第478話
ホテル・ブリ=サンク、レストラン。
マサヒデ達が招待客に少し遅れて入って行く。
会場内では、皆がもうグラスを持って立っている。
「う、もう飲み始めてますね・・・」
アルマダが苦笑して、
「マサヒデさん。あれはウェルカムドリンクです。
お客様に、待ち時間の間に飲んでもらう、軽いお酒です」
「あ、そうなんですか。じゃ、私達はまだ飲まなくて良いんですね」
「私はもらっちゃーう!」
と、シズクがにこにこしながら、横の給仕に、
「えるかむどりんく、ちょーだい!」
くす、と給仕が笑って、
「はい」
と渡すと、くぴっと喉に流し込んで、
「あらっ?」
「あ、何か、不都合でも」
「これ、ジュース?」
「いえ? アルコールは低めですが」
「じゃ、もひとつちょーだい!」
「ふふ。どうぞ」
こつん、とカオルがシズクの背中に肘を入れ、
「シズクさん。あなたの役目、分かってますね?」
「んっ?」
シズクが振り向くと、カオルの渋い顔。
「回って下さい。歩いて。
食べながら、飲みながらで結構ですが、始まるまでは我慢して下さいよ。
お話しても良いですが、あまりひとつ所に長く留まらずに」
「ああ、はいはい! じゃ、行ってきまーす!」
ぶんぶん手を振って、シズクが歩いて行く。
「ははは! シズクさんは警備ってか! あんな心強い警備はいねえな!」
「ん?」
手を振って去って行くシズクの背を見て、マサヒデが首を傾げる。
はて・・・何か足りない。
「あっ。アルマダさん、トモヤは」
「ご住職と一緒に来ますが・・・そういえば」
アルマダもきょろきょろと周りを見渡す。
坊主は一目で分かるが、どこにもいない。
マツも周りを見渡す。
「あら? トモヤ様、まだ来ておられませんね? ご住職も・・・」
「何してるんでしょうね?」
カオルが少し眉を寄せ、
「ご主人様、確認してきますか」
「どうせ、将棋に熱くなってって所だと思いますよ」
「大丈夫だろ? あいつは殺しても死なねえって奴だ」
よいしょ、とカゲミツが腰の大小を抜いて、
「ほい。頼む」
と給仕に渡す。
マサヒデ達も大小を抜いて渡す。
カゲミツが奥の壇を指差し、
「あそこで発表! だな?」
ぐ! とクレールが拳を握り、
「はい! お父様、決めて下さい!」
「よっしゃ! 任せとけ! マサヒデ!」
「はい」
「開会の挨拶、ちゃんと考えて来たろうな?」
「はい」
「よし。お前も決めろよ? あんま長くすんなよ?」
「はい。クレールさんにご指導頂きましたので、ご安心下さい」
「ん! それなら安心だ。
クレールさん、おれらは準備室みたいな所に行くの?」
「お父様、主催と主賓には席を御用意しておりますので、そちらで」
「おおーそうかそうか! じゃ行くか!」
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(父上が居て良かった)
招待客の間を歩いていく度に、皆が挨拶をしてくる。
そのたびに「おう! ありがとう!」「すまねえ! 挨拶の準備が!」と、カゲミツがさらさらと流して歩いて行く。
マサヒデにはとても真似出来ない。
挨拶をしてきたら、きっと足を止めて頭を下げて・・・
いつまで経っても、奥まで行けなかっただろう。
「ここか」
大きなテーブルに、『主賓席』と書かれた札が乗っている。
席の前に『カゲミツ=トミヤス様』『アキ=トミヤス様』『クレール=トミヤス様』、と、名前が書かれた札。
真ん中に、氷に突っ込まれた酒の瓶。
札のある席にカゲミツ達が座り、
「よっと」
がら、と氷の音を立て、カゲミツが瓶を引っ掴む。
「あ、お父様、給仕を」
「いいよ、面倒くせえ。さ、グラス持って」
「あ、はい」
くるん、とカゲミツが瓶を回して、とん、とん、と人差し指を当てる。
「ん、ここだな」
「?」
瓶の上の方で、カゲミツが瓶に沿って「ぴ!」と指を振ると、先がすっとんで氷の中に「からん」と入る。
(ええー!?)
これはシャンパンサーベルの開け方だが・・・まさか人差し指で!?
さわさわーと音を立てて、シャンパンが瓶の先からこぼれ出てくる。
「はーい、クレールさーん!」
「は、はい・・・」
しゃわわー・・・
「ほい、アキー」
「はい」
しゃわわー・・・
「よーしっとおー」
しゃわわー・・・
がしゃ、と氷の中に瓶を突っ込んで、
「はーっはははー! 乾杯にはまだ早えけど、ちょびっと飲んじゃおうぜ!
シャンパンは久し振りだもんな! 一杯だけ!」
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こちら主役席。
マサヒデが袂から覚書を出して、じろじろと読んでいる。
マサヒデの席の横にアルマダが立ち、苦笑しながらマサヒデを見ている。
「マサヒデさん。脱力ですよ、脱力」
「はい」
じろじろ・・・
(あんなに短い挨拶なのに・・・)
くぴ、とマツが水を飲んで、ちゃら、と念珠を手首に着ける。
「あっ・・・そうだった」
マサヒデも袂から念珠を出して、手首に着ける。
「よし、と」
じろじろ・・・
(代わろうかしら)
マツが呆れて、ふ、と小さく溜め息をつくと、給仕が歩いて来る。
(うふふ。時間切れですよ)
「トミヤス様」
「は! はい、何でしょう」
「そろそろ、開会のご挨拶の時間です」
「もうですか!?」
「はい。酉の刻となります」
マサヒデがくるりと首を回して壇上を見ると、ワインの瓶を持った給仕に、グラスが並んだワゴン。ここにワインはないから、きっとあれにワインを注ぐのだ。
(あのグラスを取って、持つのは足の所で・・・)
ば! とまた覚書を目を皿のようにして読み出す。
マツとアルマダが顔を合せ、肩を竦める。
「マサヒデさん。始めないと、皆、食べも飲めもしないんですから」
「はい・・・」
くしゃ、と覚書を握りしめ、袂に入れる。
ぽん、とアルマダがマサヒデの肩に手を置く。
「脱力。深呼吸。丹田に」
「はい・・・すううー・・・ふうーー・・・」
「まだ固い。もう一度」
「すううー・・・ふうーー・・・」
「抜け切っていません。もう一度」
「すううー・・・ふうーー・・・」
「・・・良し。もう行けるでしょう」
「ううむ、楽になりました・・・
やはり武術と通ずるものがありますね・・・」
マサヒデが真剣な顔で深く頷く。
ただ深呼吸で楽になっただけだが、思い込みとは凄いものだ。
くす、とマツが小さく笑い、アルマダがにやっと口の端を上げる。
「さ、マツさん、参りましょうか。軽く捻ってやりますよ」
「あらあら」
「ははは! ばしっと決めて下さいよ!」
マサヒデが立ち上がり、ぽん、とアルマダが背中を軽く叩く。
主賓席のカゲミツ達も立ち上がり、カゲミツが懐から巻物を出す。
予想通り。
掛け軸みたいな物に、でかでかと名が書いてあるのだ。
マサヒデ達が壇上に上がると、給仕がワイングラスを運んで来る。
皆が受け取って、給仕が下がって行く。
よし。
マサヒデが前に出ると、照明が暗くなり、マサヒデ達の壇上が明るくなる。
マサヒデはにっこり笑って、
「皆様、本日はようこそいらっしゃいました!
どうぞ、心ゆくまでお楽しみ下さい!
それでは皆様、お手元のグラスをお願いします!」
ゆっくり数えて、
1、2、3、4、5・・・10。
ちら、と壇上からすぐ下のアルマダを見ると、グラスを持っている。
アルマダが笑って頷く。うん、大丈夫。
よし、良いな、と思うと、自然に笑顔が出た。
こぼれないようにグラスを上に挙げ、
「それでは、乾杯!」
「「「かんぱーい!」」」
ぐいっとグラスを空けると、給仕が後ろに来て、マサヒデ達のグラスを持って下がって行く。
さて戻るか・・・と、振り返ろうとすると、ばん! と背中が叩かれ、カゲミツが横に立つ。
「ふふふ。まともな挨拶したな。さすがクレールさんの指導だ。
次は俺だ。俺の横で背筋伸ばして立ってろ」
マサヒデが少し横に離れて、カゲミツの横に立つ。
手を後ろに回し、ぴ、と背筋を伸ばす。
「さ、マツさん。こっちに来てくれ」
「はい」
マツがタマゴを抱えて、マサヒデの反対側のカゲミツの横に立つ。
「皆さん! 今日はご足労、ありがとう!
この命名式に於いて、マサヒデ=トミヤスと、マツ=トミヤスの子の、命名の栄誉を授かった、カゲミツ=トミヤスだ! それでは! マサヒデとマツさんの子! 我が孫の名! ここに命名する!」
ばちばちばち、と大きな拍手が上がる。
カゲミツは拍手が収まるのを待って、
「我が孫は! マツさんの魔力を強く受け継ぎ!
将来は大魔術師と太鼓判を頂いている!
大魔術師として! 世を照らし! 国を照らし!
皆の顔を明るくすることを願って!」
カゲミツがマツを見ると、マツが頷いて、タマゴを頭の上に挙げる。
カゲミツは頭の上まで巻物を上げ、ばらりと開いた。
ぷらん、と巻物が揺れ、でかでかと名前が書いてある。
「名は『テルクニ』! テルクニだ!」
おおー! と声が上がり、会場が拍手に包まれ、何も聞こえなくなる。
マサヒデが、マツが挙げたタマゴを見る。
我が子の名は、テルクニ。
世を照らし、国を照らし、皆の顔を明るくする。
テルクニ。