第488話
「ご来場のぉーッ! 皆様ーッ!」
壇上から給仕が大きな声を上げる。
何だ? と招待客達が壇上を見上げる。
「これより! マサヒデ=トミヤス様! クレール=トミヤス様!
お二方による! ショーが行われます!」
おお! と、声と拍手が上がる。
「皆様! これより、花道を作ります!
入り口から壇上まで、広めにお開け下さい! ご協力をお願いします!」
ざわざわしながら、招待客達が真ん中から下がる。
給仕が早足で歩きながら、たんたんたん・・・と棒を立てて行き、上にロープが張られる。
入り口の騎士が一歩出て剣を上げると、会場が暗くなり、通路に光が当たる。
「クレール=トミヤス様! ご入場!」
ぎいい・・・
べたんべたん、べたんべたん・・・
重い音。
「うわ!?」
入り口近くの誰かが声を上げた。
ゆっくりと、暗闇から虎が顔を出す。
「・・・」
皆が顔を青くして、虎を凝視している。
その背中に、にこにこしたクレールが横座りに乗って、手を降っている。
「あははは!」
シズクの大きな笑い声が会場に響き、皆がはっとして、肩の力を抜く。
これはショーだ。危険はない。多分。
皆が『多分』と少し不安に思いながら、ゆっくり歩いて行く虎を見つめる。
少しして、ぱちぱち、と小さな拍手が上がり、拍手がどんどん大きくなる。
(やったー!)
喜びに大声を上げそうになりながら、クレールが虎に乗って壇上に上がる。
ヒールに気を付けて、すとんと滑り降りて、よしよし、と虎の頭を撫でる。
クレールが給仕の方を見て頷くと、
「マサヒデ=トミヤス様! ご入場!」
どーん! どん! どんどんどんどん・・・どどん!
と、大きな太鼓の音が響き、マサヒデが無表情で入ってくる。
後ろに、雲切丸を立てて持ったカオルが付いてくる。
カオルは太刀持ち役だ。
(クレールさん、勘弁して下さいよ)
心の中で文句を言いながら、ゆっくり歩いて壇上へ向かう。
壇上に上がると、カオルが隅で足を止めて、雲切丸を立てたまま正座。
ふ、とカオルが小さく息をつく音が、マサヒデの背中越しに聞こえた。
(やれやれ)
カオルも顔には出ていないようだが、呆れてしまっているようだ。
前には、赤いドレスに着替えたクレールが、にこにこしている。
ふう、とマサヒデも息をついて、虎を挟んでクレールの反対側に立つ。
「マサヒデ様」
クレールが小さな声で呼ぶ。
ん、とクレールの方を見ると、無邪気な笑顔。
ぺったり腹をつけている虎の背中を「ぽすぽす」と小さな手で叩き、
「どうですか?」
「お見事です」
「えへへへー」
クレールが給仕に向かって頷く。
給仕もにっこり笑って頷き、
「それでは! これより、マサヒデ=トミヤス様の虎退治! ご覧頂きます!
なんとこの虎、クレール様の死霊術で使役されております!
ご覧の通り! 生きた虎と遜色なし!」
おおー! ぱちぱちぱち!
満場の歓声と拍手。
「クレール様がこの壇上を降りましたら・・・」
言葉を切ると、会場が静まる。
「クレール様は、この虎の使役を中止! 虎は野生に戻ります!
相対するは、300人抜きのマサヒデ=トミヤス様!
今宵! このパーティーでッ! 虎殺しが誕生するーッ!
新たな伝説がッ! ここにッ! 産声を上げようとしているーッ!」
給仕が拳を上げ、うおおー! と大歓声が上がる。
(そんなに煽らないで下さいよ)
ちら、と給仕を見ると、給仕は興奮して顔を赤くしている。
ふう、と息をつくと、くるっと給仕がマサヒデの方を向き、
「トミヤス様! ご準備を!」
「はあ」
生返事をして、カオルの所に歩いて行く。
カオルが小さな声で、
「客を楽しませるのも、主催者のお役目ですから」
と言って、ふう、と溜め息をついた。
「やりすぎですよね」
「クレール様も仕方ありませんね」
カオルが立てて持っている雲切丸の柄を握り、すらりと抜く。
そのまますたすたと歩いて行き、虎から一歩離れて立つ。
顔だけ給仕の方に向けて、
「良いですよ」
「え」
虎は目の前ではないか。
腕を振られたら吹き飛ぶ。
「もう準備出来ました。
ああっと・・・そうですね、念の為、カオルさんの隣に。
そこの、私の刀持って来た人です」
「・・・」
大丈夫なのか?
全然やる気を感じられない。
この人にとって、虎はその程度の相手なのか?
マサヒデは片手で刀をぶら下げたまま、くい、くい、と首を左右に軽く倒し、肩に手を当てて、くるっと回す。
「では・・・」
こくっと喉を鳴らして、給仕がカオルの横まで下がる。
マサヒデは小さく苦笑して、
「じゃ、クレールさん、さっさと終わらせましょう。
私、まだ皿に盛ったやつ、食べてないんですよ」
(やる気なーい!)
かくん、とクレールが肩を落とす。
「もう少しやる気出して下さいよ・・・」
「出してますって。ほら、脱力ですから。武術に大事」
(これ絶対嘘だ!)
クレールが一瞬だけ、むん! として、ぱっと表情を変え、にこにこしながら手を振って壇上を降りる。
マサヒデは給仕の方に顔を向け、
「いつでも良いので、適当に合図下さい」
「・・・では」
と、給仕は声を飲み込み、ぐっと腹に力を込めて、
「勝負開始ーッ!」
壇の下で、クレールがくるっと手を振ると、ぺったりと寝転がっていた虎が、ぴくっと反応して、ぱ! とマサヒデから離れた。
すっとマサヒデが両手で雲切丸を持つ。
一見、虎はぴたりと頭を下げて、今にも飛びかかって来そうだが・・・
しん、と会場が静まる。
じり、じり、と少しずつ虎が下がって行く。
(服に気を付けないとな)
などと考えていると、またじりっと虎が下がる。
これはいけない。このままでは、逃げそうだ。
「マーサちゃーん! がんばれー! あははは!」
静まり返った会場に、シズクの声。
「平気ですよー」
声の方に向くと、虎が「ぱ!」と飛びかかって来た。
地に付きそうな程に身を屈めながら前に出て、剣先を尻から目の前の床まで。
こんな振り方は、無願想流でなければ出来なかった。
屈んだ頭から背中の上を虎が跳んで行く。
(おお!)
すがん、という感触。斬れた。流石の斬れ味。
撫で斬ったのではなく、しっかり骨まで斬れた。
我ながら、これは良い手応え。
この手応えなら、刃も傷んでいないだろうし、大きな瑕も付くまい。
反りでだろうか、刃が通っていく時、ほんの少し虎が上に上がった感触。
自分も少し下に押された。
良い手応えを感じながら、勢いをそのままに、くいっと背を反らす。
その勢いで立ち上がりつつ、逆足を出して、ぴたり。
(うむ!)
無願想流で低く深く飛び込みながら斬り、カオルの斬り上げの動きで止まる。
これは上手く行った。
後ろの虎が、着地した勢いで、左右半身がずれて、右半身が前にすっとぶ。
すっとびながら、すうーっと消える。
左半身も倒立したような形になって、前に倒れながらすうっと消えた。
ちらっと雲切丸を見る。
死霊術だから、血は付いていない。
すたすたとカオルの所に歩いて行って、雲切丸を納める。
鞘に納めた感じ、腰は伸びていなさそうだ。
だが、重い物が飛び込んで来たのを斬ったから、少し不安がある。
ちらっと見た所には分からなかったが、瑕はついたかもしれない。
念の為、イマイに見てもらおう。
「終わりましたよ。
あ、しまった。挨拶とかいります? 考えてないな・・・」
給仕が目を丸くしてマサヒデを見ている。
「・・・」
「どうしました?」
カオルがマサヒデを見上げ、
「ご主人様。挨拶はお任せしましょう」
「そうですね。では、お願いします」
マサヒデが軽く頭を下げる。
カオルも立ち上がって、
「ご主人様、これは見世物です。
こういう時は、ご覧の皆様にも礼を」
「あ。ですよね」
会場の方を見て、深く頭を下げ、とん、とん、とん、と壇上を降りる。
降りた所で足を止めて、
(このまま食べに行っても良いですかね)
(ご主人様、それはさすがに。ちゃんと入り口まで)
暗い会場が、しん、としている。
しまった。もう少し、飛んだり跳ねたりした方が良かっただろうか。
「ははは! もう少し盛り上げろよ! 見世物なんだぜ!」
カゲミツの声が響く。
「ははは!」「あははは!」
アルマダとシズクの笑い声が響く。
「もっと動かねえと! いくらなんでも、一太刀じゃあなあ! ははは!」
一太刀!
わっと声が上がり、会場が拍手で包まれた。
マサヒデは顔を赤くして、少しだけ俯き加減で入り口を出て行った。
入り口両側の騎士が、兜の向こうの目を丸くして、マサヒデを見送る。