ウェインライト伯爵領へ
「窓の外ばっかり見て、そんなに面白い?」
「うん。初めて見る景色だから」
「記憶喪失って何でも新鮮でいいね」
領地へと向かう馬車に揺られながら、ユリウスは当たり前のように私の隣に座り、頬杖を突いている。
王都から初めて出た私は、どこまでも続く異世界の美しい風景に目を奪われていた。ジェニーは私達よりも一足先に向かったようで、平和な時間を過ごせている。
「向こうに着いたら、どう過ごすの?」
「自然の中で過ごすだけで、基本は普段の休日とそんなに変わらないかな。あとは遠乗りをしたり、狩猟をしたりとか」
なんだか田舎でのスローライフという感じで、割と都会育ちだった私は胸が弾む。遠乗りに行ってみたいと告げれば、兄は連れていってくれると約束してくれた。
この世界に来てからの数ヶ月はかなり忙しく、私なりに頑張ったのだ。領地で過ごす一週間は、穏やかにのんびり過ごそうと決めて、私は再び窓の外へと視線を移したのだった。
◇◇◇
やがて到着したウェインライト伯爵領は、豊かな自然に囲まれ美しい街並みが広がる、とても素敵な場所だった。
まるで城のような広い屋敷は使用人の数も多く、目利きの出来ない私でも、調度品も全て高級な物で揃えてあることが見て取れた。流石、裕福な伯爵家なだけある。
荷物を使用人に預けた後、二階の一番端にあるレーネの部屋へと案内された。ジェニーやユリウス、両親の部屋とはかなり離れているらしく、レーネが家族の中でいい扱いを受けていなかったことが窺えて胸が痛んだ。
荷解きをし軽く身だしなみを整え、両親に挨拶をするために、私は広間へとやって来たのだけれど。
「よお、レーネ。遅かったな」
「えっ」
何故かそこには、偉そうな態度で足を組みソファに腰掛ける俺様従兄弟、セシルの姿があった。
彼は毎年、私達が滞在する二週間のうちの後半にやって来ると聞いていたのだ。だからこそ、今回は適当な理由をつけて前半に帰ろうとユリウスと話していたのに。一体なぜ。
「レーネ、早く座りなさい」
「あ、すみません」
どうやら私が一番最後らしく、既に母や兄、ジェニーの姿もある。一人見知らぬ美女がいるけれど、事前に聞いていたセシルの姉、つまり私の従姉妹で間違いないだろう。
兄はジェニーと美女に挟まれており、私が座れる場所はセシルの隣しかない。仕方なくできる限り離れた場所に腰を下ろすと「は? 何だよその距離」と舌打ちされてしまった。
それからは皆でお茶を飲み、たわいない会話をする中、私は一言も喋らず、ぼんやりと耳を傾けていたのだけれど。
「実は、最近のレーネは勉強や魔法の練習を頑張っていると話したところ、セシルが応援したいと言ってくれてな。だからこうして普段より早く来てくれたんだ」
「…………?」
突然の父のよく分からない言葉に、私は顔を上げた。
「俺が直々に教えてやるって言ってんの」
「ええっ」
そんなこと、全く頼んでいない。本当に待ってほしい。けれどセシルも父も本気のようで、話はどんどん進んでいく。
なんと彼はパーフェクト魔法学園に首席入学をした、かなりの優等生なんだとか。なんて言って断ろうかと頭を悩ませていると、ユリウスが「ねえ」と口を開いた。
「レーネには俺が教えるから、セシルはいらないよ」
「お前はたまにはジェニーの指導をしてやるといい。レーネばかり構っていては、ジェニーが可哀想だ」
「……それはそれは」
父の言葉に、ユリウスは苦笑いを浮かべた。大方、先にやってきたジェニーが父の口から言うよう頼んだのだろう。
この場でそう言われてしまっては、ユリウスだってはっきりと断るのは難しいに違いない。私だってそうだ。
「お兄様、よろしくお願いしますね。嬉しいです」
「夏休みくらい、勉強なんてしなくてもいいんじゃない?」
「いえ、Sランクを目指して頑張りたいので」
妖精のような可愛らしい笑みを浮かべたジェニーに対し、父は「偉いな」と深く頷いている。
「あら、私もユリウスに色々と教えていただきたいわ」
すると今度は、ジェニーの反対側に座る美人従姉妹であるソフィアがそう言った。先ほどから雰囲気でなんとなく察してはいたけれど、彼女もユリウスに気があるらしい。
笑顔で火花を散らす美女二人は、かなりの迫力がある。
今日から1週間、のんびりスローライフを送る予定だったというのに、いきなり面倒なことが盛り沢山で、私は内心頭を抱えていた。兄もきっと同じ気持ちに違いない。
「おいブス、俺が教えてやるんだから頑張れよ」
「いや、私は夏休みはゆっくり休みたいので……」
「は? 落ちこぼれにそんな権利はないに決まってんだろ」
どかりと私の近くに座り直したセシルに、「FランクからDランクまで上がったし、この調子なら教えてもらわなくても大丈夫」と言ったものの「黙れ」と一蹴されてしまった。
「まあ、お前にしては頑張ったよな。俺らの学園にも、FランクからいきなりDランクになった変な女がいたけど」
「そうなんだ」
どうやらパーフェクト学園も、同じ成績システムらしい。
これほど一気にランクが上がるのは、かなり珍しいことだと聞いている。彼女の場合はラインハルトのような覚醒型パターンなのだろうかと、少し気になってしまう。
「どんな子なの?」
「私はヒロインだから、っていつも言ってる変な女。色々とズレてるし、俺は好きじゃない」
「……えっ」
そして何気なく彼女について尋ねた私は、予想もしていなかった言葉に息を呑んだ。まさか、と一つの仮説が浮かぶ。
自身をヒロインだと言うなんて、余程痛い性格をしているか、私と同じ立場かのどちらかしかない。
「ちょ、ちょっと来て!」
「は? おい、何だよいきなり」
とにかく、彼女について詳しく話を聞きたい。そう思った私はセシルの腕を引き、広間を後にしたのだった。