第310話
日も暮れかかった頃、がらっと玄関が開いた。
「失礼します! ハチで御座います!」
マツが夕餉の支度をしているので、クレールが出て行った。
頭を下げながら、ハチが入ってきて座った。
「どうも、遅くなりまして」
「いえ、こんな遅くまで、ご苦労さまです」
マサヒデが頭を下げた所で、縁側にいたアルマダも横に座って頭を下げた。
ちら、とハチはアルマダを見て頭を下げ、マサヒデに目を戻した。
「朝に使いを出してから、しばらく見張りを1人残しておりまして。
出て行く様子があるかどうか、見張らせておいたのですが・・・」
顔と口ぶりからすると・・・
「出て行く素振りもない、と」
「その通りで」
「使いの方は何か? 直にお話したと思いますが」
ハチは顔をしかめ、
「情けねえ事に、ぶん殴られて尻尾巻いて帰って来ました」
「そうですか。殴られて・・・
出て行く気もない、奉行所からの使いに、平気で手を上げるような輩ですか。
放っておくと、危険な事になりそうな気がします」
アルマダが手を挙げ、
「横から失礼します。殴った者はどこの種族の者でしたか」
「虫人族しか見なかったそうで」
「虫人族ですか。で、マサヒデさん。いつ行きますか。
これは早い方が良いでしょう」
ハチがアルマダを見て、
「行くと仰られますと・・・あなた様も?」
「私、トミヤス流のアルマダ=ハワードと申します。
マサヒデさんと同じく、勇者祭の参加者です。
話を聞きまして、助勢したいと。お許し願えますか」
あっ、とハチが驚いた顔をして、
「あなたがハワード様・・・念の為にお聞きしますが、貴族のお方ですね?」
「はい」
「ううむ・・・さいですか・・・あなたが、アルマダ=ハワード様で・・・」
ハチはしばらく考えて、顔を上げた。
「実は、このお屋敷なんですが、ハワード家の物だったらしいんですよ。
ハワード家は沢山ありますから、そちらのハワード様とは別口かと思いますが」
はて? とアルマダは少し首を傾げ、
「私の実家は、ここから馬で1ヶ月も離れた所ですから・・・
別のハワード家だと思いますが、もしかすると、という事もありますね」
「もしかすると?」
「私の家では聞いた事はありませんが『居なかった事にされた者』かも。
往々にしてあることです。子孫が残っていないのも、そのせいかもしれません」
「どういう事でしょう?」
マサヒデとハチが首を傾げる。
「例えば、何かやらかして、家を追い出された者とか。所謂、島流しですね。
そういう者は、大体、身分を剥奪されて、領地から遠くに追いやられたりします。
系譜にも残らず、すぐに忘れられ、仕送りもなくなり、貴族として死んだも同然。
この辺はハワード領ではありませんし、一部お借りしていた・・・とか」
「へえ・・・そんな事もあるんですね。私のように放逐されたんでしょうか」
「まあ、かもしれないってだけです。
ハワードという姓は多くありますから、私の家ではないと思いますが・・・」
「そのハワード様、どんなお方だったんでしょうかね?」
「どこのハワードであれ、碌な人物ではなかったでしょう。
田舎町とはいえ、オリネオは昔から豊かな土地だったのですよ。
普通に経営をしていれば、周りに家が数軒、なんて事はないはずです」
「でしょうな」
と、ハチも深く頷いた。
「ハチさん。カオルさんを偵察に行かせています。
そろそろ帰ってくると思いますので、お待ち頂けますか。
人数や周りの地形なんかも考えて、軽く段取りを決めておきましょう」
「はい」
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夕餉も終わった頃、やっとカオルが帰って来た。
「遅くなりました。ご心配をおかけしまたか」
「いえ。カオルさんを心配なんてしませんよ」
は! とシズクが笑い、
「マサちゃん、それは酷くない?」
マサヒデも笑って、
「ははは! それだけ信用してるって事ですよ!
カオルさんは、父上から一本取った腕前なんですよ。で、首尾は」
と言って、顔を引き締めた。
「確認が出来た者で、虫人族9人、獣人族3人の計12名。
虫人が4名、5名の2組、獣人3名が1組です」
「ほう。獣人の組がいましたか。よく見つかりませんでしたね」
カオルが、にや、と小さく笑った。
「あれでは、ギルドの冒険者でも楽に倒せましょう」
「で、獣人は犬族? 猫族?」
「全員猫族です」
ハチが驚いた顔で、
「え? 全員が猫族ですか?」
「はい」
「ふうむ・・・そうですか・・・珍しいですね・・・」
と、腕を組んだ。
マツもクレールもシズクも、首を傾げている。
「何か不自然でも?」
「いや・・・猫族の者は、あまり、群れて動く事はありませんので。
大体、猫族は1人、後は他の種族、といった感じです」
「ふむ。まあ、中にはそういう例外もいるでしょう。
親兄弟や親戚だとか、近い者かもしれませんし」
「ああ、それなら考えられますね」
「で、屋敷の方はどういった所でした?」
「小さいとはいえ、それなりの大きさはありました。
向かいの冒険者ギルドより一回り小さいくらいの大きさでしょう。
左右対象の造りで、玄関ロビー、廊下を挟んで3部屋づつ、2階建て。
凝った造りではなく、集合住宅のように同じ広さの部屋が並んでおります」
集合住宅のような屋敷。
アルマダが言ったように、どこかから追いやられた貴族だろうか?
適当に建てて与えられた、というだけの屋敷か?
「ほう?」
アルマダが顎を手に当て、
「カオルさん、屋敷には入れましたか?」
「いえ、獣人がおりましたので、念の為、近付くのはやめておきました」
ハチが頷いた。
「賢明ですな。猫族は恐ろしく勘が鋭い奴らです」
アルマダは険しい顔で、
「ううむ・・・隠し通路や隠し部屋なんかがあると、厄介ですね。
適当に作られた屋敷でも、そのくらいは作ってあるかもしれません。
無ければ良し、あっても気付いていなければ良いのですが」
「周りは開けておりますが、膝丈より少し低い程の草が生えております。
隠し口も考えて注意して見てみたのですが、遠目からではよく・・・
草の下に出口があっては、面倒ですね」
「マサヒデさん。私達のパーティーは全員騎馬です。
我々が離れて周りを囲みましょう。逃げる者がいたら、我々が対処します。
隠し通路で逃げようとしても、追えるかもしれません」
「では、我々は玄関から行きましょうか」
ハチが驚いてマサヒデに顔を向け、
「いやいや! トミヤス様、真正面からですか!?」
「ええ」
「それはいくら何でも・・・」
「大丈夫ですよ。それより、獣人の組に逃げられないかが難しい所です。
訓練場で何人かと相手をしましたが、皆、恐ろしくはしこいですからね。
アルマダさん、猫族が逃げても、馬で追えますかね?」
「ううむ・・・逃げる猫族ですか・・・
向かってくるなら相手は出来ますが、逃げるとなると、馬でも難しいですね。
山や林に入られたら馬は追いつけませんし・・・
もし集落に入られてしまったら、目も当てられませんよ」
アルマダが腕を組んで、天井を仰ぐ。
ハチがにやっと笑って、
「皆様、猫族相手なら、逃げられない方法がございます」
皆の目がハチに向けられた。
「またたびをお使い下さいませ」
「・・・」
猫にまたたび?
獣人族相手にも効くのか? 冗談なのか?
皆が呆れて声も出ない。
「ははは! 皆様、お疑いでございますな。冗談ではございません。
猫族相手の捕物の時は、いつもまたたびを使うんで」
「・・・それ、本当ですか?」
「ええ、本当ですとも。泥棒なんかは、猫族が多いですからね。
相手の居場所が分かってるなら、さっとまたたびの粉を撒きます。
後は風の魔術で丸く囲むように、居場所に向けてふわっと風を流すだけです」
マサヒデは胡乱な目で、
「それで、どうなるんです?」
「酔っ払っちまうんです。寝ちまったり、転げ回ったり、抱き合って笑い出したり。
暴れ出すような奴もいますが、とにかく、まともに頭は回らなくなります。
またたびが効いてる間にふん縛っちまえば、簡単ですよ」
アルマダもまだ信じられない、という疑問の顔で、
「もし暴れるような猫族がいても、簡単に取り押さえられますか?」
ぱん、ぱん、と膝を叩きながらハチは笑い、
「ははは! 簡単ですとも!
丈夫な網をばさっと被せちまえば、暴れてどんどん絡まっちまいます。
頭が回らねえから、自分で勝手に絡まっていくんですな!」
げらげら笑うハチを見て、
「そんなものですか・・・」
皆、声も出ない。
本当に、簡単に捕まえられてしまうのか。
「皆様に、その網をお貸ししましょう。
もし飛び出て来ても、ぱっと投げつければ簡単にお縄に出来ますよ。
重りが付いてて、投げつければ、ばさっと宙で広がりますから」
「ありがとうございます」
と、アルマダが頭を下げた。
ふと、マサヒデに疑問が浮かんだ。
「ハチさん、質問なんですけど」
「へい、何でしょう」
「もしかして、ですけど・・・またたびって、虎族にも効くんですか?」
ぷー! とハチが吹き出した。
「わーっははは! 効いちまうんですなあ、これが!
もし暴れちまう奴だと大変ですから、使いやしませんけどね!
あいつらあ、鉄の網でも簡単に破っちまいますから! わははは!」
「虎族にも弱点があったんですね・・・」
げらげらと笑うハチを見て、皆の引き締まった心がふっと軽くなった。
「ふふふ、こいつぁいけねえ、少し笑いすぎちまいましたね。
しかし、猫族共には注意もあります」
「注意ですか」
「ええ。絶対に夜に相手しちゃあいけねえって事です。
動物の猫と同じです。あいつらあ夜行性なんですな。
夜目がきく。耳もきく。私ら犬族ほどじゃあねえが、鼻もきく。勘もすげえ。
動きもとんでもなく軽くなる。まさに泥棒にうってつけなんですよ」
「なるほど。では、明るいうちに行きますか。
カオルさん、昼頃に出れば良いでしょうか?」
「昼餉を早めに取って、正午に町を出れば十分でしょう。
長引いても、夕刻まではかかりますまい」
マサヒデは頷き、
「分かりました。では、正午に町の出口の所に集合としますか」
「分かりました」
「合点です」
と、アルマダとハチも頷いた。
「では、これで解散としますか。
ハチさん、遅くまで引き止めて、申し訳ありませんでした」
「いえいえ。明日が楽しみですな! ははは!」
そう言って、ハチは出て行った。
アルマダも、
「では、私もこれで。皆も馬を手に入れて浮かれているでしょう。
明日は捕物と聞かせて、早めに休ませておきます」
と言って、出て行った。
「ふふん! 腕が鳴るね!」
「ふふふ。猫族が相手だと楽しみにしておりましたが、簡単に運びそうですね」
「私の風の魔術の出番ですね! しっかり流しますよ!」
皆が鼻息を荒くしている。
ハチが笑って雰囲気を良くしてくれた。
このまま、事が上手く運べば良いのだが・・・