運命の人
「レーネは酷い女だね。いつだって俺を弄んで」
「ええ……」
帰宅して夕食を終えてなお、拗ねたような態度のユリウスは、指先にくるくると私の髪を絡ませている。一番身近な男性について吉田と答えたことが、よほど不満らしい。
純粋に身近な男性ならば、ユリウスだろう。けれど恋愛についての話となると、兄は除外されるに決まっている。そうなるとやはり、次点の吉田になるのだ。
とは言え、吉田と身を焦がすなんて物理的に燃えるパターン以外、まったく想像がつかない。
『早くに死ぬ未来もあるから気をつけな』
何より日々大切なものが増えていくこの世界で、早くに死ぬ未来なんて想像したくないし、信じたくもない。
とにかく、あの老婆が言っていた「立ち止まらないこと」「周りの人達を大切にすること」は忘れずにいようと思う。
「やっぱり、占い小屋でなんか悪いこと言われたんだ?」
どうやら鋭い兄には、私の不安な気持ちは筒抜けだったらしい。心配をかけるのが嫌で「なんでもない」と言ったところ、「そういうのはいい」と怒られてしまった。
結局圧に耐えきれず、正直に言われたことを全て話せば、ユリウスはそんな事かとでも言いたげな表情を浮かべた。
「大丈夫、レーネには俺がついてるから」
「……本当に?」
「うん。俺がしっかり守ってあげる」
温かな大きな手でくしゃりと頭を撫でられ、ユリウスはもう一度「大丈夫だよ」と微笑んだ。たったそれだけで、本当に大丈夫な気がしてきてしまうから不思議だった。
「レーネは俺と結婚して、あと80年は生きて貰わないと」
「長生きすぎない?」
突っ込みどころしかなくて思わず笑ってしまえば、ユリウスもまた嬉しそうに笑って。心臓が小さく跳ねたのには気付かないふりをして、私はお礼の言葉を紡いだのだった。
◇◇◇
翌日、私達4人は馬車で2時間ほど揺られ、リドル侯爵領の隣にあるベッカー伯爵領へとやってきていた。
昨日は街中を満喫したため、今日は自然豊かな伯爵領にてのんびりと自然と触れ合おうということになったのだ。
やがて大きな公園に到着したところ、自然いっぱいの上に人もいっぱいだった。どうやら今日は公園内でお祭りが開かれているようで、あちらこちらに出店が見える。
「レーネ、手は?」
「大丈夫です」
「あのレーネの好きな菓子買ってあげるから、繋ご?」
ユリウスの機嫌も完全に直っており、むしろご機嫌のようにも見える。手は繋がないものの、彼が指差す先にある好物であるお菓子の屋台へ向かおうとした時だった。
「きゃ、」
うっかり人混みに流された私は、あっという間に3人とはぐれてしまう。大人しくユリウスと手を繋いでいれば良かったなんて思いつつ、とりあえず人の居ない方へと避難する。
そうして適当に湖の方へとやってきた私は、足を止めた。
「シユチソーネ……?」
「ああ。お嬢さん、一回ザバッとやっていかないかい?」
シユチソーネなる謎のワードが大きく書かれた看板を見ていたところ、関係者らしき男性に飲みに誘うようなノリで声を掛けられてしまった。
どうやら見知らぬ人とペアになり、お互いの顔も見ず声も聞こえないまま小舟に乗り、レースをするこの地方の伝統的な競技らしい。見た感じ、カヌーレースに近い。
「いえ、私は……」
「今回の一位の賞品、女の子にも人気だよ」
「えっ?」
ゆっくり乗るならまだしも、レースなんて私には向いていない。船のデザインも壊滅的にダサいため遠慮しようと思ったものの、なんと景品はお気に入りのクマのぬいぐるみの地方限定品だった。レーネが好きだったようで、部屋にあったそれは私も気に入っているのだ。
しかも1時間おきにやっているレースも次が最後らしく、ラストチャンスらしい。
「や、やります!」
こういったボートに乗るのは中学生の修学旅行以来で、勝てる気は全くしない。それでもこのまま諦めてただ見ているのも嫌で、私はこくりと頷いた。
数分で終わるらしくユリウス達に心の中で謝りながら、渡されたヘルメット的なものを被り、青い羽の生えたクソダサボートへ乗り込む。これを被ることによりペアの顔も見えなくなり、声も聞こえなくなるのだという。
すぐ後ろには、同じくダサすぎるヘルメットを被ったペアの男性が乗っていた。ぺこりと頭を下げたところ彼も丁寧に頭を下げてくれて、どうやら良い人そうだ。
「……すごい」
やがてレースが始まり、説明を受けた通りにオールをせっせと漕いでみたところ、後ろに乗っている男性と私は恐ろしいほどに息がぴったりと合っていた。まさに阿吽の呼吸というやつではないだろうか。
やはり普通は他人と掛け声もなしに息を合わせるのは難しいようで、周りはみな悪戦苦闘している。一方、私達の船はスイスイと進み、すんなりゴールしてしまった。
「えっ、勝った……?」
「一位おめでとうね! はい、景品だよ」
ボートから先に降りた私はヘルメットを外し、賞品であるぬいぐるみを受け取る。一位を取れるなんて予想外だったけれど、本当に嬉しい。地方限定の帽子がとてもキュートだ。
「あっ、ありがとうござ……」
レース後はお互いの顔が見られることを思い出し、ペアの男性にお礼を言おうと振り返る。やがて岸へと上がってきて、ヘルメットを脱いだ男性の顔を見た私は、息を呑んだ。
「う、運命の相手、吉田……!?」
「お前、何故ここに……そして運命の相手とはなんだ」
そこには、見間違えるはずもない吉田の姿があった。