可愛い子には旅をさせよと言うけれど 1
帰宅後兄の部屋を訪れ、ラインハルトから聞いた話をしたところ、ユリウスは「ああ」と笑みを浮かべた。
「体育祭でレーネに声を掛けた黒髪の奴でしょ? 可愛い妹と仲良くしないで、って言っただけだよ」
「ちょっと待って」
そんなことをさらりと言ってのけた兄は、それがどうかした? とでも言いたげな態度で、目眩がしてくる。
「どうしてそんなことするの? やめてよ」
「あんな下心見え見えの奴と仲良くさせるわけないじゃん。俺より強くないと許さないよ、って優しく言っただけであっさり諦めてたし。根性ないよね」
「ハードル高すぎない?」
ユリウスより強いというのが親しくする条件なら、学園の生徒の99%が条件を満たせなくなってしまう。
この兄に訳の分からない圧を掛けられてしまったのだ、突然避けるような態度を取られたのも納得だった。
「レーネもアレクシア先輩と勝負して勝って、ヨシダくんとの友情を認められたんでしょ? それと同じだよ」
「た、確かに……いやでも、おかしいような……」
そもそも姉や兄がいる場合、倒さなければ友人付き合いを認めてもらえないというルールは、一般的なのだろうか。よくよく考えると、他に聞いたことがない。
「挑戦すらしようとしない時点で、レーネのことは大して好きじゃなかったんだと思うな。俺と違って」
「……そうなのかもしれないけど」
俺と違って、を強調したユリウスは「ね?」なんて言いながら、私の頭を撫でている。
未だに浮いた話が一切ない私に対して下心を持ってくれる異性など、貴重だというのに。
このままではこの先、全てのフラグを兄にへし折られてしまう気がしてならない。
何よりダレルくんはこの世界では珍しい、黒髪黒目だった。そんな見慣れていた色に、私は懐かしさを覚えていたのだ。
残念だなと肩を落としていると、兄は眉を寄せた。
「なに? もしかしてああいうのも好きなの? アーノルドはまだしも、レーネの好みが分かんないんだけど」
「好みというより、黒髪黒目が素敵だなあと」
「それだけ? 俺も染めればいい?」
「えっ……重……」
「ほんと冷たいね、レーネちゃんは」
妹の好みに合わせて髪色まで変えようとする兄など、重すぎる。何よりユリウスは今のままで完璧だった。
「ほんと学生時代の恋愛くらい、好きにさせてあげようと思ってたんだけどな。普通に無理だった」
「…………?」
「ま、とにかくレーネには俺がいればいいよ」
やっぱりユリウスという人はよく分からないと首を傾げた私は、ふとクローゼットの前に大きな旅行鞄があることに気が付いた。
夏休み、領地へ行く際にも使っていたものだ。
「もう秋休みの旅行の準備してるんだ」
「来週だしね。寂しい?」
「たったの6日でしょ」
兄は秋休み、アーノルドさんを含めたクラスの友人達と6日間の旅行に行くことになっている。
そして私も吉田とヴィリーとエレパレスへ行き、アンナさんに会いに行く予定だ。私もそろそろ、こっそり準備を始めなければ。
「最終日はレーネも屋敷にいるんだよね?」
「そのつもりだよ」
ゲートを使えることになり移動時間が減った分、流石に3日もあれば屋敷へ戻って来れるだろう。
万が一、私よりも早く帰ってきては困るため、ユリウスには最終日以外は予定が詰まっていると話してある。
「その日は絶対、俺のために空けておいて」
「うん! あ、お土産交換もしないと」
ユリウスは秋休み、一緒に過ごすのを楽しみにしてくれていたというのに、断ることになってしまったのだ。
最終日くらいは兄妹水入らずで過ごそうと決める。私自身、兄と過ごす時間は大切にしたい。
「ま、レーネも楽しんでおいで。友達は大事だよ」
「ありがとう。今のなんか、お兄ちゃんぽいね」
「あはは、お兄ちゃんのフリも上手くなってきた?」
「なにそれ、へんなの」
◇◇◇
そしてあっという間に、秋休み初日がやってきた。
「行ってらっしゃい」
「良い子にしててね。浮気しちゃダメだよ」
「はいはい。気をつけてね」
私は朝から屋敷の門の前にて、ユリウスの見送りをしている。モノトーンのシンプルな私服姿も眩しくて、目がチカチカした。
そうしているうちに、門の前に一台の馬車が停まる。
「あ、レーネちゃんだ。おはよう」
「アーノルドさん、おはようございます! ……あっ」
馬車の中にはアーノルドさんだけでなく、Sランク美女であり公爵令嬢でもあるミレーヌ様の姿があった。
ミレーヌ様はふわりと微笑むと、それはそれは美しい声で挨拶をしてくださった。もしも私が男だったなら、一瞬で恋に落ちていたに違いない。
「見送りをしてくれるなんて、可愛い妹さんじゃない」
「でしょ? あげないよ」
「そう言われると欲しくなっちゃうわ」
「えっ……いいんですか」
「満更でもない顔しないでくれるかな」
「ふふっ、仲が良いのね」
どうやら今回の旅行は男女数人で行くらしく、想像するだけでも絵面が眩しすぎる。
ユリウスもなんだかんだ、旅行先でフラグを立ててきたりするのかもしれない。
「行ってらっしゃいのキスは?」
「アーノルドさんに頼んでください」
「うん、いいよ。おいで、ユリウス」
「……朝から気分最悪なんだけど」
安定のシスコンを拗らせた兄は、美女の前でもシスコンを隠す気はないようだった。
冗談でアーノルドさんに振ってみたものの、しっかり乗ってくれて、今のやりとりには前世での悪い癖でついときめいてしまった。
「よし、急がなきゃ」
その後、なかなか乗り込もうとしないユリウスを無理やり押し込み、馬車が見えなくなると私はすぐさま自室へと戻った。
このあとすぐ、吉田とヴィリーが迎えに来てくれることになっているのだ。急いでお出掛け用のドレスに着替え、ユリウスが買ってくれたお気に入りの帽子を被る。
「……これで大丈夫かな」
こっそり荷造りを終えていた鞄を持ち、再び外へと向かう。両親には友人の家で勉強合宿をする、という適当な嘘をついてある。どうせ心配されることも確認されることもないだろう。
やがて迎えが来て、御者に大きな鞄を預けヴィリーと吉田が乗る馬車に乗り込んだ。ヴィリーの隣は既にお菓子で散らかっていて、私は吉田の隣に腰を下ろした。
「迎えに来てくれてありがとう! 今回はよろしくね」
「おう! 任せろ!」
「頼むから余計なトラブルは起こすなよ」
ヴィリーも吉田も、お洒落な秋ファッションを着こなしている。吉田の服を選んでくれたであろう吉田姉に感謝しつつ、まずは王都の街中にあるゲートへ向かう。
そこからエレパレスの中心街へ移動し、パーフェクト学園に突撃する予定だ。アンナさんに会い、いろいろなことを知ることができると思うと、緊張して昨晩はあまり寝付けなかった。
パーフェクト学園には秋休みはなく、今日も普通に授業が行われているはず。そのため、放課後に校門前でアンナさんを待ち伏せするつもりでいる。
セシルに言っては止められたり嫌がられたりする可能性もあるため、内緒にしてあった。
とにかくささっと必要なことを聞き出し、今日の晩は三人でご飯が美味しいと噂の街中のホテルに泊まり、翌日は観光をして夕方に王都へ戻ってくるのが理想だ。
緊張を解そうとついついお喋りになってしまう私と、冷静に突っ込んでくる吉田を見て、ヴィリーは楽しそうに笑っている。
「それにしても、ほんと仲良いよな。クラスだって性格だって全然違うのに、どうやって知り合ったんだ?」
「私と吉田が出会ったのは、10年前の春。桜舞い散る丘で、私の飛んでいった帽子を拾った吉田少年が『桜の木の妖精かと思った』って言って──」
「存在しない記憶を語るな」
こうして私とヴィリー、吉田の三人旅が幕を開けた。




