第449話
魔術師協会、居間。
シズクに肩こりを治してもらったマツとクレールが、ぶんぶん腕を回す。
にやっとシズクが笑って、
「じゃ、次はマサちゃんね」
「ああ、私は肩こりってありませんよ」
「またまたー。怖いんでしょ」
にやにや笑う3人の前で、マサヒデはくるっと振り向いて、右手を頭の方から、左手を下から背中の方に回し、ぴったりと手の平をつける。
「ほら」
「げ!」
シズクが驚いて声を上げ、マツもクレールも驚いて、振り回していた腕を止め、マサヒデの背中の手を見る。
「肩こりなんてあったら、こんな事出来ないでしょう」
「な、何故・・・」
マツが驚いたような、呆れたような声を上げる。
「何故って・・・さあ、何故でしょうね?
ふふふ。刀を振る時に、こう、引っ張られて肩が伸びるからでしょうか?」
くるっと腕を回し、右手と左手の上下を逆にして、手をぴたりとつける。
「でも、でも、ああそうです! 緊張する度に、いつも肩がこるって!」
「そんなの、1日、2日で治りますよ」
「ええ!?」
「カオルさんも、着込みを軽くしたから、もう肩こりなんてないと思いますよ。
アルマダさんは、鎧とか着るから、あると思いますけど・・・
ああ、着込みを軽くしてますから、もう無いかな?
ああいう全身鎧は、あまり肩にこないらしいですし」
「はあ・・・」
そうなのか?
マサヒデの周りの武術家は、皆、肩こりなど無いのか?
「剣術に限らず、武術全般に大事なのって、脱力なんです。
だから、ある程度使える人は、しっかり全身の力を抜きます。肩の力もです。
で、肩こりなんて自然になくなるって訳ですね。
動きを無駄なく最小限にしようとすると、自然とこうなるんですよ」
「ううん、脱力ですか・・・」
マツが唸る。
よっこらしょ、とマサヒデが座って、
「クレールさん、シズクさん、クロカワ先生、覚えてますよね」
「あ、はい!」「勿論!」
「クロカワ先生、すごく撫肩だったの、覚えてます?」
「ああっ!」「あーっ!」
クレールとシズクが声を上げる。
「そうだった、小さいし、細いし、撫肩で、全然強くなさそうで・・・」
「ほら、クロカワ先生、力を使うなとか、脱力が大事とか言ってたでしょう」
「言ってたあー! そうか、それでマサちゃん、そんな風になったんだ!」
マサヒデは頷いて、
「武術の達人の肖像画とか、像とか、見た事ありませんか?
常在戦場、いつも肩の力は抜けています。
撫肩の人が多いのは、こういう訳です」
「そうだったのか・・・」
マサヒデがにやにや笑って、
「ほら、シズクさん。強くなるコツ。力、抜いたでしょう」
「あ! ああー! それか! そうか、私も撫肩になるのか・・・」
シズクが自分の両手を見つめる。
「そういう事です。クレールさん、レイシクランの忍の皆さんも、特に武術達者の方なんかは、撫肩の肩が多いのではないか、と思います。まあ、変装したりする事が多いでしょうし、忍の技は武術とはちょっと違うから、分からないですけど」
「ううん・・・」
クレールが唸って腕を組む。
「身体が固くなれば、心も固くなる。心が固くなれば、身体も固くなる。
どっちも柔らかくないと、どこかに隙が出来ます。
クレールさんみたいな魔術師だって、心が柔らかくないと」
「あっ」
クレールにもぴんときた。
マツの教え、いたずら心。
頭が固いといけない。柔軟な思い付き。
「何か思い当たる事があったみたいですね。きっと、そういう事です」
クレールが頭を下げて、
「マサヒデ様、ありがとうございました。
肩こりがあるなんて、私、まだ未熟だったんですね」
マサヒデは明るく笑い飛ばし、
「ははは! 未熟だなんて! 今日は大変だったんでしょう?
肩が凝ったって、仕方ないじゃないですか!
マツさんも、いつも書類仕事ですから、肩こりは当然ですよ」
「書類仕事」
と、ぽんとマツが手を叩き、
「そうだ! シズクさん、明日、オオタ様、マツモト様にぐきっと!
いつもお忙しくしてらっしゃいますし、きっと肩もすごく凝ってますよ!」
「ははは!」
マツモトとオオタの驚く顔と叫び声が目に浮かぶ。
「それ面白そうですね! シズクさん、明日、一緒にギルドに行きましょう!
私も、あのお二人が叫ぶ所を見てみたい!」
「あーははは! いいともいいとも! どんな顔するかな!」
クレールがにこにこしながら手を上げて、
「私も行きたいです! うふふ」
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夕方遅く、カオルがにこにこしながら帰ってきた。
「只今戻りました!」
袋を下げて、居間に入ってくる。
「おかえりなさい。その顔は、上手く出来たみたいですね」
「レイシクランの皆様にお手伝い頂いたお陰で、それはもう素晴らしく仕上げる事が出来ました。カゲミツ様にも、必ずやご満足頂けるはず。当日が楽しみです」
「黒影は、もう道場に?」
「いえ、道場へは明日連れていきます。今日は厩舎に」
「厩舎ですか。馬屋さん、驚いていたでしょう?」
「いえ、鞍と飾りは別に隠しておきました。
当日、道場の厩舎で着せます。
朝早くにあちらに行けば、昼までには帰って来られます」
「ええ? それは面倒でしょう」
「あの格好で街道を歩いては目立ちます。
それに、せっかく飾り付けたのですし、当日まで隠しておきたいと」
「ふふふ。余程、自信があるようですね」
「勿論ですとも!」
満面の笑みでカオルが頷く。
「で、その袋は、飾りに余った材ですか?」
「あ! いえ。申し訳ありません、これは夕餉にと・・・
ああ、もう暗く! 失礼しました、すぐに!」
さーっとカオルが台所に駆け込んでいく。
「ふふふ」
「よっぽど上手くいったんですね! うちの者が役に立って良かったです!」
「当然ですよ。レイシクランの忍なんですから」
「ふふーん! ですよね! 私も鼻が高くなります!」
(クレール様は何もしてないじゃん)
と、シズクが苦笑する。
マサヒデがふっと笑い、
「そうだ。後でカオルさんにも、肩こりないか聞いてみましょうか?
前は、着込みで肩が凝るとか言ってましたし」
む。
クレールが胸に手を当てる。
ぷ、と小さくシズクが吹き出す。
「なにかっ!?」
ぶん! とクレールの顔がシズクに向けられる。
シズクがにやにやしながら、
「なあーんにもおー? 100年、200年! ってね!
あ、レイシクランの人って、成長はどんな感じ?
10年とか20年? 300年? 400年? んふふふ・・・」
「きぇー!」
たまらず、変な声を出して、クレールが寝転がったシズクに飛び掛かる。
ぼすぼすと横腹を叩くが、シズクはどこ吹く風。
「あはははは!」
マサヒデが驚いて、
「クレールさん? どうしたんです、そんなに暴れて!」
「けい! きぇい!」
ぼん、ぼん、とクレールの拳がシズクの腹を殴る。毛ほども効いていないが。
シズクが手をひらひら振って、
「マサちゃん、なあーんでもないって!
クレール様も、見た感じ、成長期でしょ?
すぐだよ、すぐ! あははは!」
はあはあ、と息を荒くして、クレールが手を止めた。
がっくり項垂れるクレールの頭に、シズクがぽん、と手を置く。
「クレール様、よく知ってるだろ?
マサちゃんは見た目で人を見たりしないぞ!
クレール様が選んだ旦那様が、そんな人の訳ないじゃん!
だから、なーんにも気にする事はない! ね!」
「そうではないんです。そうでは・・・」
もう、完全に負けた。
クレールが立ち上がって、とぼとぼと縁側に歩いて行き、座る。
背中が重い。
「どうしたんです」
マサヒデが心配して声を掛ける。
クレールは振り向きもせず、
「なんでも・・・私の問題ですから・・・大声を出して、申し訳ありません」
と、小さく呟く。
はあ、と溜め息をつき、クレールが薄く紫になった空を見上げる。
月が明るくなってきた。
細い雲が、ゆったりと流れて行く。
後ろでマサヒデがシズクを見ると、シズクは苦笑して首を振った。