第487話
日が沈み、ホテルの外が暗闇に包まれる。
すす、と執事がクレールの横に立ち、口を耳に近付け、
「クレール様」
お、とクレールが窓に顔を向ける。
こくんと頷いて、
「皆様、申し訳ありません。少し席を外します。
ふふ、泣いてしまいましたから、お化粧を直しに」
と、にっこり笑って、執事と共に静かに会場を出て行った。
マツもちら、と窓に目をやって、くす、と笑う。
(うふふ。お着替えですか?)
イブニングドレスに着替えてくるのだ。
出発前の、クレールの顔!
くす、とマツが笑いを漏らす。
アフタヌーンドレスで、あんなにレースの着いたドレスは、普通は選ばない。
マツが派手な物を選ぶと分かっていて、ぎりぎりの線を、と選んだつもりだったのだろう。
(さすがに攻めすぎちゃったかしら?)
ちら、と自分のドレスに目をやる。
きっと派手な物になるだろう。
白はマツと被ってしまうし、やはりレイシクランの赤かな?
それとも、ドレスは暗めの色で、アクセサリーで攻めてくるかな?
黒は先程と被ってしまうから・・・
ワインレッド辺りで、金のアクセサリーかな?
石は何を選んでくるかな?
クレールはセンスが良いから、楽しみだ。
この暑い季節、ばっちり背中が開いた物を選ぶだろう。
(うふふ・・・)
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クレールの部屋。
「ふん!」
ぽい! と選んでおいたドレスを投げた。
さ、と後ろの執事が腕を出し、投げられたドレスが腕にさらっとかかる。
「うんぬぬぬ・・・」
きりきりきり・・・
クレールが拳を握る。
「ええい! もう!」
壁に並んだメイドが口の端をほんの少しだけ上げる。
「むん! むん!」
鼻息荒くドレッサーまで歩いて行き、ぴしーん! と開ける。
「く・・・」
「クレール様。どれを選んでも、マツ様を食ってしまう事はありますまい。
色が被らねば、どんな物でも構わないかと」
「そんな事は分かっています! ええい!」
どれを選んでも!
とっておきの一着を手に取り、ふるふると震える。
これで負けてしまうとは!
隣のドレッサーを開けると、全面にアクセサリーが並ぶ。
ぱし! ぱし! ぱし!
ヘッドドレス。ネックレス。指輪。
全部とっておき。
「うくく・・・」
アクセサリー! ドレス!
とっておきで合わせても・・・負ける!
「お化粧をお直しましょう」
「む・・・そうですね・・・」
若き日の魔王の話を聞いて、ぼろぼろ泣いてしまった。
化粧も直さねば。
化粧台の前に座ると、ささっとメイドが寄って来て、化粧を直しだす。
す、と執事が横に立ち、
「ふふふ。クレール様、ドレスで勝てずとも、他で勝てば良いのです」
ちらり。
化粧中なので、目で返事。
「皆様に、何か余興でもお出しするのは如何でしょう」
余興?
「クレール様は、死霊術に関しては、マツ様より上ではございませんか」
「・・・」
「皆様に、何かお見せするのは如何です。
それをカゲミツ様やマサヒデ様に退治して頂く。
これなど、面白うございましょう」
すい、とメイドが口紅を拭いて、化粧直し終了。
確認。ドレスに合わせて、ちゃんと色も変えてある。良し。
「ですが、退治して頂くほどの物では、危険がありますね」
「壇上でお見せするのは如何です」
ちょいと首を傾げる。
「ううん・・・お父様では、竜くらい呼び出さないと、無理ですよね。
熊でも象でも、一太刀で終わりそうです。余興にもなりませんね・・・
ここはマサヒデ様にお手伝いして頂きましょうか?
虎あたりで、虎殺しマサヒデ! なんて」
「ほほう! マサヒデ様に、また勇ましい異名が付きますな。
300人抜きに、虎殺しですか」
執事が顎に手を当てて、
「む、お待ち下さい。虎・・・虎は映えますな・・・」
むむむ・・・と執事が小さく唸り、ぽん、と手を叩く。
「おお! クレール様、良い事を思い付きましたぞ!
会場に、虎に乗って入って行くなど如何でしょうか!
これには、皆様、腰を度肝を抜かしましょう?」
「あ! それ良いですね!」
「そのまま壇上に上がりまして・・・マサヒデ様が退治、と」
「うんうん! 面白そうです!」
「では、報せを送り、急ぎ余興の準備を致しましょう。
まず会場の真ん中を開けて頂き、クレール様が虎に乗り、ゆっくり壇上へ」
「そして、マサヒデ様をお呼びするのですね」
「はい。虎殺しマサヒデの誕生でございますな」
ぱん、と執事が手を叩くと、端のメイドが頭を下げて出て行く。
クレールが笑顔を上げて、
「虎と獅子、どちらが映えると思いますか?」
「ふむ! 虎と獅子・・・ううむ・・・これは難しうございますな・・・」
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レストランにて。
「え」
報せを聞いて、カオルが少し驚く。
正面のにこやかな男は、忍だ。
すっとカオルにグラスを差し出して笑う。
「それは・・・皆様が不安になりませんでしょうか?」
「余興、と先に大きく知らせておけば。
死霊術ですので『壇上までは』クレール様がきちんと使役致します、と」
クレールにも困ったものだ・・・
「ご主人様には」
「渋々ですが、何とかご了承は頂きました。
お刀が傷ついてしまわないかと、随分とごねられましたが」
「・・・」
どうなるかは簡単に予想がつく。
虎程度なら、マサヒデなら軽く済むだろう。
飛びかかって来た所を下をくぐりながら真っ二つか、横に避けて真っ二つか。
一太刀でぱっかりふたつに割れて、さーっと消えていく死霊術の虎。
「勝負は簡単に済んでしまうと思いますが、余興になりましょうか?」
「構いますまい。それはそれで、マサヒデ様のお強さの宣伝にもなります。
クレール様が壇上まで乗って行くのも、余興になりますし」
クレールがやりたいのは、そっちか。
ふう、とカオルが溜め息をつく。
壇上を見ると、もう何も無くなっていて、給仕が隅で立っている。
準備万端、と言った所だ。ホテル側の許可は、もう取っているのだろう。
「お奉行様とハチ様には」
「快く」
「イマイ様が入り口にいらっしゃいますが、ご連絡は」
「済んでおります」
「では、ロビーの方々にも」
「はい」
全て準備済みか。
ふ、と小さく息をついて、苦笑する。
「では、クレール様にはお楽しみ下さい、と」
忍も苦笑して、
「はい。ご迷惑をおかけします」
と答え、出て行った。
(やれやれ)
小さく首を振って、グラスを小さく傾ける。
ふむ。これがレイシクランのワイン。クレールのお気に入りの年の物。
匂いも味も覚えた。
「・・・」
くるっとグラスの中のワインを回す。
もう一度、匂いを確認。
回した後はこの匂い。覚えた。
「・・・」
グラスを見て、もう一度、ほんの少し口に入れ、小さく首を傾ける。
これのどこが美味しいのだろう?
もう一口。
(ううむ。クレール様、分かりません)