第457話
魔術師協会、居間。
雲切丸を見て、仰天したハチがふるふると細かく震えている。
こんな斬れる刀、適当に振り回しただけで、誰でも・・・
マサヒデは何でもない顔で、よ、と雲切丸を刀架に置く。
「トミヤス様。そいつぁ、もしかしてー・・・ですけど・・・」
「はい?」
「それが、魔剣とか、称号のある御刀って奴ですか?」
「ははは! 違いますって!」「あははは!」
マサヒデとクレールがげらげら笑う。
カオルもくすくす笑いながら、横から茶を差し出す。
実際に魔剣や称号のある刀を見ているマサヒデ達は、大笑いだ。
「ふふふ。ハチさん、魔剣とか、称号がある刀って、もう格が違います。
父上が称号持ちの刀を持ってますけど、見れば誰でも分かります。
そういう刀って、とんでもない力を持ってるんですよ」
「とんでもねえ力と言いますと?」
「そうですね。例えば、父上の愛刀、三大胆という刀があります。
これは『日輪剣』という称号を持っています」
「日輪剣? 日輪と、言いますと、太陽の日輪?」
「はい。この刀、どんな物でも、豆腐みたいに斬れるんです。
岩の塊は勿論、あのシズクさんの鉄棒でも、竜の鱗でも、何でも」
「へーえ! そりゃすげえ! 竜の鱗を、豆腐みてえに!」
マサヒデは刀架の雲切丸を見て、
「この刀が凄く斬れると言っても、さすがに竜の鱗なんて斬れやしません」
「ううむ、そりゃあ、そうでしょう・・・かね?」
マサヒデが振れば、斬れそうな気もするが・・・
「それに、持ち主が「三大胆」って呼ぶと手元に飛んでくるんですよ」
「は? 飛んでくる?」
「はい。どこからでも飛んできます」
「はあー! 一体、どんなからくりでそんな風に?」
「さっぱり分かりませんけど、称号を持つ刀って、大体そういう物です。
魔剣もそうです。例えば、物凄い炎を出して、一瞬で周りを灰にする。
そんな炎を出してるのに、持ってる本人は熱くも何とも無い、とか。
魔剣とか称号の類は、刀剣類の図鑑とかに大体載ってますよ」
「そういうもんなんですか・・・」
差し出された茶を啜り、刀架の雲切丸を見る。
話を聞くと、この雲切丸が恐ろしく斬れると言っても普通の刀に見えてくる。
ただ派手なだけの刀。不思議なものだ。
マサヒデも茶を啜って、静かに湯呑を置き、
「確かにこれは物凄く斬れます。もしかしたら刀の世界では頂点に近いのかも。
しかし、まだ普通の武器の中では、という話です。
魔剣とか称号のついた武器は、そういう枠を遥かに超えてしまった物です」
「ふうむ・・・魔剣とかっちゃあ、そういうもんなんですね・・・」
腕を組んで、ハチが深く頷く。
「それで、本日は何かご用件でも」
「お、おお、そうでした。
あの、お誘い下さいましたお七夜のパーティーなんですが」
「あ、やっぱりご都合が?」
ハチはぶんぶんと手を振って、
「ああいえいえ! そうではございません。
タニガワ様も参りますが、何せ、お役目がお役目です。
お忍びでないお出掛けとなりますと、どうしても何人かお供が必要で。
供の者は、全部外に置きますんで、こちら、お許し願えますでしょうか」
「ああ、そういう事ですか。
私は別に構わないですが、警備もありますからね。
カオルさん、どうでしょう」
カオルは頷いて、
「構いません。外と言わず、ロビーでも。お好きな所でお待ち頂ければ」
「ふう! 良かった! もう明後日ですし、こりゃ断られても仕方ねえかなあ、お忍びの着流しじゃあな、なんて、タニガワ様も困った顔をしてたもんで」
お、とカオルが閃いた。
騎士は、アルマダの所の4人だけ。
奉行所から、お供の者が来るとなれば・・・
「ハチ様、少しお願いがあるのですが」
「へい。なんでございやしょう」
「その、お供の方々、警備に参加して頂けますでしょうか」
「そりゃあ構いませんが、パーティー会場は、噂に聞くレイシクランの忍って奴がずらりと並ぶんじゃありやせんか?」
「そうですが、見えないように着きますもので。
表立って置く者なのですが、実は、騎士が4人しかおらぬのです」
「ああ、なるほど!」
「お客様方にご安心頂けるよう、交代で立っていてもらうだけで良いのです。
警備にご参加頂けました皆様には、礼もお送り致します」
「やあ、ただ立ってるだけで、礼だなんてとんでもねえ!
皆、喜んでお引き受け致しますよ」
「ありがとうございます」
と、カオルが手を付いて頭を下げる。
「そう頭を下げねえで下せえ。で、配置の方は、当日指示して頂けるんで?」
「はい。人数は何人程でしょう」
ハチは顎に手を置いて、
「ううむ。今の所、決まってるのは10人くれえですかね。
なんせ、トミヤス様のお子のお七夜ですからね。
中に入れなくても、俺も連れてってくれ! って奴が結構おりまして。
もしかしたら、何人か増えちまうかもしれません」
「10名・・・助かります。
ご到着の際、私共、警備の者が場所の指示をお伝え致します」
トミヤス様のお子。
俺も連れてって、という人が結構いる。
はて、そんなに?
マサヒデは首を傾げて、
「ハチさん。なんで私の子の祝いに、皆が来たがるんです。
やっぱり、300人抜いた試合で、名が売れたからですか?」
「それもありますが、あの貴族の幽霊屋敷での立ち回りですな。
そりゃあもう、奉行所の中じゃあ滅法な評判ですよ。
いつの間にか、1人で10人もばっさばっさなんて話になってやがる始末」
「ちょっと、それは全然違うじゃないですか」
「ははは! でも、あの腕利きセンセイとの立ち回りは、私も見てましたぜ」
ハチが、こう、こう、と手を振りながら、
「ありゃあ凄かった! 目にも見えねえ兜割りを、流れるように横に避け!
うおっと思ったら、くるんと回って、すぱん! と一振り!
ありゃ? かくんとセンセイの足が! 首から血がずばー!
ごろごろ階段を転げ落ちるセンセイ!」
「うわあ! そんな事があったんですね!?」
屋敷の外にいたクレールは立ち回りを見ていなかったので、大興奮。
ハチはクレールの方を見て頷き、
「そうですとも! そんで、血の付いた刀を、ぴっと一振り!
ドスの効いた目で、奥に引っ込んだ野郎をぎろっと睨んだ!
それだけで、得物を放り出して『降参です!』と逃げ出して来た!
ありゃあ、誰が見ても痺れるってもんですぜ! くぅー! たまらねえ!」
「おおー!」
マサヒデは生まれて初めて人を斬った時の事を思い出し、何とも言えない顔をしている。
「クレール様、斬られたセンセイってのも、また良かったんだ!
立ち会う前に、トミヤス様が、静かな声で『名を聞かせて下さい』って」
「ふんふん」
「そしたらよ、このセンセイの返しが格好良いのなんの!」
ハチが声色を低くして、
「『名無しの権兵衛。死んだらその辺に埋めろ。墓はいらん』」
「うーわあー!」
クレールが目を輝かせている。
「で、トミヤス様が、こう構えるんだ。
『トミヤス流。マサヒデ=トミヤス』」
「ふんふん!」
ハチが手をまっすぐ上に伸ばし、
「したら、センセイが、びしー! とまっすぐ上段に構えてよ。
酒でふらふらしてたのが、構えた瞬間、ぴったあーっと止まるんだ!」
ハチは上げた手を下げて、クレールに向かって前のめりになり、眉を寄せ、
「私も見てて、最初は只の酔っ払いだ、こりゃあすぐに終わるな・・・
そう思ってた。ところがだ、センセイが構えた瞬間、空気が変わったんだ」
こくん、とクレールが喉を鳴らす。
「一瞬で背筋が凍りついた! こりゃまずい! こいつぁ只者じゃねえ!
トミヤス様、危ねえ! 私ぁ、駆け出しそうになったが・・・」
ぱんぱん、とハチが膝を叩く。
「情けねえ事に、びびって足が出やしねえ。声も出ねえ。
横を見りゃ、シズクさんまで、息を飲んで固まっちまってたんだ・・・
信じられます? 鬼族のシズクさんが、びびっちまう剣客だったんだ」
「そんなに凄い人だったんですね・・・」
うん、とハチが頷き、ぴ! と背を伸ばし、また手を上に上げ、
「で、センセイもまた、すげえ空気の中で、静かーな声で名乗りを上げるんだ。
『我流。名無しの権兵衛・・・』
どうですこれ! たまんねえでしょう! センセイも痺れるぜ!」
「すっごーい! センセイもかーっこいいー!」
「で、最初に話したあの斬り合いだ! 今思い出しても、たまんねえー!」
マサヒデは渋い顔で茶を啜り、
「やめて下さいよ・・・ハチさんがそんな風に話すから、変に話に尾ひれが付いちゃったんじゃないですか?」
ぱん! とハチが笑いながら膝を叩き、
「ははは! 何をおっしゃいますやら。
今の、全部事実でしょう?」
「・・・」
「私、話に尾ひれ付けてましたかね?
シズクさんも、私のすぐ隣で見てたんだ。
お確かめになっても構いませんよ」
「・・・」
ぐぐー! とクレールが前のめりになって拳を握り、
「じゃあ、じゃあ! 今の、全部本当なんですね!?」
うんうん、とハチが頷いて、
「そおですとも! 少しも尾ひれなんて付いてないんです」
ぴ、と指先を目の下に当て、
「この同心の目が、しっかと見てたんだ。私は証人だったんです。
嘘なんて一個もねえ、今お話ししたのは、全くの事実。
どうです、クレール様。すげえ話でございましょう?」
「うわあー!」
カオルも頷いて、
「ううん、私の見ていない所で、そんな立ち会いがあったとは!」
「カオル様も見てたら、きっとトミヤス様に惚れ込んじまったはずだ。
なんせ相手は、シズクさんみてえな、鬼の武術家が息を飲むような相手だ。
それを一瞬で、ぴぴっ! ばっさーっ! ですぜ」
しゅ、しゅ、とハチが手刀を振るう。
マサヒデは、もう堪らんと苦い顔を逸し、
「ハチさん、やめて下さい。
人を斬ったんですよ。
私には、あまり良い話ではないんです」
あ、とクレールとカオルがマサヒデを見る。
ハチも笑いを収めて、手を膝に置き、
「む・・・いや、こりゃ失礼しました。
つい、調子に乗ってしまいまして・・・」
ふ、とマサヒデは小さく息をついて、
「これからも、人を斬る事はあるでしょうが・・・
慣れたくはないものですね。
腰抜け武術家って言われちゃいますけど」
ふふん、とハチは笑って、
「いいや。トミヤス様、そうじゃなきゃ武術家じゃあねえ。
でなきゃ、ただの殺し好きの辻斬りの一歩手前、大して変わんねえ。
腰抜け、大いに結構! って、私は思いますがね」
渋い顔をしていたマサヒデが小さく笑って、
「ありがとうございます」
と、小さく頭を下げた。
ハチは真面目な顔になり、
「トミヤス様、お聞き下せえ。
タニガワ様だって、私だって、1人だけじゃあねえ、何人も斬ってる。
相手が悪党罪人の輩でも、何で、どうして刀を向けたんだ!
俺ぁ刀を向けないように出来なかったのか! って頭抱えちまうんです」
しん、と居間が静まり返る。
ハチは腕を組んで、目を細めて少し上を向き、
「それで、あの時は何でって、今になっても、夜も眠れねえ時がある。
目ぇ瞑ると、斬った奴の死に際の顔が、今でもはっきり浮かぶんだ。
ですから、トミヤス様のお苦しみは、私も少しは分かってるつもりですよ」
そうだ。ハチもノブタメも、奉行所の者。
中でも、特に危険な役を任される火付盗賊改。
物騒な輩と、何度も対峙しているのだ。
「すみません。私みたいな若造が」
「いいや。謝る事なんてありません。
私こそ、目の前で面白おかしくお話ししちまって、申し訳ありません」
ハチがにこっと笑って、
「て訳で、目の前じゃなきゃ構やしませんよね! ははは!」
「いや、それはもう勘弁して下さいよ。
これ以上、町中に変な噂が立つのは御免ですって」
「何言ってんです。変な噂なんかじゃねえ、トミヤス様の大活躍!
こりゃ武勇伝って奴ですよ。ねえ、クレール様?」
「そうですとも!」
「ふふふ。だ、そうで!」
ハチがぐいっと冷めた茶を飲んで、
「じゃ、私はそろそろ。トミヤス様のお噂を広めに行かねえと! ははは!」
と、立ち上がり、去りかけて、ぴたっと足を止めて振り向き、
「あ、そうだ。ひとつ、シズクさんに言伝願えますかね?」
「何でしょう?」
「今度は奉行所で肩こり治療をお願いしますって」
ハチがくるんと肩を回し、ぷ! と皆が吹き出した。
「ははは! じゃ、失礼致します!」
笑いながらハチが去って行く。
途中で湿っぽくなったが、ハチは見事に収めてくれた。
まだまだだな、と、マサヒデは自分に苦笑しながら、ハチを見送った。