5
(また、やらかした)
僕は青くなった。
佐和子との関係はいつもこうだ。せっかく上手くいきかけても、僕が焦ってヘマをやらかして、彼女に嫌われて、全てを台無しにしてしまう。
彼女に振られてもまだ懲りずに、こともあろうか、お見合いの席で、いきなりキスをして平手打ちを貰ってしまった。
もうおしまいだ。
彼女に嫌われ始めたのは、あの高校2年の夏の日からだ。
あの日は最大の黒歴史だった。
その夏、僕は初めてできた彼女と青春を謳歌していた。初めてのデートや初めてのキスに浮かれていた。
夏休みの終わりに母親が祖母の具合が悪いということで実家に数泊してくることになった時、僕はチャンス到来と思った。
佐和子とは付き合って3ヶ月になる。
夏休みはたくさん二人でデートをしていろんな所に行った。だから、もうそろそろ、そういうことをしてもいい時期だと思った。
僕は、自転車で3駅先の本屋まで行き、『嬉し恥ずかし初体験マニュアル(男の子用)』なる本当に恥ずかしい題名の本を買って密かに研究したり、遠くの町のコンビニで避妊具を買うなどして、準備を進めた。
たかだか書籍やコンドームを買うだけの行為なのに、まるで初体験さながらの緊張だった。
無事にレジで会計を済ませて商品を手にした後は、ものすごい疲労感、脱力感、そして達成感を感じた。今のようにセルフレジならもっと買いやすかったと思うが、当時は有人のレジしかなかったので、店に入るとレジを打っている人が、中年のおじさんかどうかを確認し、若い女性のバイトの子がいると、自転車でさらに先の店まで行った。
今思うと可笑しいが、当時は真剣だ。
そうして迎えた当日、僕はガチガチに緊張していた。
彼女が家に入ると、リビングのク―ラーが壊れていると嘘をつき、僕の部屋に通した。
ベッドに座らせると、僕はいよいよ彼女と初体験をするという緊張から、頭の中が真っ白になった。
欲望よりも緊張の方がはるかに大きかった。
(ええと、最初は何からだったけ)
初体験マニュアルの記述を思い出そうとするが思い出せなかった。
まさか彼女の前で『嬉し恥ずかし初体験マニュアル(男の子用)』を開くわけにもいかずに固まった。
その時、(ちゃんとコンドームを自分で付けることができる?)という、天の啓示のような声が脳内に響いた。
嬉し恥ずかしマニュアルにはイラスト付きで丁寧にやり方が書かれていた。
それを見て、すっかり分かったつもりになっていたが、実際にやったことは無かった。
買ったコンドームは12個入りのもので、外箱も未開封のまま机の引き出しの奥に隠してある。
(どうしよう、どうしたらいいのだろう、ちゃんとやれるかな)
12個もあるのだから事前に一人で練習をしておくべきだった。
とにかくその当時の僕は彼女そっちのけで、ただ、自分がちゃんとやれるのか、彼女の前で恥をさらさないかばかりが気になっていた。
女性をリードしてスマートに振る舞える大人の男性でありたかった。
ベッドの横に腰掛けた。
そして、彼女の肩に腕をまわした。
彼女の顎に手をやり、僕の方に顔を向けた。
(このまま、キスをして、そして順番に服を脱がせてゆけばいい)
やっとマニュアルの手順を思い出した。
彼女の顔を見た。
閉じた目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
肩に置いた手から、彼女の身体の震えが伝わってきた。
(彼女は怖がっている。そして嫌がっている。オレ、一体何やっているんだ)
身体を強ばらせて震えている彼女を見て、僕は自分がすごく悪いことをしているという罪悪感を感じた。
自分のやっていることは、まるで女の子を拐ってきて強姦しようとしているみたいだ。
(こんなに震えているなんて、きっと彼女は嫌がっているに違いない)
僕は手を下ろした。
キスをするのもやめた。
しばらく僕たちは無言でベッドの上に腰掛けていた。
「どうしたの?」
彼女が目を開けて僕に訊いた。
「ごめん」
「何が?」
「だからごめん」
彼女は戸惑っているようだった。
迷った末に意を決したように僕に訊いた。
「ねぇ、しないの?」
彼女は僕が襲ってこないか不安になっているのだと思った。
「そんなこと、できるわけないじゃないか」
彼女の気持ちの準備ができていないのに強引にセックスをするなんて、そんな酷いことを好きな人にできるわけないじゃないかと僕は言ったつもりだった。
「そう」
彼女はうつむいた。
気まずい沈黙が続いた。
「私、帰るね」
「ごめん、ちゃんと準備もしていなくて、だから……」
(まだ高校二年生で妊娠なんてさせたら大変だ。だからきちんと避妊具をつけることができるかを練習しておかなければいけなかった。それを怠ったのは僕の責任だ)
「もういいのよ」
彼女は逃げるようにして家を出て行ってしまった。
それから二学期が始まるまでの数日間は、彼女と会う機会が無かった。学校が始まってもなんだか二人の関係はギクシャクしたままだった。
そんな中、急に彼女の転校が決まった。
「父が転勤するの」
「どこに行くの」
「バングラディシュ」
「えっ?」
「現地の日本人の責任者が急病で倒れて、再来年に赴任するはずだった父が行くことになったの。父の単身赴任か、もしくは私一人が親戚に預けられて行くことも検討したんだけど、結局家族で行くことになったの」
「いつ行くの」
「来月」
来月まであともう10日しか残っていなかった。
「だから、最後にデートしよう」
「ああ」
僕らは彼女が出発する前々日に上佐賀屋駅の駅前公園で待ち合わせをすることにした。
上佐賀屋は2路線が乗り入れる大きな駅で、そこからどこにでも行けたし、僕らの住む町からも近かった。
だが、当日、いくら待っても彼女は現れなかった。
午後2時の待ち合わせだったが、日が暮れても彼女は姿を見せなかった。
僕は彼女に振られたのだと思った。
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