ピンチをチャンスに変えていく
「す、すごい……!」
思わず隣にいた兄の手を取り、はしゃいでしまう。まさか1度の練習で、こんなにも上達するとは思わなかった。
「本当にすごいね! ありがとう!」
「…………」
「ユリウス?」
「……ああ、そうだね」
一瞬、何故か固まった彼はすぐに我に返ったようで、眉尻を下げ困ったように笑った。
「お前が俺に笑うとか、初めてだったから驚いただけ」
「あ、そうなんだ」
「記憶喪失ってすごいな。本当に全てが別人みたいだ」
笑顔すら見せない、会話もない兄妹とは一体どんな関係だったのかと、やはり気になってしまう。けれど聞いたところで、彼が教えてくれるはずがないことも分かっていた。
「そもそも21点とか喜ぶレベルじゃないから、バカ」
「はい」
「俺が教えてるんだから、80点は取ってもらわないと」
そんな兄の言葉に、私はこくりと頷く。このまま彼と練習を続ければ、間違いなく成長できる。そんな気がした。
◇◇◇
「ここは、この術式をあてはめるの」
「なるほど……!」
そしてあっという間に、レーネ・ウェインライトとしてハートフル魔法学園に通い始めて一週間が経った。
学園では机にかじりつきながら授業を受け、放課後は数日に一度ユリウスと魔法の練習をし、夜は寝るまでひたすら勉強をするという、なかなかハードな生活を送っている。
勉強漬けと言えど前世とは全く違い、私はこれ以上ないくらいの充実感に包まれていた。こうして昼休みにテレーゼにも勉強を教えてもらうことすら、とても楽しい。
最初はさっぱり分からなかった授業も少しずつだけれど、理解できるようになってきていた。
「レーネ、頑張っているもの。きっと試験も大丈夫よ」
「ありがとう。そうだといいな」
そして、テレーゼと過ごすようになってからは、目に見える嫌がらせはなくなっていた。悪口は時折聞こえてくるけれど、それくらい大したことはない。
何もかもが、怖いくらいに順調だった。このままいけばきっと、普通の学園生活を送ることが出来る日も近いだろう。
──そう思っていた3時間後。私はいじめっ子達の罠に見事にはまり、とある体育倉庫に閉じ込められていた。
マットの上に座り膝を抱え、深い溜め息を吐く。
「ベタすぎるでしょ。そう思いません?」
「…………本当に、最悪だ」
少し離れた場所にあるベンチに腰掛けていた男子生徒は、そう呟いて片手で目元を覆った。
なんと王子の友人である青髪メガネ美青年もまた、私と一緒に閉じ込められてしまっていたのだ。
私が閉じ込められる瞬間、運悪く倉庫の点検を頼まれていたらしい彼は、完全に巻き込み事故の被害者だった。
遠くからは、本日最後の授業が終了したことを知らせるチャイムが聞こえてくる。前世と合わせて生まれて初めて無断欠席をしてしまったことに、私はショックを受けていた。
「授業、終わっちゃいましたね……」
「…………」
そういや彼には、攻略対象疑惑があることを思い出す。
ピンチをチャンスに変えるべく、私はここぞとばかりに話しかけることにした。
「あの、私はレーネ・ウェインライトと言います。お名前、聞いてもいいですか?」
「…………」
「返事がないので、吉田って呼ばせてもらいますね」
「誰だそれは」
ちなみに前世での知人であり、彼と同じ青いメガネがトレードマークだった吉田は同じ施設出身のいい人だった。彼からもなんとなく、そんな感じのオーラが出ている。
「魔法でここから出られないんですか?」
「それが出来れば、最初からそうしている」
「たしかに」
彼の胸元で光るブローチは、Aランクの証である銀色に輝いている。そんな彼がどうにも出来ないのなら、私なんかに出来ることなど皆無だろう。
雨の日にはこの倉庫内自体を練習場として使うこともあるらしく、魔法を無効化するようになっているのだという。
しかもこの倉庫はあまり使われていないようで、いつ助けが来るかは分からない。打つ手ナシな上に時間を無駄にしたくない私は、鞄から本を取り出し勉強することにした。
「吉田さん、すみませんがここ、教えてくれません?」
「呑気か」
「退学目前の私には、時間がないんですよ」
「ああ、Fランクだからな」
私のブローチを一瞥すると、彼は鼻で笑った。
「どうして俺が、お前みたいなバカに勉強を教えなければならないんだ。それに吉田ではない」
「じゃあ名前、教えてください」
「Fランクに名乗る名などない」
「ねえ吉田さん、ここの問2なんですけど」
「…………」
けれどこのやり取りを2時間ほど続けた結果、諦めたのか暇すぎたのか、彼もヒントをくれるようになっていた。少し態度と口は悪いけれど、やはり良い人なのだろう。
気がつけば夕方になっており、小さな窓から差し込む光はオレンジ色になっていた。
流石の私も、少しずつ危機感を覚え始めていた。生徒は皆下校している時間だろう。倉庫内にトイレがなかったら、間違いなく死んでいた。
ここから出られるのはきっと、明日になる。彼もそう思ったのか、ちゃっかりマットで寝床を作り始めていた。
「なんか、ごめんね」
「……別にお前が悪いわけじゃないだろう」
「私がFランクだから虐められた訳ですし……」
「お前のせいじゃないか、ふざけるな」
そして密室で長時間二人きり、且つピンチに陥っているせいか、私達は友人の如く会話するようになっていた。
「吉田の家族、探しにきたりしないの?」
「そろそろ探してはいるだろうが、流石にこの場所に辿り着くのは難しいだろうな」
「そうだよね……」
あの家族のことだ、私は間違いなく探してすら貰えないだろう。そういや今日は、ユリウスとの練習の日だ。
予定を潰してしまって申し訳ないと思いながら、吉田から少し離れた場所に寝転がろうとした時だった。
ずるりと足元が滑りマットがずれたかと思うと、引っかかってしまったのか近くにあった棚がぐらりと傾いて。
「っ危ない!」
吉田が直前に私の腕を引いてくれたことで、なんとか棚の下敷きになることは避けられた。彼の腕の中でこれまたベタだなあと思いながら、お礼を言う。
そうして彼から離れようとした瞬間、ガラガラと重い扉が開く音と共に、「あーあ」という声が倉庫内に響いた。
……どうして彼が、ここにいるんだろう。
既に夜なのだ、間違いなく家にいるはずの時間だというのに。そう思いながら、入り口へと視線を向ける。
「俺との練習をサボって、男と密会とはいい度胸だね」
そこにはやはり、意地悪い笑みを携えた兄の姿があった。