浮気と本気
「レーネちゃん、苺が好きなんだね」
「はい。アーノルドさんのレモンケーキも美味しそうです」
ある日の放課後、私は学園内のカフェテリアにてアーノルドさんと向かい合って座り、のんびりとお茶をしていた。
体育祭でのなかよし動物教室や、ユリウスの誕生日プレゼントへのアドバイスのお礼をしたいと伝えたところ、お茶とケーキをご馳走してほしいと言われ、今に至る。
すると突然、甘い笑顔を浮かべたアーノルドさんは、ケーキの乗ったフォークを私の口元に向かって差し出した。
「はい、レーネちゃん。どうぞ」
「それはちょっと違うような……」
「美味しいよ?」
「とても美味しそうだとは思います」
時折、お馴染みの距離感バグが発生し、会話が噛み合わないことはあるものの、楽しい時間を過ごしている。
何を隠そう、アーノルドさんの見た目は私のドストライクなのだ。こうして正面で見るとその顔の良さや、一つ上とは思えない妙な色気に目眩がしてしまいそうだった。眼福だ。
「そういえば、一年生はもうすぐ宿泊研修か。楽しみだね」
「はい、楽しみです。アーノルドさんの時はどうでした?」
「俺達の時は大変だったんだよ。自由時間にユリウスを巡って、女の子達が喧嘩し始めちゃって。魔法まで使い始めたから大騒ぎになって、停学になった子が6人くらいいたかな」
「えええ……」
兄、罪な男すぎる。宿泊研修が地獄と化している。
「昔からそんなにモテてたんですね」
「うん。女の子はみんな、一度はユリウスのことが好きになるって有名だったくらい」
「うわあ……」
どこの少女漫画の世界だろうか。けれど、それを地で行くのがユリウスという男だった。納得してしまう。
そんな兄はどんな美女にも興味がなかったようで、アーノルドさんとの妙な噂も立てられたんだとか。巻き込み事故もいいところだと肩を落とす彼に、思わず笑ってしまった。
「でも、レーネちゃんのことは本当にかわいいんだろうね。最近のユリウスは楽しそうで、俺も嬉しいよ」
「どうしてなんでしょうね」
「面白くて新鮮で、かわいいんだって。だから、誰にもあげたくないって言ってたよ」
根暗で自分を嫌っていた落ちこぼれの妹が、ある日突然、記憶喪失になったことでまったくの別人になったのだ。確かにおもしろ枠としては、かなり強い自信はある。
誰にもあげたくないというのも、お気に入りの玩具を取られたくないという感覚なのだろうか。
「アーノルドさんはどうなんですか?」
「俺はみんな大好きだよ。女の子はみんなかわいいし」
「なるほど」
そんなことを当たり前のように言った彼からは、とんでもない闇の深さを感じた。本当にいつか刺されそうだと思う。同時に、アーノルドさんのことだけは間違っても好きにならないようにしようと、心の中で誓った。
そうしてたわいない話をしていると、やはりアーノルドさんは「これ、本当に美味しいよ」「あーん」と言って再びケーキの乗ったフォークを差し出してきた。
昔から妹が欲しかった、こういうのが憧れだったとまで言われてしまった私は、お礼だし一度だけならと口を開ける。
そしてフォークが口の中へと差し入れられ、レモンの良い香りと甘さが広がっていくのを感じた時だった。
「は、なに? 浮気?」
そんな声が降ってきたことで、私は咳き込みそうになり、慌てて口元を覆った。どうして兄がここに。
「あれ、ユリウス。まだいたんだ」
「スージーちゃんの手伝いさせられてた。ていうかお前さ、勝手にレーネと二人で会うなって言ったよね?」
「そうだっけ」
そう言うと、ユリウスは当たり前のように私の隣に腰を下ろすと、頬杖をついてじっと私を見つめた。
「で? なに今の」
「な、何と言われましても……そもそも浮気じゃないし」
「じゃあ本気なの?」
「いやいやいや」
兄が何を言っているのか、さっぱり分からない。そしてまさかこんなタイミングで、彼が現れるとは思わなかった。
アーノルドさんは「見つかっちゃったね」なんて言って、呑気に笑っている。完全に他人事だ。ユリウスは笑顔を浮かべているものの、不機嫌さが滲み出ていた。
「レーネさあ、アーノルドの顔好きでしょ」
「…………」
「見てたら分かるよ」
「えっ、そうなの? 嬉しいな」
「お前は黙ってろ」
態度にも出さず隠していたつもりだったものの、バレていたらしい。兄の洞察力に脱帽しつつ「すみません」と謝罪の言葉を述べたところ、余計に彼の機嫌は悪くなっていく。
「ムカつく。俺の顔じゃ不満?」
「まさかそんな、あの、話せば分かるかと」
「分からせてよ」
兄はどうやら、何でも自分が一番じゃなければ嫌なタイプのシスコンらしい。このキラキラした彼の顔に、不満などあるわけがない。毎日見ているのに慣れることすらないのだ。
「まあまあ、ユリウスも落ち着いてよ。レーネちゃんは、ユリウスよりも俺の顔の方が好みだったってだけの話だし」
「喧嘩売ってる?」
それからは新たにケーキを注文し、何故かユリウスに「あーん」とケーキを食べさせることで事なきを得た。
いや、全然得ていない。あまりの恥ずかしさに泣きたくなる私を見て、兄はやけに満足げな表情を浮かべていた。私は何も悪いことなどしていないのに、おかしいと思う。
そうして再びたわいない話を三人でした後、アーノルドさんと別れ、私たちは一緒に馬車に乗り込み帰路についた。
ユリウス達の宿泊研修について聞いていたと話したところ、彼は「うわ、懐かしいな」と呟き、溜め息を吐いた。
「俺まで教師に呼び出されて事情聴取されて、最悪だった」
「驚くほどにモテモテだね」
「……本当、無駄なことするよね。そんなことをしたって、俺はあの子達のことなんて好きにならないのに」
そう呟いたユリウスはいつも通りの笑みを携えていたけれど、その瞳は冷めきっているようにも見えて。
「ユリウスって女の子、あんまり好きじゃないの?」
「恋愛感情に振り回されるような子は好きじゃないかな。なりふり構わない姿とか見ると、吐き気がする」
「……そうなんだ」
過去に何か辛いことがあったのだろうか。そう思えるくらい、その言葉にはひどく重みがあった。
やがて兄は「あーあ」と言うと、私の手を絡めとった。
「宿泊研修、レーネと一緒に行きたかったな」
「私は修羅場に巻き込まれたくないから、ユリウスと別で良かったと心から思ってるよ」
「冷たいね。そういうところが良いんだけど」
「変なの」
もしかすると兄は、自身に恋愛感情を向けない「妹」としての私が気に入っているのではないかと、思い始めていた。
そして宿泊研修の間は、いつの間にか保護者枠に認定されていたテレーゼと吉田の言うことをしっかりと聞き、なるべく二人の側にいるよう何度も言い聞かせられたのだった。