音楽祭と運命の恋 4
4章最終話です。
演奏の合間の十分間の休憩中、ユリウスと他愛ない話をしながら私はふと、昼休みのことを思い出していた。
「やっぱり、私も政略結婚させられるのかな」
「どうしたの? 急に」
「だって、お父様は私の希望なんて絶対に聞いてくれないし、貴族ってそういうものなんでしょ?」
だから、手に職をつけて逃げ出すことも考えていると言ったところ、兄はそんなことかとでも言いたげな表情を浮かべた。
「絶対にそんなことさせないから大丈夫だよ」
「えっ?」
「レーネを他の男と結婚させるわけないじゃん」
当たり前のように、ユリウスはそう言って笑う。シスコンでハイスペの兄がそう言い切ってくれると、なんだか本当に大丈夫な気がしてくる。
「本当に?」
「うん。俺が全部から守ってあげる」
そんな言葉にやはりどきりとしてしまったけれど、流石に不可抗力だ。私は悪くない。
「だから勝手に家出なんてしないでね。したとしても、絶対に見つけ出すけど」
「ふふ、なにそれ。でもありがとう」
本当にユリウスはどんなことからも守ってくれそうで、すっかり安心してしまう自分がいた。
その後も二人で演奏を聴いていたけれど、やがて順番が近づいてきたようで、兄はぐっと両腕を伸ばした。
「ユリウスのヴァイオリン、楽しみにしてるね」
「……ねえ、頑張ったらご褒美くれる?」
「ご褒美? 私にできることなら、別にいいけど」
先日も何かプレゼントでもして、普段兄が良くしてくれるお礼をしたいと考えていたところだったのだ。
だからこそ、私は即答したのだけれど。
「ありがとう。じゃあ最優秀賞とったら、キスしてね」
「……なんて?」
「レーネはお子ちゃまだし、頬でいいよ」
「ちょっと待って」
何を血迷ったことを言っているのだろうか。絶対に無理だと言ったところ、ユリウスは肩を竦めてみせた。
「じゃあ、ハグでいいよ。俺って優しいな」
「いやいや」
けれどハグぐらいなら普段もされているような気がするし、家族なら普通のスキンシップなのかもしれない。
そう思った私は日頃お世話になっていることもあり、それくらいなら、と頷いた。最初のキスの衝撃的のせいで大したことに思えなくなっているのは、うまく丸め込まれている気がしてならない。
「ありがとう。よく見てて」
それだけ言うとユリウスは立ち上がり、私の頭を撫でて舞台へと向かった。いちいちイケメンで困る。
隣に兄がいなくなるだけで急に寂しく感じつつ、それから少しして、ユリウスの番がやってきた。
「……ほんと、かっこいいなあ」
ステージの上、スポットライトの下でヴァイオリンを奏でるユリウスは、驚く程に眩しくて格好良かった。
ヴァイオリンのことなんて何も分からない私でも、頭ひとつ抜けた素晴らしい演奏だというのは分かる。
何でもできて誰よりも格好良くて、私にだけ優しい。心地良い音色を聴きながら、そんなユリウスが自分の中で大きな存在になっていることを、私はあらためて実感していた。
◇◇◇
無事に音楽祭は終わり、ユリウスは本当に最優秀賞をとってしまった。本来なら喜ぶべきところだけれど、その日の晩、兄の部屋に呼び出された私は困惑していた。
「はい、レーネちゃん。どうぞ」
ユリウスはソファの上に座ったまま、両手を広げている。私が想像していたハグとは、なんだかかなり違う。
私的にはこう、立ったままちょっとぎゅっとするだけかと思っていたのだ。この場合、ユリウスの膝に乗った上で、抱きつくことになってしまう。
こんなもの、ハグではなくバグだ。おかしい。
「あの、立ってもらっていい?」
「頑張りすぎて、もう動けないんだ」
「…………」
爽やかな笑顔を浮かべ、そんなことを言ってのけたユリウスは絶対に譲る気はなさそうだった。
その上、「早く」と急かされてしまい、私は仕方なく側に近づく。けれど、兄とは言え男性の膝の上に自ら乗ると言うのは、私にはハードルが高すぎる。
そうしてなかなか動けずにいると、不意にユリウスの腕が伸びてきて、ひょいと身体が浮いた。
「レーネは本当に手がかかるね」
「えっ? わっ」
そのまま抱き上げられ、ユリウスの膝の上に乗せられる。ぎゅっと抱きしめられるのと同時に、甘くて優しい香りに包まれた。
「……あったかい」
「あはは、レーネもあったかいよ」
他人の体温というのがこんなにも温かくて心地良くて、安心するものだなんて、私は知らなかった。
それを伝えてみたところ、ユリウスはくすりと笑う。
「俺だからだよ」
「えっ?」
「誰にでもそんな風に感じるはずがないじゃん。試してみたら分かると思うけど、その相手は殺すかな」
「何を言ってるんですか?」
突然、物騒なことを言う兄はやっぱりシスコンを拗らせていると思いながらも、思わず笑みが溢れた。
「ねえ、レーネ」
「うん?」
「何があっても、俺のことを嫌いにならないでね」
突然どうしたんだろうと思いつつ、私はきっともう、ユリウスのことを嫌いになんてなれない気がする。
「大丈夫、絶対にならないよ」
「本当に?」
「うん。ずっと好きでいる」
「……今、それはずるいかな」
そう言って、ユリウスは私を抱きしめる腕に力を込める。きっとこれは、兄妹の距離感としては間違っているに違いない。
けれど嫌だなんて思えない私もきっと、とっくにブラコンになってしまっているのだろう。
ユリウスや大好きな友人たちに囲まれて、こんな穏やかで幸せな日々がずっと続くといいなと思った。
「……ユリウスが、攻略対象?」
それから二週間後、全てを知るまでは。