夏休みに向けて
「なんか、平和だね」
「お前の周りがいつも騒がしすぎるだけで、これが普通だ」
宿泊研修から、二週間が経ったある日の放課後。私は帰ろうとしていた吉田を掴まえて、カフェテリアにてお茶をしていた。吉田のメガネも、もちろん復活している。
あれから私は毎日元気にハートフル学園に通いつつ、勉強と魔法練習漬けの日々を送っていた。前世とは違い、周りの人々のお蔭でやりがいも楽しさも感じている。
「来週から夏休みだけど、吉田はどう過ごすの?」
「俺は領地には帰らず、王都で過ごす予定だ」
「そうなんだ。夏休み遊ぼうね」
「気が向いたらな」
いつものように素っ気ない返事だったけれど、ひたすらにお願いし続けた結果、なんと吉田のお家にお邪魔する約束を取り付けることが出来てしまった。王子を誘うのは、流石に烏滸がましいだろうか。
テレーゼとはもちろん遊ぶ約束をしているし、ヴィリーを含めたクラスメイト達とも集まろうという話をしている。
前世では家族と出かけるなんてこともなかった私は、夏休みはひたすら毎日図書館にこもっていたのだ。こんなにも長期休暇が楽しみなのは、初めてだった。
「そういえば、最近ラインハルトと勉強してるんでしょ?」
「ああ。時々勉強や剣術を教えている」
「その、大丈夫そう? 無理とかしてない?」
「多少無理をしている感じはするな。俺からすれば、お前だって同じようなものだが」
そう、彼は宿泊研修後から少し様子が変わった。私同様、自身の無力さに嫌気が差したらしく、私以上に勉強や魔法の練習に力を入れているようで。
夏休みは遊ぼうね、と先ほど廊下ですれ違った時に声を掛ければ「もちろん」「嬉しい」とは返してくれたけれど、前世では根を詰めすぎて倒れたり、貴重な学生時代を満喫できなかったりした私としては、本当に心配だった。
「……吉田はさ、もしも私が他の世界から来たとか、前世の記憶があるって言ったら信じる?」
「ああ」
「えっ」
そしてなんとなく、そんな意味の分からない質問をしてしまったものの、吉田はティーカップ片手にいつもと変わらない涼しげな表情を浮かべ、当たり前のように頷いた。
思わず、私の口からは間の抜けた声が漏れてしまう。
「どうして? あり得ないとか、嘘だって思わないの?」
「お前は無意味な嘘を吐く奴ではないだろう。それなら例え嘘だったとしても、信じた方がいい」
「よ、吉田……!」
彼がこんなにも私を信用してくれていることを知り、胸が熱くなる。「私も吉田のこと大好きだし、信じてるから!」と言えば「勝手にしろ」と言われてしまった。好きだ。
こんな突拍子もない話など、誰にも信じてもらえるはずがないと思い、記憶喪失ということにしているけれど。いつか彼や大切な人達には、全てを話したいと思った。
◇◇◇
「そういえば、指輪については何も分からなかった上に、教師数人がかりでも外すの無理だったんだ。どうしよう」
「本当に困ったね。俺との結婚指輪を嵌める時とか」
「何の話?」
その日の夜、ユリウスの部屋で勉強を教えてもらった後、彼と隣り合ってソファに座りお茶をしていた。相変わらず兄のシスコンジョークは絶好調らしい。
そしてここ数日、教師の元を回ってみたけれど、指輪については何もわからないままだった。今のところ特に害はないし、夏休みの間にも調べてみることにする。
「ていうか、なんか近くない?」
「俺とレーネの心の距離の話?」
「…………」
宿泊研修以来、以前よりもユリウスとの距離が物理的に近くなった。なんというか、元々なかった遠慮がさらに無くなったような感じがする。正直べったりだ。
「そう言えば、今まで夏休みってどう過ごしてたの?」
「毎年、半分は領地で過ごしてるかな」
最近、両親はずっと領地の方で仕事をしているようで、あまり姿は見ていない。食事は基本、ジェニーとユリウスと三人でとっているため、かなり気まずい空気が流れている。
相変わらずジェニーからの嫌がらせは続いているけれど、ユリウスがカバーしてくれていた。気持ちはありがたいけれど、余計に悪化する気がしてならない。
「ウェインライト家の領地って、どんな所なの?」
「自然の多い、綺麗な場所だよ。俺は割と好き」
「そうなんだ。楽しみ」
「でも、今年は早めに戻ってこようか」
「なんで?」
「毎年、セシルを含めた親戚が来るからね」
「早めに帰ろう」
ブスだとかバカだとか言ってくる、あの俺様従兄弟には会いたくない。その上、元のレーネのことを好いていたようだし、関わると厄介なことになりそうだ。
流石に行かないわけにはいかないし、二人で早めに抜け出そうと悪戯っぽく笑う兄に、私も頷いた。友人達とも沢山遊びたいし、是非そうしたい。
「あとね、テレーゼの領地にも遊びに行くことになってるんだけど、お兄さんもどうって聞かれたんだ」
「テレーゼちゃんは流石だね。俺はもちろん行くけど、アーノルドも誘っていい? あいつ友達いないから暇だろうし」
「うん。テレーゼに聞いておくね」
どうやらまた兄の中でテレーゼの株が上がったらしく「これからも仲良くしなよ」と言われてしまった。友人がいない歴が長いせいで、アーノルドさんに親近感が湧いてしまう。
そんな私に、ユリウスは「あ、そうだ」と続けた。
「記憶、全く戻りそうにない?」
「うん。さっぱり」
「良かった。そのまま何も思い出さないでいてね」
「…………?」
仲は悪かったと聞いているけれど、何か思い出して困ることがあるのだろうか。レーネの記憶を思い出す必要性も感じないし、「分かった」とよく分からない返事をしておく。
そしてもうすぐやって来るこの世界で初めての、大好きな人達と過ごす夏休みに、私は胸を弾ませたのだった。