変化とともに
アンナさんからの恐ろしい手紙が届いてから数日が経ち、私は新学期の朝を迎えた。大切な兄や友人達と過ごすことができたお蔭で、沢山の素敵な思い出ができた夏休みだった。
衝撃の事実を知ってしまったため、正直終わりはあまり良くなかったものの良しとする。
あの後、絶対に死んでたまるものかとやる気満々になった私は、今後の計画を立てつつ授業の予習に励んでいた。くよくよしている時間なんて、勿体ない。
久しぶりの制服に袖を通し、気合を入れて髪のリボンをきゅっと結ぶ。レーネは今日も抜群に可愛い。
「あ、おはよ。レーネちゃん」
「おはよう」
そうして部屋を出たところ、ユリウスに出会した。兄の制服姿も久しぶりだけれど、今日も悔しいくらいに眩しい。
以前は日毎にピアスを変えていたのに、今は常にその耳元では私とお揃いのものが光っていて嬉しくなった。もちろん私もずっと、ユリウスと同じピアスを身に付けている。
「久しぶりの制服もかわいいね」
「ユリウスこそかっこいいよ」
「ありがとう。お兄ちゃんのこと、好きになっちゃった?」
「もともと好きだけど」
「…………はあ」
そう返事をすると、ユリウスは一瞬きょとんとした表情を浮かべたあと、深い溜め息を吐いた。そして何故か、私の両頰をぎゅっと片手でタコのように掴む。
「ほんとむかつくね、お前」
「らんれ」
「ま、いいや。30分後に馬車で待ち合わせね」
褒めただけなのに、何故か怒られてしまった。
どうやら一緒に登校するのは確定事項らしく、兄はそれだけ言うと私から手を離し、そのまま廊下を歩いて行く。
「……へんなの」
やはり凡人の私には、ユリウスという人間は理解しきれない。少し乱れてしまった髪を整えながら、食堂へと向かう。
すると、そこには同じく制服に身を包んだジェニーの姿があった。そういや両親は昨晩、何やら問題が起きた領地に急ぎ戻ると言っていたことを思い出す。
「おはよう」
「…………」
もちろん挨拶をしてみても無視だった。先ほどの様子を見る限り、ユリウスはすでに朝食を終えたのだろう。
ジェニーと二人きりの朝食だなんて朝からカロリーが高すぎると思いながらも、仕方なく席に着く。料理が運ばれてくる間、何気なく向かいに座るジェニーへと視線を向ければ、今日も悔しいくらいに整いすぎた顔をしていた。
まるで、フランス人形が動いているようだ。そんな全然上手くもなんともない喩えをしながら思わず見惚れていると、ジェニーは顔を上げ、私を睨みつけた。
「……なに見てるのよ」
「顔が可愛いなと」
「は? 自分はお兄様に可愛がられてるからって、余裕を見せつけてるつもり?」
「いやいやいや」
またもや、褒めただけなのに怒られてしまった。
もう何を言っても喧嘩になると思った私は、目の前に置かれたばかりの焼き立てのパンを食べ始める。やはりジェニーとは関わらないのが一番だろう。
そう思ったものの、ジェニーは私から視線を外さない。
「ついこの間まで、私の顔すら見れなかったくせに」
「あ、そうなんだ」
「お兄様にだって最低な態度ばかり取っていたのに、いきなり記憶喪失だなんて言って、態度を変えるなんてね」
ユリウスへの最低な態度というのが気になったものの、ジェニーに聞くのはやめておこうと、再びパンを齧る。
それでも、ジェニーは続けた。
「本当に何がしたいのよ。お兄様が好きな訳でも、この家が欲しい訳でもないんでしょう?」
「…………?」
「私は本気よ。何より後がないの、邪魔しないで」
兄のことは好きだけれど、家が欲しいだとか後がないだとか、ジェニーの言っている意味がさっぱり分からない。それほど、ユリウスのことが好きだということなのだろうか。
とにかく、時間もない。急いで食事を終え、席を立つ。
「本当に記憶はないし、だからよく分からないや」
それだけ言い、そのまま食堂を後にした。背中越しにジェニーがまだ何か言っていたけれど、気にしないことにする。
「……記憶……そうだわ、記憶を戻せば……」
そんなジェニーの呟きは、私の耳に届かないまま。
◇◇◇
その後、あらためて支度を終えた私は鞄を持ち、馬車へと向かう。夏休みに二人で領地を抜け出したこともあり、ジェニーに隠れて待ち合わせるのも止めることにした。
そもそも私が何をしても怒るのだ。馬車にはすでに兄の姿があり、向かいに座った私は「勉強するね」と断りを入れ、自作の単語帳を開いた。
苦手な単語を繰り返し呟きながら、頭に叩き込んでいく。
「レーネ、すごいやる気だね。いつもよりお洒落してるし、急にどうしたの?」
「ひたすらランクを上げて、モブの恋人を作ろうと思って」
「……は?」
死亡バッドエンドがどんなものか分からないものの、とにかく勉強してランクを上げるのは必須だろう。
そして色々と考えた結果、ヒロインが攻略対象以外と付き合うという絶対にあり得ない展開に持ち込むのはどうか、という発想に至った。少しでもゲームの流れから抜け出せば、何か変わるかもしれない。あとは普通に恋がしたい。
訳の分からないこの世界に抵抗をしつつ、そもそもの目的を達成するという一石二鳥の作戦だ。
転生してから数ヶ月が経ちDランクになったというのに、私には恋愛フラグのれの字もなかった。由々しき事態だ。
そんなことを考えていると、不意に手に持っていた単語帳が視界から消えた。顔を上げれば、単語帳を持ちやけに不機嫌そうな表情を浮かべるユリウスと視線が絡む。
暗記に意識を向けていたせいで素直に答えてしまったものの、そういや兄はシスコンだった。恋人など認めてくれるはずがない。しまったと思った時には、もう遅かったらしい。
「なに? モブの恋人って」
「こ、言葉通りの平凡で普通すぎる男性のことです」
「俺は平凡でも普通でもないけど」
「でしょうね」
笑顔を貼り付けた兄、会話が噛み合わなさすぎる。
「そんなの絶対に許さないから。全員消すし、諦めなよ」
「……なんて?」
本当に待って欲しい。いきなり兄のシスコンレベルが急上昇どころか突き抜けて、最早ヤンデレのようになっている。
一体どこでスイッチが入ったのだろう。先日倒れて一晩中看病をしてくれたことにより、庇護欲をかき立ててしまったのだろうか。
「恋人ってなに? 必要? 俺じゃだめなの?」
「家族と恋人は違いすぎるでしょ。デートとか手を繋ぐとかその、まあその他色々することも違うし……」
人生2回目だと言うのに、恥ずかしくてキスという単語ひとつ口に出せないのが不甲斐ない。けれど、「ああ」と呟いた兄は私が言いたいことを察してくれたようだった。
そしてその上で、とんでもないことを言ってのけた。
「全部俺とすればいいよ」
どうやら兄は、夏休みと同時に倫理観も終わったらしい。
よく分からない空気に耐えきれなくなり始めたところで、空気を読んでくれた馬車は校門前で停車した。
「あっ、着いたので! それでは!」
新学期早々、HPがかなり削られてしまったと頭を抱えながら馬車を降り、逃げるように小走りで校舎へと向かう。
やがて見つけた吉田の背中に突撃しながら、私は「おはようございます!」とその隣にいた王子に声を掛けた。