はじまりと違和感と
「テレーゼ、手紙送るね! またね」
「ええ、待ってるわ」
夏休みを控えた登校最終日の放課後、私はテレーゼと抱き合った後、鞄を手に取った。
彼女の領地へ遊びに行くのは、夏休みの後半の予定だ。兄やアーノルドさんも一緒に行くことが決まっている。
「お、レーネ。またな!」
「うん。皆で集まるの楽しみにしてる」
ヴィリーともハイタッチをして、教室を出る。せっかくだから吉田や王子、ラインハルトにも挨拶をしてから帰ろうと思い、そのまま彼らの教室へと向かう。
まずは吉田達の教室の中を覗いたところ、なんと彼は高ランク女子達に囲まれているところだった。その人気に嫉妬しつつ、邪魔をしてはいけないと思っていると肩を叩かれて。
振り返るとそこには、セオドア王子の姿があった。
「こんにちは、夏休み前なので挨拶に来たんです」
「…………」
「お忙しいとは思いますが、もし良かったら夏休み中も遊びましょうね。お手紙書きます」
そんな私の言葉に、王子はこくりと頷いてくれた。相変わらず口数は多くないけれど、口元はほんの少しだけ綻んでいて、以前よりも大分仲良くなれた気がする。
吉田によろしくお伝えくださいと手を振り別れ、そのまま隣のラインハルトの教室へと向かう。
「レーネちゃん、どうしたの?」
すぐに私の存在に気が付き、駆け寄って来てくれる。今日も抜群に顔がいい彼は、蕩けそうな笑みを浮かべた。
「夏休み遊ぼうねって言いにきたんだ」
「嬉しいな、もう帰る? 一緒に校門まで行こうよ」
「うん」
すぐに鞄を取ってくると教室の中へ戻るラインハルトを見守っていると、彼と同じクラスの女子生徒達からちくちくと刺さるような視線を感じた。やはり彼も人気のようだ。
「お待たせ」と戻ってきた後、ラインハルトは当たり前のように私の手を掬いとり、歩き出した。そのせいで余計に周りからの視線が痛いけれど、幸せそうに微笑む彼の手を振り払う気にはなれない。
私は何故か、彼に甘いのだ。
「ラインハルト、モテるでしょ」
「レーネちゃんはそういう男の方が好き?」
「えっ? ええと、そうかも」
突然の質問に戸惑いつつ、嫌われているよりは好かれている方がいいと思い、そう答えてみる。するとラインハルトは「そっか、良かった」と呟いた。
「モテてるよ。最近は毎日のように呼び出されてるし」
「す、すごい……!」
実はうちのクラスの女の子達も、最近はラインハルトの話をしているのだ。顔が良すぎる上に穏やかで優しくて、ランクも急上昇中なのだから当然ではある。
そんな彼がつい先日まで酷い虐めを受けていたなんて、信じられない。とにかく彼に笑顔が増えて、嬉しい限りだ。
「でも、そんなのどうでもいいんだ。今はとにかく、レーネちゃんに相応しい人間になるために頑張るから」
「うん……?」
どう考えても、私の方が彼より劣っている。それなのに、ラインハルトは本気でそんなことを言っているようだった。
「夏休み、会えるの楽しみにしてるね」
「うん。私もそれまで、勉強頑張らないと」
「沢山手紙、書いてもいい? ウェインライト家にも遊びに行ってみたいし、二人で色々なところに遊びに行きたいな」
「もちろん。待ってるね」
「ありがとう。本当に、頑張れそうだ」
やがて我が家の馬車の前に着き、足を止める。ラインハルトは私の頬に触れると、眉尻を下げて困ったように笑った。
「……レーネちゃん、大好き」
「あ、ありがとう」
そんな真っ直ぐな言葉に、流石の私もついドキドキしてしまう。そうして彼に見送られ、私は馬車に乗り込んだ。
◇◇◇
「うわ、夏休み初日からよくやるね」
「思いっきり遊ぶためだから」
そして始まった夏休み初日、私は朝起きて朝食をとるとすぐに夏休みの課題に取りかかった。時間は、夏休みは有限なのだ。さっさと終わらせて、手放しで遊びたい。
そんな私を見て、ユリウスは「えらいね」「俺もレーネとの時間のために頑張ろうかな」と言うと、私の部屋で自身の課題を始めた。なんという真面目な兄妹だろうか。
「ねえユリウス、ここ分からないんだけど」
「ああ、そこはね」
せっかく同じ部屋にいるのだ、時々兄に分からない部分を聞いているのだけれど。
「……あの、こんなにくっつく必要ある?」
「もちろん」
何故かその度に、後ろから抱きしめられるような形になるのだ。左手をお腹に回し、私の肩に顎を乗せている兄は当たり前のようにそう言ってのけた。
彼の右手はペンを握る私の手の上に重ねられていて、間違いなくおかしい。
「どちらかと言うと、俺が必要かな」
「なんで?」
「ずっと課題やって疲れたから、レーネで栄養補給してる」
兄妹間とはとても思えない甘すぎる雰囲気に、言葉に、思わず顔が熱くなる。最近、こうしてユリウスにベタベタされると、落ち着かなくなることが増えた。
過去の人生で男性との関わりが少なすぎたこと、兄妹とは分かっていても、兄妹として彼と過ごした時間が短すぎることが敗因だろう。
距離感バグを起こしているシスコン兄でも、妹が赤面したり動揺したりしていれば、流石に戸惑うに違いない。しっかりしなければと、私は自身の両頬を叩いた。
「何してるの?」
「精神統一」
「あはは、レーネ本当に面白いね」
ユリウスは可笑しそうに笑うと、私の頭をそっと撫でた。
そうして兄の協力もあり、夏休みの序盤3日を丸々課題に費やしたことで、全ての課題を倒した私は清々しい気持ちで4日目の朝を迎えていた。
今日の昼から領地へと向かうことになっており、大きな鞄に荷物を詰めていく。メイドに手伝うと言われたけれど、断り一人で断捨離をしながら進めることにした。
物を簡単に捨てるのは好きじゃないけれど、レーネの持ち物はあまりにもセンスがなさ過ぎる。そうしてクローゼットの中を掘り進めていくうちに、小さな箱を見つけた。
「手紙?」
箱を開けてみると、数通の手紙が入っていて。勝手に他人の手紙を見るのは良くないとは思うけれど、レーネの人となりや交友関係が気になった私は、一番上にあったものを少しだけ読ませてもらうことにする。
「…………」
見覚えのない名前だったけれど、どうやらレーネの母からの手紙らしかった。母は病気で亡くなったとは聞いていたけれど、この手紙は入院先で書かれたもののようだった。
自分はもう長くない、レーネ一人を残すことになるのが申し訳ないという内容で。絶対に助けになるから魔法はしっかり学ぶように、食べ物の好き嫌いをしないように、といった母の思いが綴られていて、思わず涙腺が緩んだけれど。
「……ひとり?」
何故か母が心配しているのはレーネ一人のことだけで、ユリウスのことに関してはほとんど書かれていない。
「ユリウス様は優しい方だから、何か困ったことがあれば一番に頼るように……?」
そして最後の方に書かれていた、兄に対してまるで他人のような扱いをする一文に、違和感を感じてしまう。
気になって仕方ないけれど「偶然お母様からの手紙を見つけたんだけど、私のことしか書いてない上に、ユリウスを他人扱いしているのは何で?」なんて彼に聞けるはずもない。
「レーネ? そろそろ行くよ」
「あ、うん」
ドア越しにユリウスの声が聞こえてきて、私はモヤモヤしながらも手紙を元の場所に戻し、クローゼットを閉める。
そうして急いで残りの荷物を詰め込むと、私は鞄を使用人に預け、領地行きの馬車に乗り込んだのだった。