第422話
がらっ。
「たっだいまー!」
シズクが戻って来た。
「お、シズクさん、お帰りなさい」
どすん、とシズクはマサヒデの前に座って、
「マツさんは、ドレス選び?」
「ええ。すごかったですよ。
ただの白いドレスなのに、目が眩みそうに光ってたんです。
なぜだろうと思ったら、なんと銀の糸が編み込まれているそうで」
「ええ!? 銀が!? いや、でもそれって錆びないの?」
「特注で、錆びないように出来ているそうです」
「はあー! さすがはマツさんだねえ・・・
銀の糸のドレスかよ・・・すっげえー・・・
で、マサちゃんは普通の紋服袴?」
「ええ・・・釣り合いが取れませんよ。
マツさんの隣に居たら、私、浮いてしまわないかどうか・・・」
「大丈夫じゃない? 雲切丸! あれ差してけば、皆びっくりだって!」
「でしょうか・・・」
クレールとレストランで会った時の事を思い出す。
マツもアルマダも、それはもう派手だった。
マサヒデは負けているな、と・・・
「あ、いや! 思い出しましたよ!
前にクレールさんとブリ=サンクで会った時、刀は預けて入ったんですよ。
中に入る時は、武器は預けないといけないんです」
「そうなの?」
「まあ、人も集まるでしょうし、腰に差してたら邪魔ですよね。
ごつごつぶつけてしまいますから」
「そっかあー・・・あ、じゃあ私は棒は持ってかない方が良いか。
あれ、預けるよって渡したら、潰れちゃうかも・・・」
「ですね。人が潰れたりしたら、いきなり大事故です」
ん、とシズクが首を傾げて、
「ちょっと待ってよ。それじゃあ、クレール様の計画、失敗じゃん」
「クレールさんの計画?」
「ほら、皆にマサちゃんの刀、見せつけるって。
預けたら、皆、見れないじゃん」
「ああっ! そうじゃないですか!
なあんだ、じゃあ、雲切丸じゃなくて良いじゃないですか。
でも、ちょっと安心しましたよ。
正直、あんなど派手な拵えの刀は心配でしたし、父上が見たら・・・」
「良かったじゃん」
「そうですよ。あんな派手な刀じゃ、浮いちゃいますって」
「じゃ、私も稽古に」
がらり。
シズクが立ち上がろうとした所で、玄関が開いた。
「む、出てきます」
マサヒデが立ち上がると、
「ご在宅か!」
おや。寺の住職だ。本か?
マサヒデは早足で出て行って、玄関で頭を下げた。
随分と機嫌が悪そうだが、これは何かあったか。
トモヤが何かしたのか? 招待状の不備か?
「これはご住職、足を運んで頂きまして」
「む。上がって良いか」
「どうぞ」
「ふん」
すたすたと居間に上がり、マサヒデが出した座布団に坊主が座る。
「茶をお持ちします」
「うむ」
マサヒデが台所に下がって行く。
シズクが気不味そうに、
「あの、おはようございます・・・」
じろ、と坊主の厳しい目がシズクを刺すように見る。
「ふうん。この家には鬼がおると聞いておったが、本物だったか」
「あ、ええと、はい」
ふん、と坊主は鼻を鳴らし、
「悪鬼ではないようだな。安心しろ。お前が悪鬼でなければ、何もせん・・・
と言いたい所が、鬼が相手では、拙僧など何も出来まいな」
シズクは返事に困ってしまって、
「あ、ううんと、ええと・・・何もしないから、大丈夫です?」
「ふん」
そこでさらりと奥の間が開き、マツが出て来た。
「あ、これはご住職・・・ご無沙汰しております」
「マツ殿、済まんが茶を出してもらえんか。
あの若造が出した茶など、飲みたくもない」
「はい」
マツが台所に下がって行くと、マサヒデが棚を開けている。
「あ、マツさん。茶菓子ってどこに・・・お皿は」
「マサヒデ様、代わりますよ。ご住職のお相手を」
「助かります」
マサヒデはちらっと居間の方に目をやって、声を潜め、
(何でしょう、すごく機嫌が悪そうでしたよ)
(分かりません。どうしたんでしょう)
(招待状に不備でもあったんでしょうか。
何か、寺には送ってはいけない、みたいな)
(ないと思いますが、どうなんでしょう。
あったとしても、そんな事で怒る方ではありませんし)
(じゃあ、先に行きますね)
(はい)
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マサヒデが戻った後も、坊主はちらっと目を向けただけで、口を開かない。
部屋の空気が重く、シズクも隅で小さくなっている。
少しして、マツが茶を持って戻って来た。
マツが坊主に湯呑を差し出そうとすると、手で止め、マサヒデの前に膝を進めた。
「・・・」
無言で、じっとマサヒデの顔を見つめる。
「あの、何か」
ぱん!
マサヒデの頬が叩かれた。
「・・・」
皆、驚いて坊主とマサヒデを見つめる。
マサヒデも驚いて、坊主を見る。
「愚か者が!」
ぱん!
反対側の頬が叩かれる。
「ふん!」
坊主が席に戻る。
マサヒデは頭を下げ、
「ご住職、私めに何か無礼がありましたでしょうか」
「あったわ!」
「お教え下さい。私が、どのような無礼を働いたのでしょうか」
「拙僧にではない! マツ殿とクレール殿にだ!
お前、マツ殿と結婚してから、式は挙げたのか!」
「いえ。アルマダさんに立ち会って頂き、誓いを立てたのみで」
「クレール殿とは!」
「挙げておりません」
頭を下げたマサヒデに、ごつん! と坊主の拳骨が落とされた。
「ええい、何故、拙僧に言わなんだ!
今か今かと待っておったら、結婚式は飛び越えて、お七夜のパーティーだとお!
若造! お前は、少しは嫁に華を持たせたいと思わんのか!」
「・・・」
「拙僧の所で式を挙げんと言うから、怒っておるのではないぞ!」
坊主はぐい、とマサヒデの頭を両手で掴み、マツの方に向けて、
「マツ殿を見よ! よっく見よ! どうだ!
これ程の嫁を迎え、お前は、お前は、祝おうとは思わなんだのか!?
見よ! 祝ってもらい、喜ぶ顔を見たいと、思わなんだか!
何か言う事があるか! あれば言うてみよ!」
「私の不心得、何も言う事は御座いません」
すごい勢いで怒鳴る坊主に呆然としていたマツが、慌てて前屈みになり、
「あの、ご住職、式を挙げるとなりましたら、たとえ内々と言っても両親も呼ばねばなりません。国からここまでとなれば、どんなに急いでも半年はかかりますし」
む、と坊主がマツに顔を向ける。
「それに、私のお父様も、クレールさんのお父様も、仕事柄、滅多に国は離れられませんし、此度は、マサヒデ様をお許し下さいませんか。私も、クレールさんも、十二分に満足しておりますし、国に報せはもう送りましたので。何卒」
「くんぬ・・・ええい!」
ばん! と掴んでいたマサヒデの頭を畳に叩きつけ、ふん、と席に戻る。
「マツ殿もクレール殿も満足しておるなら、何も言う事はないわ。
仕方のない事情もあるようだし・・・ならば、良い」
「ありがとうございます」
「もう良いわ。若造、頭を上げろ。済まなかったな」
「いえ」
あまりの勢いに、シズクは自分が叱られたかのように、正座して縮こまっている。
おずおずとマツが茶を差し出すと、坊主は湯呑を取って、ずっと啜った。
差し出されたまんじゅうを取り、もちゃもちゃと食べた後、ぐっと茶で流し込み、
「ふん! お七夜には顔を出してやる。
拙僧の宗派は、特に酒も肉も禁じられておらんから、変に気を回さんで良いぞ」
「ありがとうございます」
「さてと。若造、手を出せ。マツ殿も」
2人が手を差し出すと、坊主は懐から小さな箱を出して、
「自分でもあまりに手抜き過ぎて呆れるが、これを念珠授与とする。
若造、念珠とは、寺で行う結婚式で渡す数珠だ。さあ」
と言って、マサヒデとマツの手に乗せた。
もう、坊主の顔の怒りは収まり、いつもの顔になっている。
もう一つ出して、マサヒデの前に差し出し、
「これはクレール殿の分だ。留守であるなら仕方がない。お前から渡せ」
「は」
「念珠を出し、手にせよ」
マサヒデとマツが箱から数珠を出して、じゃら、と指に掛ける。
坊主は立ち上がって、ば! と襟を正し、縁側に座り、空を見上げた。
見上げたまま、
「そこな鬼。マツ殿の後ろへ並べ」
「は、はい!」
慌ててシズクが立ち上がり、マツの後ろに正座する。
少しして、坊主がゆっくりと頭を下げた。
「マサヒデ殿。マツ殿。クレール殿。
このお三方の出会いをお導き下さいました事、御仏に感謝致します。
これからのお三方の幸せを、どうぞ見守り下さいませ。
これからのお三方が幸せに暮らせますよう、お導き下さいませ」
マサヒデ達も、ゆっくりと頭を下げた。
少しして、坊主は頭を上げて、立ち上がった。
「若造、マツ殿。幸せを願っておるぞ」
「ありがとうございます」「ありがとうございます」
「では、帰る。邪魔をしたな」
「は。ご足労いただき、ありがとうございました」
「ふん・・・」
坊主は静かに去って行った。
去り際、恐る恐る、ちら、とシズクが目を上げると、坊主は小さく笑っていた。
マサヒデとマツは、坊主が出て行った後も、玄関に頭を下げていた。