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「こちらが佐和子さん」
「初めまして」
目の前の女性が笑みを浮かべて頭を下げた。
(な、なんで)
僕はパニックになっていた。遠目で見た時はカッパーカラーに染めたショートカットの女性が彼女だとは気がつかなかった。だが、仲人の紹介で間違いなく彼女だと分かった。
佐和子は元カノだった。
初めて付き合った女性で、彼女が何もかも初めての相手だった。一緒に手をつないで歩いたのも、デートをしたのも、キスをしたのも。
その彼女が目の前で三つ指をつくようにして「初めまして」と挨拶をしているのだ。
両親や仲人が和やかに先方と話をしている。
だが、その声は遠くなっていった。
そもそも、このお見合いに連れてこられたことが罠みたいなものだった。
今朝、朝食を食べていると、両親が正装していた。
「早く食べて、あなたもスーツに着替えなさい」
「えっ、今日なにかあったっけ」
「あなたのお見合いでしょう!」
僕は絶句した。
そう言えば母親がそんなたぐいの話をしていた気がするがすっかり忘れていた。
三〇近くになっても結婚どころか、付き合っている女性もいない僕を両親は心配して、強引にお見合いをセッティングしたのだ。
今どき仲人をたてて、両家の両親も来てのお見合いなど流行らない。前世紀の遺物だ。婚活はマッチングアプリの時代だ。だが本人にその気がなければ、マッチングアプリがあっても意味をなさない。
そこで、早く孫の顔が見たいと焦る両親は、騙すようにして勝手にお見合いを決めてしまったのだ。
だから、僕はここに来るまで、相手の写真もプロフィールも見ていなかった。
元々は親戚との食事会があるから10月の連休の日曜日は空けておくようにと言われていただけだ。
それが直前になって僕が酔っ払って帰った時に「次の日曜日の食事会で会わせたい人がいるの。とてもいいお嬢さんよ」と言われた。
「まさかそれってお見合い?」
「そうよ」
母親は涼し気な顔で平然と言い切った。
今さら行かないとは言えない状況になっていた。
事前に相手が佐和子だと知っていたら、それでも来なかっただろう。
仲人の小坂さんと母の笑い声で、現実に引き戻された。
両親たちは楽しそうに雑談をしていたが、僕と佐和子は話をしなかった。
僕は目の前いるすっかり大人になった佐和子のことを見つめた。
佐和子は高校生の時は長い黒髪をしていた。だけど、今の髪を染めてショートカットにしている佐和子も魅力的だった。
(あれ、オレ、何考えているんだ。佐和子とまたお付き合いするなんて、ないだろう)
なんだか汗が出てきて、心臓の鼓動が高まってゆくのを感じていた。