音楽祭と運命の恋 1
メイドにお茶の準備をさせた後、ユリウスは私の分まで砂糖を入れてくれる。淹れたてのローズティーを飲めば、その温かさに疲れが解けていくような気がした。
驚くほど香りが良くて美味しくて、すぐに再びティーカップに口をつける。そんな私を今日もぴったり隣に座るユリウスは、にこにこと見つめていた。
「レーネ、美味しい?」
「うん。すっごく」
「良かった。隣国から取り寄せた甲斐があったよ」
「えっ」
一体、いつの間に。今日も兄は私に甘すぎると思いながらお礼を伝えたところ、「いーえ」と眩しいくらいの笑みを返される。
テーブルの上に並ぶお菓子だっていつも私の好きなものばかりで、何かユリウスにお返しをしたいと思った。お小遣いで何かプレゼントでもしようか、もしくは手作りのお菓子でもいいなあ、なんて考える。
その後はいつものように他愛ない話をしていたけれど、私はふと放課後の会話を思い出していた。
「ねえ、去年の音楽祭の座席ってどうだった?」
「同じ学年の女子が隣だったよ」
「えっ」
あの兄と並んで座った相手のこと、そしてどんな感じだったのかが気になって仕方ない。ティーカップをソーサーに置き、つい前のめりで聞いてしまう。
「ど、どんな人なの?」
「クラスメイトの公爵令嬢」
「……あ」
もしかすると以前、兄が食堂で一緒にいたSランクの金髪美女だろうか。
『それにしてもあの女の人、すっごい美人だしオーラがあると思わない?』
『彼女は公爵令嬢だもの』
テレーゼとそんな会話をし、あんな美女が義姉だったらいいのになんて思った記憶がある。このハイスペ兄に釣り合うのはきっと、あれくらいの女性に違いない。
「お名前はなんて言うの?」
「ミレーヌだけど」
「ミレーヌ様……一緒に座ってどう思った?」
「どうって、別に何も。ああ、ミレーヌは音楽に詳しいから解説は面白かったかな」
「なるほど……」
美女はやはり名前の響きまで美しい。なんだか色々と気になりすぎて、インタビューのようになってしまっている。
兄がこうして女性の話をしてくれるのは珍しく、ミレーヌ様に対して良い印象を持っていることが窺えた。二人が並んで座り、にこやかに会話をしながら音楽鑑賞をしている姿を想像すると、眩しくてたまらない。
「なに? レーネちゃん、やきもち?」
「いや、お似合いだなって思って」
「は?」
素直に答えたところ、笑顔だったユリウスは一瞬にして不機嫌さを露わにした。
「ねえ、わざとやってる? それ」
「えっ? 思ったことをそのまま言っただけで」
「もう喋らなくていいよ」
ぐいと肩を押されてソファの背もたれに沈んだ私の顔を、ユリウスは斜め上から見下ろしている。ガラス玉のような美しい瞳に映る私は、間抜けな顔をしていた。
「俺はお前にしか興味がないって、何回言えばいい?」
「そ、そへはほんほうひおはひいほほほふんへふ」
「あはは、何言ってるかわかんないけど可愛いね」
頬をぎゅっと掴まれ宇宙語を話す私を満足げに見つめる様子は、妙にサイコパス感があった。怖い。ようやく解放された私は、頬を押さえながら身体を起こす。
「ユリウスは将来、お父様が決めた相手と結婚するんでしょ? いつまでも妹ばかり構うのは」
「俺はレーネと結婚するよ」
「話聞いてる?」
これは子供が将来、パパと結婚する! 的なやつの亜種なのだろうか。兄が一体どこまで本気なのか冗談なのか、私にはさっぱり分からない。
「兄妹で結婚はできません」
「ふうん、それなら法律を変えればいいんじゃない?」
「えっこわ……」
シスコン、ここに極まれり。ユリウスくらいになると本気でやってのけそうだと思いながら、私は笑えないシスコンジョークを受け流した。
◇◇◇
そしていよいよ、音楽祭の当日を迎えた。
『レーネちゃん、すごく良かったよ。たくさん頑張ってくれてありがとう』
『こ、こちらこそ……! アーノルドさんのお蔭で、ここまで……うっ……』
練習の最終日、完璧に演奏しきった私をアーノルドさんは優しく抱きしめてくれた。走馬灯のように辛かった練習の日々が脳内を駆け巡り、つい泣いてしまった。
アーノルドさんだって忙しいはずなのに、毎日のようにこのヘタクソなド素人の練習に付き合ってくれたのだ。感謝してもしきれない。
『あの、アーノルドさん。今度、何かお礼を』
『レーネに色々教えてくれたお礼に、アーノルドが欲しがってた本、手に入れといてあげる』
『えっ、いや私が』
『本当に? 嬉しいな、諦めてたんだよね』
そこにずかずかと入ってきたユリウスは私達を引き剥がし、アーノルドさんの頭をぺしりと叩いた後、何故か私の代わりにお礼をすると約束していた。
ちなみにその本の値段を聞いた私は、あまりの値段に言葉を失い、もう何も言えなくなった。
「ええと、席はKの01……ん?」
登校後に配られた座席表を手に、ホール内を歩いていく。意味深な英数字の並びに、嫌な予感がする。
映画館のように壁や椅子に書かれた文字を頼りに座席を探し、やがて私は足を止めた。
「う、うそでしょ……」
この妙に小高い場所にある壁に挟まれた怪しい席はまさか、例のデスティニーシートではないだろうか。
何度確認しても、K01はここだった。逃げ出したい気持ちを必死に抑えながら、おずおずと座席へ向かう。
「今年の運命の女子はあいつらしいぞ」なんて声が聞こえてきて、余計に辛くなる。運命の女子ってなに?
着席した私は早速頭を抱えた。とは言え、死角になっているせいで、もう周りからは私の姿は見えないのだ。休憩時間も立ち歩かずにいようと、固く決意する。
空席のままの隣の席を見つめていると、一体どんな人が来るのだろうと緊張してきてしまう。そもそも私はヒロインなのだ、恋愛イベントの可能性もあると気付く。
──もしかすると、ここに座るのは攻略対象かもしれない。そう思うと、心臓の音が更に大きくなっていく。
「…………えっ?」
やがて座席へとやってきた人物の顔を見た瞬間、私の口からは間の抜けた声が漏れた。