誕生日パーティー 3
「ユリウス様、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「レーネ様もとても美しくなられて」
「あ、ありがとうございます」
あれからずっと兄の隣にいる私は、今すぐ逃げ出したい衝動に駆られていた。時折、誰なのか分からない人々に声をかけられ、無難な返事をするのはかなりの難易度だった。
特に兄を慕っている令嬢が挨拶に来た際には、妙な緊張感があった。みんな私の手を取り、お姉さんと呼んでねとでも言いたげな顔をしてくるのだ。怖い。
とは言え、少し離れたところからずっとこちらを睨んでいるジェニーの顔が、何よりも怖かった。
「お誕生日おめでとうございます。ユリウス様もそろそろ、結婚なんかを考える年齢では?」
「あはは、そうですね」
「婚約者はもう決まっているんですか?」
「父が決めた相手とすることになっています」
そんな会話をする兄の隣で、私は内心驚いていた。この世界でも貴族として生まれた以上は、好きな相手と結婚など出来ないのかもしれない。政略結婚というやつだ。
そして、ひとつの疑問が浮かぶ。攻略対象とハッピーエンドを迎えなかった場合、私はどうなるのだろう。
呑気に恋愛したいなんて言っていたけれど、父の決めた相手と結婚させられるような気がしてきた。ジェニーと違い大して可愛がられていない私なんて、お金持ちの変なおじさんに嫁がされたっておかしくはないのだ。
まだまだ問題は山積みだと思いつつ、再び兄の元へ別の招待客が挨拶に来たことで、慌てて笑顔を浮かべる。
「いやあ、優秀なユリウス様がいればウェインライト家の将来も安泰ですな」
今日一日彼の隣にいて思ったのは、ユリウスはかなり期待されているということだった。誰もが兄を褒めており、親しくなろうとしているのが見て取れる。
兄にこっそりと「すごいね」と声を掛ければ、「本当はこういう場、あまり好きじゃないんだけどね」と兄は小さく溜め息を吐いた。
日頃から、兄は自主的に色々な集まりに顔を出していることを知っていたからこそ、なんだか意外だった。
「こういう付き合いは大切だからね。力になる」
「そうなんだ」
「俺、この家をいずれ乗っ取るつもりだから」
「……なんて?」
「内緒だよ」
そう言うと、彼は唇に人差し指をあて微笑んだ。兄の言っていることが冗談なのか本気なのか、いつも分からない。
「誕生日おめでとう、ユリウス。レーネちゃんも一緒だ」
「アーノルドさん!」
そんな中、ようやく知り合いが現れたことで、思わずほっと安堵してしまう。思わず笑顔になってしまった私を見て、「今日一番嬉しそうなんだけど」と兄は文句を言っている。
「こうして並んでいる姿を見ると、本当にお似合いだね」
「でしょ?」
それからは三人で、楽しい時間を過ごしていたけれど。
「そろそろ、ダンスの時間かな。行こうか」
「は?」
そろそろパーティーもお開きという時間になった頃、ユリウスは突然そんなことを言い、私の手を取った。
「俺のパートナーはレーネだし」
「待って無理本当に待って落ち着いて」
「俺は落ち着いてるよ」
ダンスなんて、もちろんやったことなどない。その上、こんな大勢の人々の前で踊るなんて無理だ。
「大丈夫、俺がついてるから」
どうやら私に選択肢はないらしく、そのままずるずるとホールの中心へと連れて行かれる。やがて流れ始めた音楽に合わせて、訳もわからず踊り始めたのだけれど。
流石のレーネもダンスの経験はあったのか、身体がなんとなく覚えているようだった。何より、ユリウスのリードが上手いことは、ド素人の私でも分かる。
「ちゃんと俺を見て」
ステップなんかが不安でつい俯いてしまっていると、そう声をかけられて。慌てて顔を上げれば、ひどく柔らかな表情を浮かべるユリウスと視線が絡んだ。
泣きたくなるくらい綺麗なその笑顔に、心臓が大きく跳ねた。煌めくアイスブルーの瞳から、視線が逸らせなくなる。
「今日はありがとう。レーネのお蔭で楽しかった」
「それなら良かった」
少しでも兄に恩返しが出来たのなら嬉しい。そんなことを思いながら、彼のリードに身体を委ねた。
パーティーを終えて自室に辿り着いた頃には、私のライフは完全にゼロだった。ローザに助けてもらい、そのまま寝る支度まで一気に済ませる。今夜も泥のように眠れそうだ。
このまま眠ってしまいたかったけれど、誕生日プレゼントだけは今日中に渡さなければ。重たい身体を引きずり、小さな箱片手にユリウスの部屋へと向かう。
やがて彼の部屋の前へと辿り着くと、涙を流しているジェニーが飛び出してくるのが見えた。
◇◇◇
「どうして、お姉様ばかり優先するんですか」
「ダメなの?」
「っそんなに私のことが嫌いなんですか……!?」
「そうは言ってないよ」
突然部屋を訪ねてきたと思えば、ジェニーはそんなことを口にした。もちろん、彼女がこうして文句を言いにくることは予想できていたけれど。
ジェニーの瞳には、みるみる大粒の涙が溜まっていく。本当は俺のことなんて大して好きでもない癖に、母親に似て欲深い女だと嫌悪感が込み上げてくる。
罵りたくなる気持ちを抑えて、笑顔を貼り付けた。
「お姉様を可愛がろうと、お兄様の妻になるのは私です」
「まだ分からないんじゃないかな」
「……お姉様が私を超えてSランクになれると、本気で思っているんですか?」
「レーネ、頑張ってるからね」
自身が魔法使いではないことに異常なほどコンプレックスを抱いている父は、この家から優秀な魔法使いを出すこと、魔法使いの血を濃くすることに対して執着している。魔法使いから魔法使いは生まれやすいのだ。
だからこそレーネとジェニー、優秀な方と結婚させられるというのは子供の頃から決められていたことであり、レーネの母もジェニーの母も魔法使いだった。
特にレーネの母は平民ながらかなり優秀な魔法使いだったというのに、レーネ自身は誰もが認める落ちこぼれで。期待されていた分、彼女への風当たりは余計に強かった。
それでも、記憶喪失になったのをきっかけに彼女は変わった。今の彼女ならば母親をも超える魔法使いになれる可能性があると、俺は思っている。
見ている限り、ジェニーにはもう伸び代はない。彼女の魔力量はそこまで多くないのだ。技術や筆記試験で頑張ってはいるようだけど、Sランクになれる器ではないだろう。
「私は絶対に、お姉様には負けませんから」
「うん。頑張ってね」
心のこもっていないそんな言葉を掛ければ、ジェニーはぽろぽろと涙を流し、部屋を飛び出して行った。
一人溜め息を吐き、誕生日だというのに不愉快な気分になってしまったと思っていると、「あの」という声と共にドアの隙間からひょっこりとレーネが顔を出した。
「……なんか大丈夫? ジェニー、泣いてたけど」
「ううん、何でもないよ。おいで」
彼女の顔を見た瞬間、先程までの憂鬱な気分なんて消えてしまっていることに気が付く。どうやら思っている以上に、俺は彼女を気に入っているらしい。
まっすぐで一生懸命な彼女を見ていると、自身の中のどす黒い感情が薄れていくような気さえした。
「誕生日プレゼント、持ってきたんだ」
「ありがとう。嬉しいな」
それでも、復讐のために彼女を利用することに変わりはない。絶対に絆されてはいけないと、自身に言い聞かせた。