音楽祭と運命の恋 2
「あれ、もしかしてレーネが俺の隣?」
K02と書かれた紙を片手に現れたのは、なんとユリウスだった。
その整いすぎた顔を見た瞬間、思わずほっとしてしまう。もしもゲームイベントだった場合、この時点で一番好感度が高いキャラクターが現れるはずだからだ。
けれど、音楽祭という大きな行事にて数百分の1の確率でこんなわざとらしい席に座らされ、ゲーム本編には関係が無いなんてことがあり得るだろうか。
正直、あり得ない気がした。絶対にイベントだ。
今の時点で確実な攻略対象は王子とアーノルドさんのみで、会話量で言えばさほど多くはない。
全員の好感度がイマイチでノーマルエンドの道を突き進めているのかもという期待もありつつ、そうなるとイコール攻略対象の好感度である魔力量が一気に増えたことが矛盾してしまう。
「……やっぱり、分からないことが多すぎる」
結局のところ、アンナさんに聞くしかないだろう。
けれど同時に、吉田がここにいないことにも安堵していた。私の好感度が一方的に爆上がりしているだけとは言え、一番交流のある異性の彼がここにいないということは、本格的に攻略対象ではない可能性が高い。
吉田のことは愛しているものの、ゲームの強制力なんかで突然好きだと言われたり壁ドンをされたりしては困る。何より吉田だって嫌だろう。ズッ友でいたい。
「でもそれなら、どうしてユリウスがここに……攻略対象全員が一定の好感度に達していないと、サブキャラが来る仕組みとか? いやでも──……」
「どうしたの? 難しい顔して」
「わっ! び、びっくりした」
つい考え込んで独り言を呟いてしまっていた私の顔を、いつの間にかすぐ側まで来ていたユリウスが覗き込んでいた。慌てて謝り、どうぞと隣の席を勧めてみる。
ユリウスは「ありがとう」と笑うと、腰を下ろした。並んで座ってみて気付いたけれど、他の座席に比べて明らかに距離が近い気がする。やはり不純だ。
「噂には聞いてたけど、まさかここに座る日が来るとはね。本当に周りからは死角になってるみたいだし」
「ね、やけに近いし暗くない?」
「確かに。たくさんいちゃいちゃしよっか」
「アウトです」
色々と考えて少しシリアスになってしまったものの、普段と変わらない様子の兄にやはり安堵してしまう。
「でも、ここに来たのがユリウスで良かった」
「……どうして?」
「こんな密室みたいな場所に二人きりだなんて、異性だったら落ち着かないどころか怖いし」
そう告げたところ、ユリウスは一瞬だけ驚いたようにアイスブルーの両目を見開いた。
「喜んでいいのかな、それ」
「多分……? ユリウスといると安心するもん」
いつだってピンチの時に助けてくれるのは兄だった。宿泊研修の時なんて、ユリウスが駆けつけてくれなければ普通に死んでいた可能性だってある。
そんなことを考えていると、ユリウスはやがて困ったように小さく微笑んだ。
「ありがとう。光栄だな」
「こちらこそ大変お世話になっております」
「あはは、まあ俺が一番怖いと思うけどね」
「えっ?」
◇◇◇
それからすぐに始まった音楽祭はつつがなく進行し、あっという間に私の出番を迎えた。舞台袖でペアであるモーゼスくんと待機しながら、アーノルドさんに教えてもらった手のストレッチをする。
「ウェインライトさん、緊張してなさそうだね」
「ううん、すっごくしてるよ」
「本当に? 全然そう見えなかった」
「緊張はしてるけど、それ以上に楽しいんだと思う」
全校生徒と招待客で埋まる大きなホールのステージに立つのは、かなり緊張してしまう。思い返せば前世でも私の人生の中で、これほど大勢の人の前に立つ機会なんてなかったのだ。
けれど過去の私は勉強や仕事以外に打ち込むことだって、一切なかった。そう思うと、全てが楽しくてドキドキして眩しくて、ワクワクしてくる。あれだけ一生懸命練習したという事実も、私を支えてくれていた。
「それなら良かった。思い切り楽しもうな」
「うん!」
──結果、モーゼスくんが私に合わせてくれたお蔭もあり、なんとかミスなく演奏を終えることができた。
眩しいスポットライトの中、深く頭を下げるのと同時に割れんばかりの拍手がホール中に響く。これらが自分に向けられていると思うと、目頭が熱くなった。
泣かないように、ぐっと唇を噛む。この世界に来てからというもの、私は泣き虫になった気がする。
辛いことがあっても泣いたりなんてしなかったのに、嬉しくて泣く日が来るなど想像すらしていなかった。
「おかえり。すごく良かったよ。頑張ったね」
「あ、ありがとう……!」
そうして出番を終えて座席へと戻ると、ユリウスが拍手をして出迎えてくれた。
「変な顔してどうしたの」
「な、なんか感極まっちゃって、泣きそうなのを必死に堪えてるところ」
「そっか」
ひどく優しい笑顔を向けられ、よしよしと頭を撫でられたことで、余計に泣きそうになってしまう。胸を貸そうかと言われたけれど、今この場所で抱きつくのはなんだか笑えない気がした。
その後は一年生の演奏が続き、吉田やジェニーの演奏も素晴らしいものだった。
これからもピアノは続けたいなあなんて思いながら、心地よい音楽に耳を傾ける。そんな私の手を、ユリウスは当然のようにずっと握ったままだった。
やがて昼休憩になり私はこそこそと席を抜け出し、テレーゼとともに昼食に向かう。
「本当に素敵な演奏だったわ。お疲れ様」
「ありがとう! そう言ってもらえて嬉しい」
今日は全学年の生徒が同時に動くため、かなり混むだろうと予想し、Aランク以上の食堂へと連れて行ってもらうことになっている。いつか私も高ランクになって、さらりと誘えるようになりたい。
流石に広く豪華な食堂も混み合っており、座席を探していたところ、後ろからポンと肩を叩かれた。
「あ、セオドア様、こんにちは」
「…………」
「どうかされたんですか?」
なんと振り返った先にいたのは、王子だった。
今日も眩しいと思いながら安定の無言である彼の指差す方向を辿ると、そこにはメニュー片手に広いテーブル席に腰掛ける吉田の姿があった。
「あ、吉田はチキンセットとサンドイッチセットで悩んでいるみたいですね。フフ、愛い奴」
「…………」
「レーネ、セオドア様は多分──」
「えっ?」
一体どうしたんだろうと首を傾げている私に、テレーゼが何かを言いかけた瞬間、王子に手を掴まれていた。