その手を取って
突然現れた兄にソフィアも驚いている様子だったけれど、その手を振り払うと「いきなり何なのよ」と睨み付けた。
昼間にジェニーと張り合っていた時とは、完全に別人レベルの塩対応だ。彼女は本当にユリウスに好意はないらしい。
「お前も知ってたの、忘れてたよ。あー、焦った」
ユリウスはそんなことを言うと、当たり前のように私の隣に腰を下ろした。一体、何の話だろう。
「……もしかして、記憶のないレーネに隠しているの?」
「物事には順序ってものがあるんだよ」
ユリウスはそう言うと、私の飲んでいたティーカップに口をつけた。兄が私に何かを隠していることは知っていたけれど、いざこうして目の前で話をされると気になってしまう。
けれど私だって、隠し事をしているのだ。誰にでも聞かれたくないことはある。私は口を噤み、二人を見つめた。
「今は愛を育んでる最中だからさ、邪魔しないで欲しいな」
「……は、愛ですって? ユリウスの口からそんな言葉が出てくるなんて、気持ちが悪くて気分も悪くなってきたわ」
「本当に失礼だね、お前」
ソフィアは口元を手で覆い、本気で引いたような表情を浮かべている。二人の様子を見ている限り、仲は良さそうだ。
「ま、お邪魔虫の私はそろそろ部屋に戻るわ。おやすみ」
「おやすみなさい」
「私は元のレーネも嫌いじゃなかったけど、今のレーネは結構好きよ。勉強頑張ってね」
「あ、ありがとうございます」
「困ったときは言って。私、こう見えてすごいんだから」
そうして彼女は女神のような美しい笑みを浮かべ、ひらひらと片手を振って食堂を出て行った。セシルと同じくパーフェクト学園に通う二年生の彼女も勿論、Sランクらしい。
こんなにも兄妹や従姉妹達が優秀なのだ、落ちこぼれのレーネへの風当たりは余計に強かっただろう。
ユリウスは彼女の姿が無くなると、深い溜息を吐いた。
「あいつを見てたら、女って怖いなといつも思うよ」
「そう?」
確かに敵に回したら怖そうだけれど、話している限りはとても良い人だった。彼女は他の人々と違い元のレーネにも優しかったようで、やはり好印象を抱いてしまう。
「ユリウスも何か飲む?」
「レーネの一口もらったし十分かな」
「そっか」
「間接キスだ、って照れるとか可愛い反応ないの?」
「ファースト間接キスはこないだ吉田に奪われたからね」
何気なくそう告げると、ユリウスは「は? ヨシダくん、見損なったんだけど」なんて言って不機嫌さを露わにした。
事故だからと必死に伝えたところ、なんとか吉田への好感度を下げずに済んだようで、ほっと胸を撫で下ろす。兄に嫌われては、間違いなく今後友情を育む上で障害になる。
なんとか友人全員、兄チェックを通したいところだ。
「本番は俺のために取っておいてね」
「えっ………………」
「あはは、そんなに引かれたら流石にショックだな」
シスコンを極め始めている兄と言えど、その冗談はアウトな気がする。思わず少し彼から距離を取ったところ、ユリウスは頬杖を突き、やっぱり可笑しそうに笑った。
「いつまで我慢したらいいんだろうね、俺」
「…………?」
「俺は元々優しい人間じゃないから、あと何ヶ月これに付き合ってあげられるか分からない」
そんな兄の言葉の意味が分からず、首を傾げる。
もしや私に何か、気を遣ってくれているのだろうか。まさかSランクになれない役立たずな私と、無理をして仲良くしてくれているのかと思ったけれど、どうやら違うらしい。
結局、明日は朝から遠乗りに行くためもう寝ようということになった。ユリウスは私の手を引いて部屋の前まで送ってくれ、頭をそっと撫でると自室へと戻っていく。
その背中を見送りながら、その温もりが離れていくのがほんの少しだけ寂しいと思ってしまった私も、ブラコンに片足どころか両足を突っ込んでいるのかもしれないと思った。
◇◇◇
「レーネ、今すぐ荷物まとめて」
「…………なんて?」
そして領地に来て6日目の夜、ユリウスは私の部屋に来るなりそんなことを言ってのけた。
今日は朝から彼と二人で遠乗りに行き、とても楽しかったものの疲れ果てていた私は、すでに寝る支度を済ませ今からベッドに入ろうとしていたところだった。
「実は父様に明日王都に帰るの反対されちゃってさ、今からこっそり抜け出して帰ろうと思って」
「えええ」
友人達と遊ぶ約束もしているし、ジェニーやジェニーばかりを贔屓する両親と、貴重な夏休みを過ごしたくはない。
明日以降だと間違いなく監視の目が厳しくなるからと急かされ、慌てて荷物を鞄に詰め込む。明日帰る予定のセシルやソフィアにお別れの挨拶くらいはしたかったけれど、仕方ない。後から手紙を書こうと思う。
「でも、こんなことして大丈夫なの?」
「レーネは何の心配もしなくていいよ」
軽々と私の大きな鞄を持つ兄と共に、一階の隅の部屋の窓から外に出る。そうして、裏口に停めてあった彼が手配していたらしい馬車に乗り込んだ。
馬車はすぐに走り出したものの、なんだかとても悪いことをしているような気がして、落ち着かない。
「なんだか駆け落ちみたいだね」
「確かに」
けれど私の手をぎゅっと握ったユリウスは、そんなことを言い、子供みたいな笑顔を浮かべていて。思わず私も、つられて笑ってしまったのだった。
☆次回、吉田宅潜入───!