第452話
冒険者ギルド、訓練場。
今回は、魔術も交えた実戦稽古。
冒険者にはクレールやマツのような純粋魔術師は、ほとんどいない。
得物を持ちながら、魔術を使いながら、が主流だ。
マサヒデの稽古では、魔術を使うものはいない。
使える者もいるはずだが、『剣の稽古』という事で、皆、使わないのだ。
今回の実戦稽古の師範役は、クレール。
「よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします!」
最初の大男を簡単にのしてしまって、いきなり師範役と言われたクレールも、少し落ち着いた。以前、師範役はやったのだ。トミヤス道場でも師範役をした。
そうだ。驚かせてやって、終われば良いのだ。
そう思い至ると、ふっと肩の力が抜けた。
「はじめ!」
ぽん! とクレールの鼻先に水球が浮く。
「あっ?」
良く見えない。
近付いてくる! 危ない!
ぱっと横に避けると、水球を「ぱん!」と割りながら、冒険者の剣が落ちる。
ぽん! また鼻先に水球。
「わっ!」
地に深い穴が開き、どすん、と冒険者が落ちる。
「そこまで!」
ほ、とクレールが息をつき、穴が盛り上がって、冒険者が上がってくる。
これは、先回の師範役の時も、トミヤス道場でもなかった。
誰も魔術を使わなかったから、余裕であしらう事が出来た。
だが、相手が剣も魔術もとなるも、こうも厄介なのか。
ふう、とクレールが胸を撫で下ろして立ち上がる。
マサヒデが下がってきた冒険者に、
「あなたは、私相手の時はもっと動いていました。
魔術を使うことで、単調になっています。気を付けて下さい。
視界を奪えるのですから、少し変化をつければ、簡単に対処は出来ません」
「はい!」
次の冒険者が立ち、クレールの前に歩いて来る。
「よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします!」
槍。
先程のように視界を奪われたらまずい。
ここは初手で決めてしまおう。
「はじめ!」
「むん!」
ぽぽぽん! と、冒険者の周りを、小さな水球が囲む。
えいっと後ろに離れると、冒険者の槍が伸びてきて、手前で止まった。
後ろに小さな穴があり、クレールがこてん、と仰向けに転ぶ。
「そこまで!」
やった! 一歩前に出れば、転んだクレールは簡単に抑えられる!
冒険者が槍を突き出したまま、笑顔でマサヒデの方を見る。
水球がぐにっと曲がっている。
「クレールさん。その水、そのままで。
あなた、水の外に出て、しゃがんで下さい。頭は下げて」
「は? はあ」
怪訝な顔をして、冒険者が囲まれた水球の輪の外に出て、槍を置いて座る。
マサヒデが冒険者達に顔を向け、
「皆さん、頭を下げて、絶対に立ち上がらないで下さい。
クレールさん、ひとつだけ、壁に向かって飛ばして下さい」
クレールがよいしょ、と起き上がって、
「はい!」
水球が目に見えない速さで飛び、ばん! と音を立てる。
分厚い壁に小さく穴。
「え!」
あんな物に囲まれていたとは。
ぞーっと冒険者の顔から血の気が引く。
「私が止めなかったら、どうなったか、分かりますよね。
クレールさん、全部飛ばして下さい」
囲んでいた水球が、中心に向かって飛び、ばあん! と音を立てて弾け飛ぶ。
あまりに強い勢いのせいか、霧のような物が出来て、ふわーっと消えていく。
冒険者達が喉を鳴らす。
「・・・参りました」
冒険者が槍を持って立ち上がり、とぼとぼと歩いて来る。
「クレールさんを転ばせたのは、見事です。
しかし、水の魔術は当たっても大した事はない、と踏み込んだのでしょう。
あんなの、当たり所が悪かったら、死んでましたよ」
「はい・・・」
マサヒデはクレールに顔を向け、
「クレールさん!」
「はーい!?」
ぱたぱたと髪をはたきながら、クレールがマサヒデに顔を向ける。
「死んでしまうような術は、禁止だと言ったでしょう!」
「マサヒデ様! あんなに強くしません!
さっきのは、皆さんにお見せしたかっただけです!」
「なら、構いません」
ふう、とマサヒデが息をついて、
「皆さん、だそうです。
ちゃんと手加減はしてくれるみたいですから、ご安心下さい。
全く、驚かせないでほしいですね」
「ええ・・・」「そうですね・・・」
冷や汗を垂らしながら、冒険者達が適当な返事を返す。
クレールに付いて来た3人だけ、皆を見てにやにや笑っている。
あの魔術を教えてもらっていたのだろう。
「トミヤス様」
次の冒険者が立って、マサヒデの前に座り、
「私は後に回して頂けますでしょうか。
私、魔術にはいつも札を使います。
ですので、札を用意したいのですが、よろしいでしょうか」
「それは構いませんけど、稽古で使っちゃって良いんですか?
良く知らないんですが、そういう札ってお金のかかる物では」
「普段通りにやらねば、この機会を無駄にします」
「それはまあ、そうですが・・・
まあ、あなたが良いのでしたら」
「申し訳ありません。では」
と、頭を下げて立ち上がった冒険者に、
「あ、すみません」
「はい」
マサヒデは竹刀を持ち上げ、
「ついでに、木刀、持ってきてもらえませんか。
あんな術、この竹刀では弾けませんし」
「ああ・・・ですよね・・・分かりました」
よ! と冒険者が跳び上がって、壁を乗り越えていく。
「お聞きの通りですので、札を使いたい方は、今のうちに。
では、次の方、前にお願いします」
「はい!」
次の冒険者が立ち上がる。
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水球に弾き飛ばされる。
勢い良く土が盛り上がって、冒険者が飛ばされる。
霧で真っ白になったと思ったら、石に囲まれている。
風が巻き、砂で見えなくなったと思ったら、穴に落ちる。
あっと気付いて袖をまくれば、腕が小さな虫で真っ黒。
止められて見てみれば、稽古着の背中にびっしりと蝶。
一見、簡単にあしらっているように見えるが、クレールの顔は緊張している。
顔には出ていないが、心労は相当だろう。
(そろそろ交代かな)
とマサヒデが考え始めた時、クレールがマサヒデの方を向いて、
「マサヒデ様!」
「はい。何でしょう」
「後少しで全員ですから、私流で、本気で魔術を使った戦いします!
ちょっとだけ準備の時間、もらっても良いですか?
ちゃんと手加減はしますので!」
「ええ、それは勿論」
「では皆さん、申し訳ありません! 少しだけお待ち下さい!」
ぐ、と杖を上げて、ぶつぶつと呪文を唱え始める。
おや。クレールが呪文を唱えるとは・・・
と、マサヒデが見ていると、ほわっと何かがクレールの前に浮かぶ。
「う!」「ええ!?」「嘘!?」
ぎょ、と冒険者達が声を上げる。
マサヒデも少し驚いて、お、と目を見開く。
「よし・・・今日は熊ですよ・・・」
クレールの顔が必死だ。
いくら死霊術が得意とは言っても、あれだけ大きな動物だ。
今の心労の溜まった状態では、操るのは大変だろう。
「次の方! 来て下さい! 手加減はさせます!」
「・・・」
ぐぁ、ぶぁ、と、低く、小さく、熊が威嚇の声を上げる。
その小さな声が、腹にまで響く。
「来て下さい!」
皆の目が、次の冒険者に向けられる。
「はい・・・」
返事をしてしまった冒険者が立ち上がる。
皆の目が、歩いて行く冒険者の背中をじっと見つめる。
ごくっと大きく喉を鳴らして、冒険者がクレールから離れて立つ。
「はじめ!」
「ぶあー・・・」
熊がゆっくり立ち上がり、冒険者が伸び上がっていく熊の顔を見つめる。
すすす、と石が浮かぶ。
あの程度の石では、当たっても熊には毛ほども効くまい。
シズクがクレールの拳骨をくらったくらいだろうか。
熊が口を開けながら、手を上げて、一振り。
ばん! と音を立てて、すごい勢いで石が飛び、地面を撥ねる。
「うわっ!? 参りました! 参りました!」
と、真っ青な顔で冒険者が跳び下がる。
「そこまで!」
まだ全員ではないが、クレールの顔に明らかに疲れが見える。
ばたばたと冒険者が走ってくる。
(ここまでだな)
マサヒデが立ち上がって、
「クレールさん、私が代わります。
随分と疲れたみたいですから、休んで下さい」
すーっと熊が消え、クレールがぺたん、と座り込んだ。