悪と悪 3
本拠地に突入してから、どれくらいの時間が経っただろう。
体感的には三時間ほど経過したように思える頃、ようやく地下に静寂が訪れた。
「あー……ようやく全員倒せた」
「レーネ、大丈夫? 怪我はない?」
休みなく集中して戦い続けたことで、どっと疲れが押し寄せてくる。中にはもちろんかなりの腕の魔法使いもいて、長期戦になったこともあった。
それでも本当の戦いはまだこれからで、まだまだ気は抜けない。
「私は大丈夫だよ! みんなも怪我がないようで良かった」
けれど屋敷の外では腕の良い治癒魔法使いも数人待機しており、すぐに治療をしてもらえるという環境は心強い。
どうかお世話にならないことを祈りつつ、持参していた水を飲んで一息吐いた後、私達は本格的に地下を進むことにした。
まだ隠れていた敵はいるものの、先程までに比べれば大したことはなく、レンブラントを探しながらしらみ潰しに回っていく。
「……どこにいるんだろう」
昨晩からレンブラントが屋敷にいることは確認済みらしく、どこかにいるのは間違いない。必ず捕まえたいという気持ちはあるし、ユリウスとブレアさんとの勝負もある。
けれどやはり得体の知れない恐ろしさがあって、別の階に潜んでいてほしい、私達のグループとは遭遇しないでほしいという思いも、正直あった。
そんな中、一番最後となった地下の広間の前で私達は足を止めた。心拍数が上がっていくのを感じる中、ユリウスは片手をかざし、重厚な扉を吹き飛ばす。
「俺達が当たりを引いたみたいだ」
そう言って口角を上げたユリウスの視線の先には部屋の中央の椅子に座る、長い赤髪が印象的な男性の姿があった。
一眼見た瞬間、レンブラントだとすぐに分かった。
ブレアさん同様に普通の人とは違う、マフィア特有の雰囲気が漂っていたからだ。
「……レンブラント」
きつく拳を握りしめたルカが、振り絞るような声で名前を呼ぶ。やはり赤髪の男性がこの東のボスらしく、彼はそんなルカに対して微笑んだ。
「やあ、ルカーシュ。うちのアジトで好き放題やってくれたみたいだね」
口元に薄い笑みを浮かべてはいるものの、二つの金色の瞳にも彫像のように整った顔にも、人間味や温度が一切感じられない。それがひどく不気味で、恐ろしく感じられる。
こんな状況でも、焦りや動揺といった感情も見受けられない。
「これがお前なりの恩人に対しての恩返しなのかな?」
「誰が恩人だ! お前のせいでどれほどの人間の人生が潰されたと……!」
「お前は小虫を殺した後にいちいち後悔をするの? 生きている価値もない奴らを有効活用してやっただけでも、感謝してほしいくらいだよ」
「…………っ」
罪悪感も後悔もなく、自分がどこまでも正しいと思っているのが伝わってくる。
──これほど純粋で忌まわしい「悪」を、私は生まれて初めて見た。
こんな人間が権力を持ち、他人の人生を左右できる立場にいるなんて絶対にあってはいけない。
レンブラントのもとにいたルカの苦しみも計り知れず、身を切られる思いがした。
「強がるのも結構だけど、逃げるのは不可能じゃないかな」
地下だけでなく他の階も制圧されているだろうし、脱出ルートも潰してある。
自身の拠点の状況も把握しているはずなのに、これほど余裕な態度は不気味だった。
「本当に不可能だと思うかい?」
レンブラントはくすりと笑い、風魔法を放って切り捨てたカーテンの向こうには、手足を縛られている子ども達の姿があった。その目には涙が浮かんでいて、ひどく怯えきっている。
「どうしてこんなところに……」
そんな子ども達に対し、レンブラントは手のひらをかざす。レンブラントと子ども達の身体が僅かに光り、何らかの魔法が使われたようだった。
「これで俺とガキどもは一心同体だ。俺を攻撃すればこいつらも同じだけ傷付くし、俺が死ねばこいつらも全員死ぬことになる」
「……え」
信じられない言葉に、全員が言葉を失う。
けれど確かに五感の共有といった魔法は存在するし、痛みや苦しみだってできてしまうだろう。
魔法に詳しいユリウスやアーノルドさんが否定しないのが、何よりの証拠だった。
「……本当にどこまでもクソ野郎だな」
なぜ退路を塞がれ、大勢に囲まれた上でも余裕の態度でいられたのか、今になって理解した。
「お前らのような甘い人間には、この方法が良さそうだ」
いくつもこの場を切り抜ける術を用意していて、子ども達を巻き添えにする方法もそのうちの一つだったのだろう。
まさかこんな方法を取るなんて、まともな人間に想像できるはずがない。
「どうせブレアもいるんだろう? 俺を守り切らないと、ガキどもが死ぬよ」
「くそ……っ」
子ども達を救うためにここまで来たのに、別の子ども達を犠牲にしてまでレンブラントを攻撃することなんて、できるはずがない。
けれどブレアさんはきっと、この機を逃さない。
子ども達を守るためにはブレアさんを止めなければならず、どの道もう平和な解決方法なんて存在しないのだと、絶望感が広がっていく。
「せっかく、ここまで来たのに……」
ここで全てが終われば状況が悪化しただけで、ルカだけでなく私達もこの先、生き延びたレンブラントに狙われることになる。
それでもこの状況を打破できる方法なんて見つからず、視界が揺れ始めた時だった。
「──アーノルド」
ユリウスが静かに、アーノルドさんの名前を呼ぶ。
そのたった一言で全て伝わったのか、アーノルドさんは眉尻を下げた。
「……お願いだから、死なないでね」
不穏な言葉を紡いだアーノルドさんは、ユリウスとレンブラントに向かって両手をかざす。
何らかの魔法を使ったようだったけれど、私達には何が起きたのか分からない。
「──は」
そんな中、ずっと余裕の表情を崩さずにいたレンブラントの顔から、笑みが消えた。




