脱Fランに向けて
最悪なタイミングだと思いつつ、私の肩を組むユリウスを必死に押してみるものの、びくともしない。
むしろ、先程よりも密着しているような気さえする。
「一体、何をなさっているんですか……?」
「別に何も?」
ユリウスが当たり前のようにそう答えたことで、ジェニーは更に私をきつく睨んだ。何故そうなる。
理不尽な展開に頭痛がし始めた私は、そもそもの原因である兄に対し、いい加減きつく言うことにした。
「私は忙しいの。いい加減離して」
「あ、そうだ。昼飯食べた?」
「あまり目立ちたくないし、学園内で私に関わらないで」
「お前どうせぼっちでしょ? 一緒に食べようか」
「話聞いてる?」
ところがさっぱり話が通じない。間違いなくわざとだ。一体、レーネに何の恨みがあるんだろうか。
「……どうして急に、お姉様と仲良くなったんですか」
「俺はずっとレーネと仲良くしたかったんだよ。ただ、元々のレーネが俺に冷たかっただけで」
「絶対に嘘でしょ」
「うん、嘘」
「…………」
ジェニーは少し性格が悪そうだけれど、顔は可愛いし成績も優秀なのだ。逆にこの男で良いのかと問いたくなる。
この兄の性格のひねくれ度や悪さは、私が知る中でも随一だ。そんなことを考えていると、彼は笑顔のまま続けた。
「でも今は本当に、レーネと仲良くしたいと思ってるよ」
ね? とユリウスが私側に首を傾げたことで、頭と頭がこつんとぶつかる。再び周りの女子生徒からは悲鳴が上がり、ジェニーの顔が赤くなっていく。
終わりの見えない茶番に疲れた私は、全力でユリウスの脇腹に肘を入れると、奴が怯んだ隙に抜け出し、走ってその場を後にしたのだった。
時計を見れば、昼休みも半分近く過ぎてしまっている。初日から予定が狂ってしまった。これも全て兄のせいだ。今後は彼を避けつつ、学園生活を送ろうと決める。
売店でパンと飲み物を買い、空き教室で一人で急いで食べた私は図書室へとやって来ていた。他国の本が集まったコーナーへと向かい、適当に何冊か手に取ってみる。
「……本当に、読める」
パラパラとページを適当に開いていくと、驚くことにどれも当たり前のように読めてしまった。授業中、教師が話していた言葉もすんなり聞き取れて理解できていたのだ。もしかすると、話すこともできるかもしれない。
この能力は間違いなく、私にとって最大の武器になる。
それに確か必修のマミソニア語の他に、選択科目の中にも他国語はあったはず。つまり二教科は満点を狙えることになるのだ。これはかなりのアドバンテージになる。
確認を終えた後は、魔法学などの授業を受けても分からなかった教科の基礎的な本を沢山借り、図書室を後にした。
「やだ、なにあれ。今更どうしたのかしら」
「あんなもの、初等部の頃に読むものじゃない」
教室へ戻る途中、本を抱えた私を見てBやCといった高ランクの生徒達が小馬鹿にしたように笑っていく。けれど私は無視をして歩き続けた。基礎を笑う者は基礎に泣くのだ。
けれどすれ違い様に足をかけられてしまい、思いきり転んでしまった。膝の痛みに耐え、くすくすという不愉快な笑い声を後目に、散らばってしまった本を拾っていく。
……もちろん悔しいし、腹は立つ。私がこんな目に遭うのは、理不尽にも程がある。けれど後悔ばかりだった人生をやり直すチャンスを与えられたのだから、文句は言えない。
この学園にいる以上、結果を出すしかないのだ。
すると突然、ぴたりと周りの笑い声が止んだ。何事だろうと顔を上げれば、目の前に本を差し出されていて。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、ございます……」
そこにいたのは、兄の友人らしいアーノルドさんだった。先程は顔ばかり見てしまっていたものの、彼のブローチが金色に輝いていることにも気が付いた。
「レーネちゃん、偉いね。頑張って」
それだけ言うと、彼はふわりと微笑み去っていく。軽率に推してしまいそうな爽やかさと優しさだ。
彼をモブにした開発者の顔が見てみたいと思いながら、私は再び教室を目指した。
◇◇◇
なんとか無事に全ての授業を終えた私は、一人馬車に飛び乗って帰宅し、自室に駆け込むとベッドに倒れ込んだ。
「あああ……つっかれた……」
「お疲れ様でした、お嬢様」
「ありがとう……」
慣れない環境というのは、やはり疲れるもので。その上、ハードモードなのだ。まだまだ先が長いことを思うと、余計に身体が重たくなっていく。
制服がシワになっては困るからと、ローザに起こされ着替えさせてもらった。貴族令嬢万歳と思いつつ、動きやすいドレスに着替えた私は両頬を叩き、気合を入れる。
「よし」
そしてまずはペンを片手に、来月の試験に向けてすべきことを改めてまとめることにした。
「魔力はとにかく王子に挨拶して……攻略対象かもしれないし、一応青髪メガネくんも見つけたら声をかけてみよう」
乙女ゲームでは基本、攻略対象は5人ほどいる。少ないものだと2人、多いものは10人近くいるけれど、このゲームに限ってはそんなに偏っていたイメージはない。
あとの数人は一体、どんなキャラクターなのだろう。髪色は被っていないはずだ。
経験上、攻略対象全員がハイスペな訳ではなく、ヒロインと同じ立場から一緒に成り上がっていくようなキャラクターがいてもおかしくはない。特定はまだまだ難しそうだ。
「知識に関しては、とにかく勉強しないと」
他国語に関しては勉強はいらないだろうし、魔法に関するもの以外は元の世界で学んだものと基礎は似ている。
とにかく魔法系を集中的に勉強すべきだろう。
「あとは、技術か……」
そう、問題はこれだった。誰かと練習することで、というところまでは記憶にあるけれど、誰とすればいいのだろう。
攻略対象ではなくても良かった気はする。でなければ王子ルートで練習など、いつまでも出来ないはずだ。それに授業中の練習だけでは間違いなく、来月の試験に間に合わない。
そう思った私は早速、夕飯の時間に家庭教師をつけて欲しいと父にお願いをしてみることにしたのだけれど。
「魔法に関する家庭教師となると、探すのが大変なんだ」
「そんな……」
そもそも、この世界では魔法を使える人間は限られているらしい。人口の2割程度なんだとか。
だからこそ貴重な魔法使いは皆、それ相応の仕事についているらしい。確かにそれなら、好き好んで家庭教師なんてする人は滅多にいないだろう。
学園で教師に放課後、個別に教えてほしいとお願いをしたところで、Fランクの私に時間を割いて貰えるとはとても思えない。さてどうしようかと思っていた時だった。
「俺が教えてあげるよ」
「えっ」
「俺より最適な人間はいないと思うけど?」
そんなユリウスの言葉に、父は「ああ、それがいいな」と笑みを浮かべた。隣からはジェニーの「どうして……」という呟きが聞こえてくる。
確かに優秀な兄ならば、家庭教師として間違いなく最適だろう。むしろ同じ学園に通っているのだ、傾向と対策もバッチリに違いない。
何か裏がありそうだし、兄に借りを作るのは嫌だけれど、今の私は文句を言える立場でも状況でもない。とにかく今はFランクを脱出することが先決なのだ。
意地の悪いこの兄を、利用する気持ちでいかなければ。
「よろしく、お願いします」
「うん。それにしても肘打ち、痛かったな」
「…………すみませんでした」
そうして翌日から、私はユリウスと共に魔法の練習を始めることになったのだけれど。
──この選択によって何もかもが変わっていくことを、この時私はまだ、知らない。