第462話
郊外のあばら家。
シズクが素手で騎士達の稽古を軽く相手しながら、マサヒデ、アルマダ、カオルが眉を寄せて顔を突き合せている。
床の上に、上半身の骨格が簡単に書かれた図。
アルマダが線を引きながら、
「こう・・・引いてますよね」
「手を掴んだ時、そのまま肩の上からではない。
この辺り。少し下ろして、横に近い方向から引いていますから・・・」
すすす・・・と線が引かれる。
「こうですね・・・」
「そのくらいですね」
マサヒデが肩に指を差し、
「あの凄い音、明らかに関節は一度外れていますよね」
「でしょうね」
「腕を前で組んで引っ張っているから、真横、真下には抜けない。
前で腕を組むから・・・」
マサヒデが腕を回して、左手で右の手首を掴んで引く。
「この角度で抜かれる」
カオルも同じように、自分の腕を引っ張る。
「しかし、ご主人様・・・これでは戻る時に骨が擦れ、凄い痛みが残るはず。
ぴったり横や下に抜き、ぴったり戻る、ならまだ納得が出来ますが」
アルマダが線を引き、戻る方向にまた1本線を描く。
「こう抜くと、戻る時に必ず骨が当たる。
激痛が残るはずです。なのに、一瞬だ。
戻った後も、何の痛みもない。どういう事だ・・・」
カオルが眉を寄せ、
「肩の筋肉だけでなく、背中の筋肉の作用も大きいのでしょうか。
それで、引かれる時、ぴたりと収まる方向に変わる?」
「なるほど・・・マサヒデさん」
アルマダが腕を組んだマサヒデの裏に回り、背中に手を当てる。
「腕を引っ張ってみて下さい」
「む」
「ううむ・・・筋肉・・・いや、肩甲骨ですか。
そうか。肩甲骨も引っ張られ、ぐっと伸びる。で、戻る時に・・・」
アルマダが紙の前に戻り、背中の図を差して、
「この肩甲骨が引っ張られる。そして背筋。
背筋は、凄い力で戻ろうとするはずですね。
ここと、肩の筋肉で引っ張られ、戻る。
そうすると、方向はこう・・・いや・・・いや、これでは違う・・・」
マサヒデが顔を近付け、
「やはり、骨が当たる」
「ですね」
カオルも顎に手を当てて、
「肩の思い切り伸ばされた筋肉・・・も、作用しても」
すー、とアルマダが線を引く。
「こういう方向。やはり当たる」
「ううむ・・・激痛が残るはず・・・何故でしょう」
アルマダがカオルの後ろに回る。
カオルが腕を組むように回す。
カオルの手を取って、軽く引く。
「この方向に引いていましたね」
「そうです。関節が外れたなら、激痛のはず」
「では・・・そうだ。アルマダさん、もしかして肩は外れていないのでは?
音は肩甲骨や腕が伸ばされただけ?」
「いや、あんなに音が出る程の力で伸ばされるなら、肩は外れるでしょう」
アルマダが戻って図に目を落とす。
「いや、待てよ・・・マサヒデさん、案外それかもしれない。
半分外れた程度か、それ以下か。完全に抜けきっていない程度かも」
「抜けきっていない?」
「だから、一瞬痛みはあるが、筋肉に少し引かれただけで、ぴたりと戻る。
肩も肩甲骨も腕も強く伸ばされるから、すごい音が・・・している・・・」
「なるほど・・・」
「で、強く伸ばされた筋肉が戻り・・・」
「ぴたりと戻る。骨が擦れるような事もなく、痛みは残らない・・・のか?」
「む! そうか!」
「マサヒデさん、何か気付きましたか」
「そうだ。肩の上からではなく、下に下ろして引いている。
引く力の方向はこう。戻る力の方向はこうだから・・・」
「なるほど。方向が少し変わる・・・」
「引く時の力の方向、戻る力の方向は同じではない。
手を離し、自然に戻る時・・・少し変わります」
「という事は・・・」
「本当に、ただ引っ張られているだけ? 骨も外れていない?」
「では、あの凄い音は何故でしょうね? 明らかに関節をやられた音ですよ」
「ハワード様、痛みが一瞬、というのも分かりません。
確かに、痛みはあるのです。それも、大声を上げて叫ぶほどの。
それが、文字通り一瞬で収まってしまう」
「ううむ・・・何故だ・・・」
「どういう事でしょうか・・・」
3人が眉を寄せ、腕を組んで、じっと図を見つめる。
庭で、シズクが笑いながら騎士の剣を軽く逸し、こてん、と騎士が転がる。
クレールが縁側で笑いながら「頑張って下さーい!」と騎士を応援している。
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マサヒデ達が図を見ながら唸っていると、シズクが縁側に歩いて来て、
「マサちゃん。そろそろ昼になるよ」
む、と3人が顔を上げる。
「ああ、もうそんな時間ですか」
外を見ると、日は昇りきり、気付けば温度も上がっている。
気付くと、じわりと身体に汗が浮いてくる。
アルマダが顔を上げ、
「シズクさん。稽古をつけて頂き、ありがとうございました。
裏に水場がありますから、そこで汗を流して下さい」
「はーい!」
庭に目をやれば、息を切らせて座り込む騎士達。
アルマダが顔をしかめて、
「ううむ・・・情けない」
ふ、とマサヒデが笑い、
「シズクさん相手に、あれだけで済むのはかなりですよ。
皆さん、ギルドに居る冒険者より、遥かに上です。
所謂、上級の冒険者に入れる腕くらいはあるのでは?」
カオルも頷いて、
「ハワード様。私もそう思います。
騎士としての腕は十分です。
剣もあれだけ使えて、馬術も凄いのですから」
アルマダが首を傾げ、
「ううむ・・・そうでしょうか」
マサヒデはばてばてになった騎士達を見ながら、
「そう思います。普通の騎士としての合格点は、とっくに越えているでしょう。
これ以上は、剣客や、お抱えとかの特別な騎士の域ではないでしょうか」
「ハワード様はいつも側にいるから、良く分からないのでしょう。
その辺の冒険者相手であれば、もう圧倒出来る腕です。
しかも、剣だけでなく、魔術も使えて、馬術は一級なのですから」
「かと言って、甘やかすわけにもいきませんからね。
今まで通り、びしびしとやりますよ」
「ま、そうですね。
やった、強くなれた、なんて怠けていたら、あっという間に腕は落ちます」
あ、とカオルが顔を上げて、
「そうでした。ハワード様、騎士様達と言えば」
「皆さんが何か?」
「近日中、早ければ明日のパーティーで、カゲミツ様からお誘いがあるかも」
「お誘い? 何のです」
「馬術です。馬の場所が分かりましたから、近々、道場でも馬術をやりたいと。
カゲミツ様も、既に厩舎は建てておられます」
アルマダが目を輝かせる。
「おお、道場で馬術を!」
カオルが頷いて、
「皆様、馬を見る目もありますし、馬を捕まえに行く際、同行を願われるかも。
馬術の稽古を始める際も、手伝ってもらいたいと言っておられました」
「そうでしたか! それは皆さんも喜ぶでしょう!
トミヤス道場で師範役など、驚いて腰が引けてしまうかもしれませんが」
うん、とアルマダが騎士達を見て頷き、
「確かに、剣はともかく、馬術は私も全然敵いません。
カゲミツ様が願われたら、必ずお送りしますよ」
「カゲミツ様も喜びましょう」
「うん・・・そうですね! 馬術!
いつも剣の稽古ばかりでしたが、馬術も鍛えねば・・・
マサヒデさん、カオルさん、馬術をやりたい時は、いつでも来て下さい」
「ありがとうございます」
と、マサヒデとカオルが頭を下げる。
「あいたよー! さっぱりしたあー!」
と、シズクが手拭いを絞りながら、裏から出てくる。
びたびたびた、と水滴が落ちる。
「では、そろそろ行きましょうかね。
面倒ですけど、一度ギルドまで戻って、昼はそこで済ませましょう。
それから行けば、丁度良い時間のはずだ」
マサヒデは部屋の隅で寝ているクレールの横に座り、軽くゆさゆさと揺すり、
「クレールさん」
「んんー・・・」
ゆっくり目を開けて、むくりとクレールが起き上がる。
ふわあ、と欠伸をして、
「あ・・・お昼ですね・・・ううん、暑いです・・・」
「ええ。そろそろお暇しましょう」
「はい」
「では、アルマダさん。今日はこれで」
「良い物を見せて頂きましたよ。では、明日を楽しみに待っています。
マサヒデさん、ばしっと決めて下さいよ?」
「いやあ・・・」
マサヒデが苦笑する。
「何とか、ぎりぎり、くらいで許して下さい」
「ははは! 頑張って下さいね。私達も手伝いますから」
「よろしくお願いします。では」
軽く頭を下げて、マサヒデ達はあばら家を後にした。