リドル侯爵領へ 2
「わあ、美味しい……! それに、すごく良い香り」
「レーネの口に合ったのなら良かったわ。うちの領地で採れた茶葉で、私もとても好きなの」
リドル侯爵領へとやってきた翌日の昼、私はテレーゼと共に広間でお茶をしていた。この領地の特産品だという茶葉で淹れた紅茶は、とても美味しい。ぜひ買って帰りたい。
食事は毎食驚くほどに美味しく、夜は広くお洒落な部屋のふかふかのベッドで眠る。とにかく至れり尽くせりで、息の詰まるあの家には帰らず、ずっとここに居たいくらいだ。
今日はこれから街中に出掛ける予定で、ユリウスとアーノルドさんは今それぞれ部屋で出掛ける支度をしている。相変わらず早起きをしてしまった私は、すでに準備万端だった。
「結局、その指輪のことは何も分からなかったのね」
「うん。不気味だよね」
相変わらず右手の薬指で輝く指輪へと視線を落とし、溜め息をつく。するとテレーゼは、たまたま通りがかった彼女の兄であるトラヴィス様に声を掛けた。
「お兄様、少しいい?」
「どうかした?」
「この指輪について、何か分からないかしら」
そしてテレーゼが指輪について説明したところ、彼は「興味深いね」と言い、形の良い唇で弧を描いた。
トラヴィス様はこの国トップクラスの魔法使いだと聞いているし、少しは何か分かるかもしれない。そんな淡い期待を抱いていると、彼はそっと私の手を取り指輪を眺めた。
「魔法の気配が一切しないのに、確実に何らかの魔法は掛かっているようだし、こんな面白いもの見たことがないよ」
「な、なるほど……」
「もう少し見せてもらってもいい?」
以前のテレーゼから聞いた話を思い出す限り、確か魔法オタクらしい彼の瞳は、子供のように輝いている。ぎゅっと手を握られ、自然と距離が縮まっていく。
すぐ目の前にあるトラヴィス様のお顔はあまりにも美しく眩しく、何より大人の色気的なものが滲み出ている。私にはまだ早すぎる、もう勘弁して欲しいと思っていた時だった。
「レーネ」
そんなユリウスの声がして、慌てて顔を上げる。するとそこには、不機嫌さが滲み出ている兄の姿があった。
「準備終わったよ、行こう?」
「あ、はい」
トラヴィス様は「ああ、ごめんね。また今度見せて」と言って微笑むと、そっと私から手を離して。ひらひらと手を振り、広間を後にした。
ほっと一息吐いた途端、いつの間にか兄は後ろから私の身体に腕を回していて、色々な驚きにより心臓が跳ねる。首元に当たる、柔らかな髪がくすぐったい。
「ベタベタ男に触られるの、やめてくれない?」
「いや、今のは仕方ないのでは」
「仕方なくない」
兄ははっきりとそう言い切ると、これ見よがしに深い深い溜め息を吐いて見せた。私を抱きしめる腕の力が強くなる。
「そんなに俺を妬かせて楽しい?」
「そんなに冗談ばっかり言って楽しい?」
「あー、そういう感じね。ショックだな」
「…………」
テレーゼもアーノルドさんも、こんな様子の兄を見ても平然としている。天気の話なんてせずに、突っ込んでほしい。
結局、兄と手を繋いだまま街へ向かうことで、罪を犯したらしい私は許されることとなった。絶対におかしいと思う。
◇◇◇
テレーゼはこの土地では有名人のため、彼女だけは軽く変装をした上で、四人で街中を歩いていく。想像以上に栄えており、様々な店が並び大勢の人々が行き交っている。
旅行先の見知らぬ街というのは、やはりテンションが上がってしまう。私にとっては大体が見知らぬ街なのだけれど。
「あらあら、素敵だねえ。だぶるでえとってやつかい」
「だぶ……?」
ユリウスに手を引かれ歩いていると、果物屋のおばあさんに声を掛けられた。ダブルデートという私達四人にはあまりにも似合わなさすぎる単語に、戸惑っていたのだけれど。
「そうなんです。いずれ結婚する予定で」
「おや、それはいいねえ。おめでとう」
兄はいつもの爽やかな笑みを浮かべたまま、そんな馬鹿なことを言ってのけた。何を言っているんだろうか。
すると嬉しそうに微笑んだおばあさんは「お祝いだよ」と言って、苺に飴を絡めた串を手渡してくれて。戸惑いつつもお礼を言えば、ユリウスは「ああ、そうだ」と微笑んだ。
「ここからここまで全て買うので、リドル侯爵家へ運んでもらえませんか? もちろん配送費用も払うので」
「えっ」
なんとひどくご機嫌らしい兄は、屋台にある果物を全て買うと言い出したのだ。ぶっ飛んでいる。
おばあさんも嬉しいものの申し訳ないといった様子で戸惑っていたけれど、「いいからいいから」と言って、ユリウスは多すぎるお金を無理やり払っていた。
「あら、今日はフルーツパーティーね。ご馳走になるわ」
「あはは、もちろん。使用人の分まであるよ」
これほどの大人買いに戸惑っているのは私だけで、テレーゼもアーノルドさんもやっぱり、呑気なものだった。これが上位貴族の感覚なのかもしれない。
「それにしても、俺とテレーゼちゃんも恋人同士に見えるんだね。なんだか緊張しちゃうなあ」
「まあ、アーノルド様は冗談がお上手だこと」
「本当なのに」
淡々と会話をしている二人は、意外と気が合うようだ。
やがて果物の手配を終え、再びユリウスに手を引かれて歩き出す中、私は手元のキャンディをじっと見つめた。
「あれ、食べないの? 嫌いだった?」
「なんか嘘をついて貰ったものを食べるの、気が引けて」
「本当にするから、嘘じゃないよ」
そんな適当なことを言うと、兄は私の手から串を取り「あーん」と口元にフルーツキャンディを近付けてきた。悩んだものの捨てるという選択肢はないのだ、一口食べてみる。
「……すごくおいしい」
「良かったね。あ、本当だ、おいしい」
「ちょっと」
当たり前のようにキャンディを齧ったユリウスに、私の口からは悲鳴に似た声が漏れた。そんな私を見て、兄は不思議そうに首を傾げている。
「こないだは間接キスとか気にしてなかったのに」
「カ、カップとキャンディは全然違うから!」
「へえ? 照れてくれてるんだ。嬉しいな」
そう言って再び「あーん」とキャンディを近づけてくる兄のせいで、まだ街中へとやってきたばかりだというのに、私のHPゲージは間違いなく既に真っ赤だった。