どうしてそうなった 4
「ユリウス、何であんなに機嫌悪かったの?」
「そう見えた?」
全ての授業が終わった後、アーノルドは空いていた前の席に腰掛け、首を傾げた。その仕草を見ていたらしい後方の女子生徒からは、小さな悲鳴が聞こえてくる。
クラス替えから数ヶ月が経つというのに、女子生徒達は未だに俺達の一挙手一投足に悲鳴を上げるのだ。レーネもたまには同じ反応をしてくれないかな、なんて思ってしまう。
「それはもう。アンディ先生、半分泣いてたよ。ユリウスはずーっと外を見てるけど、注意も出来ないしなんか怖いし」
「あとでフォローしとく」
そうした方がいいよとアーノルドは微笑むと、窓の外へ視線を向けた。そこにはもう、ふたつの人影はない。
「もしかして、外にレーネちゃんでもいた?」
「そう。授業をサボって男と抱き合ってた」
「あはは、それは不機嫌にもなるね」
授業中、何気なく窓の外へと視線を移せば、そこには見間違えるはずもないレーネとラインハルトの姿があった。
その様子から、何らかのトラブルがあったことは見て取れたものの、二人が抱き合っている姿を見た瞬間、今すぐに引き剥がしに行こうかと本気で思った。
「そう言えば、レーネちゃんに全部話したの?」
「話したように見える?」
「ごめんね、分かってて聞いた」
あはは、と楽しそうに笑うアーノルドは「どうして?」と先程とは反対の方向にこてんと首を傾げた。
「レーネは家族が恋しい時期みたいだから」
「それだけ? ユリウスってそんなに優しかったっけ」
アーノルドは眩しいくらいの笑みを浮かべ、俺を見つめている。やはり、分かっていて聞いているに違いない。
きっと、今の関係に安心しきっているのは俺も同じだ。何より、兄じゃなくなった俺を変わらず受け入れてくれるのかという不安や恐怖も、少しだけあるのかもしれない。
らしくないなと思いながら、鞄を手に取る。このままでは本当に絆されきってしまいそうなのが、一番怖かった。
「あ、俺も一緒に行こっと。レーネちゃんに会いたいし」
「勝手にすれば」
そうして俺はアーノルドと共に、どうしようもない浮気症のかわいい妹の教室へと向かったのだった。
◇◇◇
ラインハルトとの話を終えて教室へと戻ると、全てが丸く収まっていた。テレーゼを中心に、クラスメイト達が一丸となり口裏を合わせてくれたらしい。
教師からの信頼度の低い私だけならば、間違いなく大事になっていたに違いない。あらためて皆に深く感謝する。
そしてそんな私は今、吉田と王子の教室を訪れていた。
「なんか、すごい視線を感じるんだけど……」
「お前を奪い合う男達が命を賭けた戦いをしていた、という噂が広まっているらしいな」
「そんなことある?」
これ以上ないくらい、話が歪曲されている。どこのヒロインだと思ったけれど、そういや普通に私はヒロインだった。
周りからは好奇の眼差しを向けられていて、なんだか落ち着かない。まあ、人の噂も何日と言う言葉もあるし、そのうち皆忘れるだろうと気にしないことにする。
「それでお前は何故、ここで机に頭を打ち付けている?」
「打ち付けているのではなく、頭を下げて教えを請うているのです。吉田は見た目通り、ピアノがお上手と聞きまして」
「どんな見た目だ」
先ほど実は、音楽祭の役割決めをしたのだ。なんと大きなホールで全校生徒や招待客の前での演奏をすることになるらしく、皆が嫌がり立候補者は現れなかった。
その結果、安定のくじ引きとなり、不運で定評のある私はしっかり当たりと言う名のはずれを引いてしまったのだ。
そして私はクラスメイトの男子生徒と共に、ピアノとヴァイオリンで二重奏をすることになった。ピアノの経験などない私は吉田の元へと駆け込み、今に至る。
「吉田っていつからピアノをやってるの?」
「幼い頃から、上の姉に教えられていたんだ」
夏休みにお会いしたアレクシアさんは、吉田家の次女だ。長女であるお姉さんにも、是非お会いしてみたい。そうお願いしたところ、当たり前のように「家に来ればいいだろう」なんて返事が返ってくる。
その自然さに吉田との友情が深まっていることを再確認した私は、近々再び吉田邸を訪れることとなった。好きだ。
「すまないが、俺も音楽祭に出るんだ。合わせ練習も多くなるだろうし、お前に教えられる時間はなさそうだ」
「そ、そんな……!」
とは言え、こればかりは仕方ない。何よりピアノを弾く吉田を見られると思うと、とても楽しみだった。
テレーゼも楽器はあまり得意ではないと言っていたし、一人での練習も限界はあるだろう。どうしようかと頭を抱えていたところ、不意に教室内に黄色い声が響いた。
「お前の兄と、アーノルド先輩じゃないか?」
「えっ?」
そんな言葉に顔を上げれば、ドアからこちらを見ているユリウスとアーノルドさんの姿がある。
同時に、先程ラインハルトと抱き合っているところを兄に見られたことを思い出し、冷や汗が流れた。吉田に音楽祭の演奏を楽しみにしていると遺言を伝え、兄の元へと向かう。
やがてユリウスは笑顔のまま、俯く私の顔を覗き込む。顔が綺麗すぎると、妙な迫力があるから困る。
「レーネちゃん、教室に居ないと思ったらまーた別の男のところにいたんだね」
「い、いえ……音楽祭のピアノの指導を頼みに……」
そうして事情を説明すれば、兄の隣にいたアーノルドさんが「俺が教えてあげるよ」と言い出した。
「ピアノは一番の特技なんだ。任せてほしいな」
「……やめた方がいいと思うけどね、俺は」
申し出は非常にありがたいものの、土魔法や乗馬といった過去のアーノルド教室を思い出すと不安で仕方ない。
ユリウスも同じ気持ちなのか、私の首にきつく腕を回しながら、そう呟いた。それでも他に頼める人もいない私は、三度目の正直だと今回もお願いすることにする。
「アーノルドさん、よろしくお願いします」
「うん。がんばろうね」
ふわりと微笑む姿は、今日も眩しい。あまり上達はしないかもしれないけれど、穏やかで優しいアーノルドさんとの練習はきっと、ほのぼのとした平和な時間になるだろう。
「ねえ、レーネちゃん。その部分、今違うって言ったばかりだよね? うーん、頭で覚えられないのなら指で覚えるしかないのかな。ここだけ100回繰り返そうか」
「あっ……スミマセ……」
「間違えたら1から数え直すからね」
──そう思っていた頃が懐かしくなるくらい、私は地獄のようなスパルタ指導を受けることになる。