初めての魔法
「どうしてお兄様は、あんたばかり構うのよ……!」
夕食を終えた後、可愛らしい顔を歪めたジェニーが追いかけてきたかと思うと、物陰に引っ張り込まれて。
彼女は私を突き飛ばし、忌々しげにそう言ってのけた。ちなみにそれは、こっちが聞きたいくらいだ。
「あんたさえいなければ、今すぐにでもお兄様は私のものになるのに、本当に邪魔な女ね」
「…………?」
ジェニーのことは少し性格が悪いくらいだと思っていたけれど、ユリウスに劣らないレベルかもしれない。絵に描いたような嫌な女キャラだ。
そして何故、私がいなければユリウスがジェニーの物になるのだろう。そこまで二人の間を邪魔した覚えはないし、今の私が彼女に勝っている部分などほとんどないというのに。
「どうせFランクから上がるのなんて無理なんだし、さっさと退学にでもなって消えてくれない?」
「えええ……」
「これ以上邪魔するようなら、私にも考えがあるから」
そこまで言われ、流石の私もかちんと来てしまった。
様子を見ている限り、私がいてもいなくてもユリウスのジェニーに対する態度は変わらない気がするのだ。
「人のせいにするの、やめてくれない?」
「なっ……」
そう言った数秒後、ジェニーによって頬を叩かれていて。つい私も、彼女の頬を叩き返してしまった。
彼女の長い爪で少し切れてしまったのか、じんじんとする頬には、ぴりっとした痛みも感じる。
「っ何すんのよ!」
「これでおあいこでしょ」
彼女は赤くなった頬を押さえ、信じられないという表情を浮かべていたけれど。やがてこちらへと手を伸ばしたかと思うと、その手のひらからは柔らかな温かい光が溢れた。
同時に、頬の痛みが一気に引いていく。
「……絶対に、許さないから」
それだけ言うと、ジェニーはふわふわの可愛らしいドレスを翻し、去って行った。文句などユリウスに言えばいいものの、八つ当たりにも程がある。
深い溜め息を吐き、部屋へと戻る。ふと鏡を見たところ、頬には叩かれた跡ひとつ残っていない。
先程の光は、彼女の治癒魔法だったのだろう。もしかすると、あんな口ぶりだったものの叩いてしまったことを後悔しているのかもしれない。可愛いところもあるじゃないか。
明日の朝、私も叩き返してしまったことを謝ろう。そう決めて、私は魔法学の本を開いたのだった。
◇◇◇
「おはよう」
「ふわあ、おはよ」
翌朝、今日もばっちり身支度を終えて部屋を出ると、ユリウスに出会した。少し眠たげな表情すら、絵になっている。
「今日から、よろしくお願いします」
「うん。お前には頑張って貰わないといけなくなったし」
「どういうこと?」
「さあ?」
相変わらず、訳が分からない。けれど、しっかり指導はしてくれるようで安心した。今日ユリウスは早めに登校するらしく、もう家を出るようだった。
そのまま朝食をとるために食堂へと足を運ぶと、なんとも言えない空気が漂っていることに気が付いた。特に義母からは、刺さるくらいの視線を向けられている。
一体何があったのだろうと思いながら、席に着く。
「レーネ、昨晩ジェニーの頬を叩いたらしいな」
そして開口一番、父に言われたのがそれだった。
すぐに隣のジェニーの頬を見れば、真っ白な肌には未だに赤い跡がある。昨晩叩いただけで、こうなるものだろうか。
「確かに叩きましたが、先に叩いたのはジェニーの方です」
「っどうして、そんな嘘をつくんですか……?」
「えっ」
どうやら、私が一方的に彼女を叩いたことになっているらしい。私の頬は無傷で、彼女の頬は腫れている。そして私が彼女を叩いたこともまた、事実なのだ。なんという罠。
何より、気が付いていた。父はレーネよりも、ジェニーを可愛がっているのだと。出来の違いや過去のレーネの様子を聞く限り、仕方ないのかもしれないけれど。
だからこそ皆、ジェニーを信じてしまうのだろう。
あの一瞬でここまで考えて治癒魔法を使ったなんて、策士すぎる。感心すらしてしまう。そもそも、治癒魔法が使えるのならばさっさと頬を治せと、誰か突っ込んでほしい。
もう何を言っても無駄だろうと思いつつも「ジェニーが先に叩いてきたんです」とだけ言うと、私は義母の文句をBGMに黙々と食事をとり、さっさと食堂を後にした。
朝から災難だったけれど、気持ちを入れ替えて今日もハートフル学園の校門をくぐる。
「おはようございます」
「…………」
そして今日も、セオドア王子に挨拶は欠かさない。やはり彼は一瞬こちらを見るだけで返事はないけれど、気にせずに再び校舎へと歩みを進めた。
悪口は絶えず聞こえてきていたけれど、直接言ってくる上にビンタまでしてくるジェニーに比べれば可愛いものだ。
そんな本日最初の授業は、なんと屋外での魔法の実践練習で。魔法の使い方など何ひとつ分からない私は、一人外へと移動しつつ冷や汗をかいていた。
「それでは二人一組で、ペアを組んでください」
その上、教師からはぼっちへの死刑宣告をされた。
周りが次々とペアを組んでいく中、こうなれば余った人は先生とペアで個別指導という展開を期待していたけれど。
「私と組まない?」
「えっ」
なんと、隣の席の美女が私に声をかけてくれたのだ。美しく賢く完璧な彼女は、ぼっちを助けてあげようという優しさまで持ち合わせているらしい。まるで女神だ。
そして何より、嬉しかった。学園に来てからというもの、兄以外の生徒に普通に話しかけられたのは初めてだった。お礼を言いつつ、改めて自己紹介をする。
「レーネ・ウェインライトです。よろしくお願いします」
「私はテレーゼ・リドル。よろしく」
周りからは「どうして、テレーゼ様がFランクと……」という声が聞こえてくる。やはり彼女は憧れの的らしい。
軽く準備体操をしながら、何故私に声をかけてくれたのかと尋ねれば、彼女は同性ながらどきりとしてしまうような美しい笑みを浮かべた。
「貴女が、変わろうとしていたから」
「えっ?」
「それだけよ」
よく分からないけれど、やはり嬉しかった。私が変わろうとしていることを、彼女は気付いてくれていたのだ。
「私からやるわね」
「はい、お願いします」
どうやら今日の授業は少し離れた場所にある的に、魔法を当てる攻撃の練習らしい。
テレーゼさんは氷魔法が得意なようで、真っ直ぐに手をかざすと、彼女の周りには一気に氷の塊が複数現れた。そしてそれらは正確に的に打ち込まれる。
やがて的の上部には92という数字が表示された。その威力や正確さから、採点されるのだという。
辺りを見回すと炎や水など、皆それぞれの魔法を繰り出しては的に当てていく。けれど60から70点台ばかりで、テレーゼさんがどれほど凄いのかが窺える。
私はと言えば、当たり前のように魔法が存在しているだけでも、ドキドキワクワクしてしまっていた。そして何より、自身も魔法が使えるのかと思うと、胸が弾んだ。
「やり方は分かる?」
「すみません、分からなくて」
「そう。一番発動しやすいのは火魔法だから、まずは火魔法を使ってみるといいわ。発動時に、自身のイメージしやすい言葉を使ったりする人もいる」
とにかく慣れていくうちに、感覚で発動できるようになるのだという。イメージしやすい言葉と言うと、火魔法ならベタなファイヤーボールとかだろうか。
とは言え、流石にそれを声に出すのは恥ずかしい。今度格好いい言葉を考えようと思いつつ、私は結局手のひらを的に向け小声で「ファイヤーボール」と呟いた。
するとポワッと小さな小さな火の粉が現れ、それはふらふらと的へと向かっていく。
あまりに頼りないその不安定な動きに、初めてのおつかいを見守るような気持ちになってしまう。
「あ、当たった……!」
やがて火は的の端に、ポンと当たって消えた。私は自身が魔法を使えたこと、的に当たったことでこれ以上ないくらいに大興奮していたのだけれど。
表示された点数は、3点だった。周りからは笑い声が聞こえてくる。テレーゼさんも流石に吹き出してしまっていた。
「これから、頑張りましょうか」
「はい……」
やはり長く険しい戦いになると実感しつつ、私はこれ以上ないくらいのワクワクとやりがいを感じていたのだった。