第154話
日が沈み、3人は松明を点けてゆっくりゆっくりと山を下りる。
遅くなってしまったので、マツは心配しているだろうか。
シズクは「マサちゃんなら大丈夫だよ」なんて言っているだろうか。
「ご主人様、そろそろ抜けます」
カオルがそう言って、松明を上に上げる。
言われて見てみても、先の方はさっぱり見えない。
カオルには見えているのだろう。
「良かった。なんとか今日中には帰れそうですね」
「ええ。街道まで出たら、少し足を早めましょう」
少し歩くと、木の感じが変わってきた。
足元の積もった落ち葉も、踏んだ時にぱりっと音がする。
ここまで歩いてきた場所と違って、乾いているのだ。
もうすぐだ。
今まで鬱蒼としていた木が、まばらになってきている。
松明の火でも分かる。
山をもうすぐ抜ける。
「さあ、もう、あそこまで歩けば街道です」
「ふうー! いや、疲れましたね! 今晩は良く眠れそうです」
「やりましたね・・・ファルコン、良く頑張った!」
皆が馬の首をぽんぽん、と叩いて撫でる。
「街道を歩きますが、気を付けましょう。
夜とはいえまだ早い。人通りもありますので、驚かせないように」
街道の方を見れば、小さく松明の火が動いて行くのが見える。
「カオルさん、今夜はギルドの繋ぎ場を使わせてもらいましょう。
厩舎は、明日借りに行けば良いでしょう」
「は」
「さあ、行きましょう。皆が待っています」
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からからから。
「只今戻りました」
ぱたぱたと音がして、マツが走り出てきた。
「おかえりなさいませ。遅かったので心配しましたよ」
奥から「おかえりー」とシズクの声が聞こえる。
「さ、お上がり下さい。夕餉の支度も出来ておりますから」
「はい」
3人がぞろぞろ上がり、居間に座る。
どっと疲れが押し寄せ、今にも寝てしまいそうだ。
かちゃかちゃと音を鳴らし、マツが膳を持ってくる。
「さ、皆様お上がり下さい」
「頂きます」
3人が手を合わせ、箸を取る。
汁を啜ると、身体に染み渡るようだ。
「ああ、美味い・・・美味いですね」
「ええ。身体に染み渡る」
「奥方様、最高です」
がつがつと箸を進める3人。
「おお、そうだ。マツさん、シズクさん、繋ぎ場に止めてありますから、見てみて下さい。捕まえて来たばかりだから、気を付けて下さいね」
「ええ!」
マツの目が輝きだす。
やはり、マツは馬が好きなのだ。
「奥方様、膳は私が。どうぞ、ご覧頂けますか」
「では、遠慮なく!」
小走りに出て行くマツ。
「私も行く!」
シズクもマツについて出て行った。
アルマダがマツの姿を見て微笑む。
「ふふふ、マツ様は馬が好きなようですね」
「早く慣らせて、マツさんも乗せてあげたいです」
「皆、どんな走りをするんでしょう。楽しみですね」
3人は膳をかきこむ。
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アルマダは早く皆にこの馬を自慢したい、と、疲れた身体を引きずって帰って行った。
「カオルさん、我らはギルドに湯を借りに行きましょう。
帰ったらぐっすり寝て、明日、厩舎で馬具を注文しましょう」
「は」
2人が外へ出て行くと、マツとシズクは目を輝かせ、馬を撫でていた。
「あ、お二人共。この馬、すごく綺麗です!」
「うん。こっちの真っ黒なやつ、毛がつやつやしてるよ・・・」
さわさわとシズクが馬を撫でている。
「ふふ、アルマダさんに見立ててもらったんですよ。綺麗でしょう?」
「本当! 白百合も綺麗ですけど、すごく綺麗です・・・」
「黒嵐と名付けたんです」
「黒蘭? わあ、綺麗な名前・・・」
「花の蘭ではないですよ。嵐の『らん』です」
「ええ・・・?」
「ふふふ、このガタイで蘭の花はないですよ」
「こんなに綺麗なんですよ。蘭の花でもいいじゃないですか」
「マサちゃん、私もそう思うな・・・こいつは、つやつやして綺麗だよ・・・」
さわさわと撫でるシズク。
馬はシズクにも警戒していないようだ。
だが、この2人は近くで見ているから、そう感じるだけだ。
1歩離れれば、この図体とガタイで、とても似合わないと思うはず。
少なくともシズクは。
「だめです。私はもう決めたんです」
「ふーん・・・まあ、次はマサヒデ様が名付けるって決めてたから、我慢します」
そんなに花の名前が良かったのか?
いや、かわいい名前が良い、と言っていた。
『黒ひよこ』なんて付けられたら、どうしよう・・・
自分で名付けて良かった。
「こちらがカオルさんの馬ですね?」
「はい」
「こちらも綺麗ですよねえ・・・大きくて、黒いけど、少し赤みがあって・・・」
マツはカオルの馬にそっと手を当てる。
「名前は決めたんですか?」
「黒影です」
「くろかげ?」
「黒い影、と書いて黒影です」
「影って、やっぱりカオルさんの仕事柄?」
「いえ」
マサヒデが顔を上げ、黒影を見上げて説明する。
「マツさん。この馬、群れの頭でしてね。
カオルさんが捕まえた時、群れの他の馬達も、一緒に後ろに付いてきたんです。
西日で逆光になって、馬を引いてくるカオルさん、後ろに付いてくる群れの馬達。
・・・少し歩いて来て、群れの馬達が足を止めたんです。
カオルさんと馬を、じっと見送っていました。これで、お別れだ、って・・・
私もアルマダさんも、その姿を見て、ぐっときましたよ。
その時の、逆光の姿。それで、影、なんです」
「・・・逆光の、影・・・」
「・・・」
「マツさんがあの光景を見てたら、泣いてしまったかもしれませんね。
西日を背に、歩いて来るカオルさんと、馬達と・・・すごく綺麗でした」
皆が、黒影の顔を静かに見上げる。
黒い瞳が、皆を見ている。
「・・・さあ、カオルさん。行きましょうか。
湯でさっぱりしたら、今日はもう寝ましょう」
「はい」
マサヒデとカオルはギルドに入って行った。
「黒影か・・・いい名前だな」
ぽつん、とシズクが呟いた。
「ええ。黒影・・・すごく、綺麗な名前です」
2人は黒影にそっと手を当て、優しく撫でた。
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郊外のあばら家。
がさがさとアルマダが草をかき分けると、見張りの騎士が顔を出す。
「あっ! ああっ!」
驚いて、見張りの騎士が指をさす。
何事かと、他の騎士も、トモヤも集まってくる。
「おお、アルマダ殿! 遅かったの!」
のんきに声を上げるトモヤと裏腹に、震えながらアルマダの馬を凝視する騎士達。
「只今戻りました」
ゆっくりと門をくぐると、馬は集まった皆に落ち着かず、軽く前足を上げる。
「どうどう・・・どうどう・・・大丈夫」
アルマダが落ち着かないファルコンを抑え、ゆっくり引いて、縄を奥の木に縛り付ける。
「ア、アルマダ様・・・! あの、あの馬は!?」
「ふふ、どうですか皆さん」
騎士達が、少し離れた木に縛られたファルコンを凝視する。
彼らを見て、にや、と笑い、
「ファルコンと名付けました」
「ファルコン! あの、闘将ファルコン!? おお・・・ファルコン・・・」
「どうでしょう。中々の名前ではありませんか?」
「素晴らしい・・・今、この世で、この色で、これほどの馬はおりますまい」
「生きてこれほどの馬を見られるとは! アルマダ様、感謝致します・・・」
騎士達は潤んだ目でファルコンを見つめる。
トモヤは、なぜ皆がこうも驚いているのか分からない。
不思議そうな顔で尋ねる。
「なんじゃ、皆様、一体どうなされたのじゃ?
あの馬は、そんなにすごい馬でありますかの?」
「それはもう!」
「トモヤさん、この色は、千頭に1頭も産まれないという色なのです」
「何!? そんなに珍しい馬でありましたか!?
むう・・・それは皆様も驚くわけじゃ・・・」
トモヤも口を開けてファルコンを見つめる。
「それほど珍しい色の上、あの大きくしなやかな身体をご覧下さい。
あれほどの馬、生きて見られただけでも、幸せというものです。
金を積めば買える、という馬ではありませんよ」
「ううむ・・・そこまでの馬じゃったか・・・なんと・・・」
「明日の朝一番で、馬具を用意しましょう!
蹄鉄をつけてもらったら、すぐに走らせて、私の愛馬にします!」
「アルマダ様! 慣らしの際には、是非我らにも!」
「もちろんですとも!」
「ワシも良いかの! それほどの馬、一度で良いので、乗らせて下され!」
「もちろんですとも!」
その晩、あばら家は歓喜に湧いた。