出遅れたゲームスタート
馬車に揺られ、窓の外の見慣れない景色を眺めながら、本当に違う世界に来てしまったのだと今更実感する。
結局、ユリウスはあれから一言も発さないまま、笑顔でこちらを見つめているだけだった。新手の嫌がらせだろうか。
やがて学園に到着すると、私は兄から逃げるように馬車から降りた後、きょろきょろと辺りを見回した。同時に、周りの人々が驚いた様子で私を見ていることに気が付く。
「ねえあの子、3日前に……」
「ああ、Fランクの」
どうやら、私の階段飛び降り事件は有名らしい。それなのにこうしてケロッとして、いつもより着飾った上で登校しているのだ。驚くのも当たり前だろう。
向けられる視線はもちろん、気分の良いものではない。けれどレーネは悪いことをしたわけではないのだ。口元に笑みを浮かべ背筋を伸ばし、堂々と歩いていく。
そして、見つけてしまった。
輝くような金髪、整いすぎた顔、溢れ出る高貴なオーラ。彼がセオドア王子だろうと一瞬で分かってしまう。
「うわあ……」
元々好みな訳ではなかったけれど、やはりこうして見るとその姿についつい見惚れてしまう。ゲームのキャラクターが動き生きていることに、謎の感動もしてしまっていた。
女子生徒達も皆、遠巻きに彼をうっとりと見つめている。思わず立ち尽くしてしまっていた私は両頬を叩くと、早足で彼の元へと歩みを進めた。
ただでさえ王子である彼は近寄りがたい存在だろうに、私はド底辺のFランクなのだ。普通なら、話しかけることすら烏滸がましい立場だろう。
けれど、そんなことを言っている場合ではない。何をするにも間違いなく魔力量は必要なのだ。
とりあえず、挨拶くらいなら許されるはず。そもそもヒロインというのは大体、図々しい生き物なのだ。そう自身に言い聞かせ、さりげなく近付いた末に私は笑顔を浮かべた。
「おはようございます」
「…………」
けれど王子はこちらを一瞥しただけで、挨拶を返すことなく歩いて行ってしまう。この一方的な挨拶もカウントされるのだろうか。え、これで本当に大丈夫?
それと同時に、セオドア王子はクーデレの極みであり、前半は会話すらほとんどなかったことを思い出していた。これから私はこの一方的な声かけを何十回、何百回と繰り返さなければいけないらしい。
ゲームならボタンを連打してスキップするだけだけれど、こうして実際に話しかけるとなると骨が折れそうだ。長く険しい戦いになりそうだと溜め息を吐き、校舎へと向かう。
「……へえ?」
そんな私の後ろで、ユリウスが楽しげな表情を浮かべていたなんて、知る由もない。
◇◇◇
「すみません、私の席を教えてもらえませんか?」
「は?」
広く綺麗な学園内を歩いていき、事前に確認していた自身のクラスへとなんとか辿り着いた私は、入り口近くにいた男子生徒に声をかけた。流石に席までは分からなかったのだ。
振り返ったその顔があまりにも整いすぎていて、思わずぎょっとしてしまう。真っ赤な髪が良く似合うイケメンだ。
「お前、いよいよそこまで頭が悪くなったのか……?」
「いやあの、頭を打ったら記憶喪失になっちゃって」
失礼だなと思いつつもそう告げると、クラス内が一気にざわついた。どうやら皆、私に注目していたらしい。
声をかけた男子生徒も驚いている様子だったけれど、とにかくさっさと席だけ教えてほしいと思っていた時だった。
「貴女の席はここよ。私の隣」
「あっ、ありがとうございます」
細く長い指で指差し教えてくれたのは、美しい銀髪が印象的な美少女だった。その胸元のブローチはユリウスと同じ金色に輝いている。Sランクの証だ。
彼女はそれだけ言うと、再び手元の本に視線を落とした。品のある高貴なオーラが滲み出ている彼女はきっと、かなりの上位貴族に違いない。ハイスペ美女だ。
教えてもらった席に座り鞄を横に掛けた後、クラス内を見回してみる。哀れむようなものや、面白がっているようなものはもちろん、蔑むような視線も感じる。
「貴女、よく来れたわね。しかもセオドア様に声をかけていなかった? 頭を打っておかしくなったのかしら」
「ね、どうせもうすぐ退学なのに」
そんな中、派手な女子生徒二人が私の元へとやってきた。がつんと机の足を蹴られ、睨まれる。ベッタベタの虐めだ。
「私、頑張ることにしたの。退学にも絶対にならない」
「はあ?」
はっきりとそう言えば、長い睫毛に縁取られた彼女達の瞳が大きく見開かれた。
……そもそも、成績さえ上がれば誰もがSランクになれる訳ではない。各ランクの枠の数は決まっているのだ。だからこそこの学園では全員が敵であり、ライバルだった。
そして彼女達の言う通り、Fランクの生徒は学期末の試験の結果によっては退学が決まってしまう。以前のレーネならば、間違いなく夏休み前に退学だっただろう。
つまりはバッドエンドだ。そうなってしまった場合、私はどうなってしまうか分からない。とにかく絶対に次の試験で、Fランクを脱出しなければ。
教室へ教師が入ってきたことで、彼女達は舌打ちをして席へ戻っていく。ブローチの色を見る限り、彼女達のランクはDだった。絶対にそれを超え、ぎゃふんと言わせると誓う。
「…………」
ふと隣の美女からの視線を感じながらも、私は初授業に向けて気合を入れて、教師へと視線を向けたけれど。
なんと今日は、マミソニア語の小テストがあるらしい。初めて聞く謎の言語だけれど、どうやら必修科目の他国語のようだ。魔法に関して、第一線で研究している国なんだとか。
いきなり0点ゲットだと出落ち感を感じながらも、私はペン片手に配られてきたテストと向かい合った。
やがてテストが終わり、魔法で採点が一瞬で行われた。そして壁に浮かび上がった採点結果に、クラス中がどよめく。
けれど間違いなく、一番驚いていたのは私だった。
──この国の言葉が読めることは、昨晩レーネの下手な字で書かれた読みづらいノートを読んで確認していたけれど。
まさかマミソニア語なる謎の言語すら、全て当たり前のように読めてしまうとは思わなかったのだ。
「……満点は一人、レーネ・ウェインライトだ」
もしかすると私は、この世界の全ての文字が読めるのかもしれない。そう、思った。