛り上がってしまいますから」
「な、なるほど?」
「さ、クレール様の所へ行きましょう。
それにしても、クレール様の死霊術はいつ見ても見事ですね」
「クレールさん、熊も出しますよ」
「本当ですか? それ、良い真剣の稽古になりますね。
死霊術なら、汚れも付かないですし」
「ですけど、さすがに熊はちょっと。得物が傷んでしまいますよ」
「ううむ・・・確かに・・・」
「真剣の稽古なら、面白いのを思い付きました。
さっき、豆つまんでて、ふっと思い付いたんです」
「ほう?」
マサヒデが下から軽く腕を上げる。
「こう、ひょいっと豆を投げてもらってですね」
アルマダが軽く手刀を下げる。
「斬る」
「そうです」
うん? とアルマダが首を傾げて、
「正確性は鍛錬されると思いますが、実戦に使えるかとなると」
「そこはおまけです。一振りの集中力。鍛えるのはここです」
「ああ、なるほど。それ良いですね・・・」
「ひょひょいっと、いくつか・・・」
パーティーでも剣の話をしながら、剣友2人は歩いて行く。