東と西 3
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「ルカ……?」
思わず身を乗り出し、ルカの顔を覗き込む。
すると苦しげに眉が寄せられ、やがてゆっくりとルカの両目が開かれた。
「よ、良かった……」
お医者さんに診てもらって命に別状はないと言われたと聞いていても、こうして目が覚めるまではやっぱり不安で仕方なくて、視界が揺れる。
ユリウスもルカの様子を見てほっとしたように小さく息を吐いていて、ルカをどれほど心配してくれていたのかが伝わってきた。
ルカはしばらくぼんやりとした様子で天井を見つめていたけれど、やがて静かに視線を動かし、私と同じ色の瞳と視線が絡んだ。
「……何で俺、生きてんの」
ひどく掠れた小さな声で、ルカはそう呟いた。
相当酷い状態だったと聞いているし、意識を失う際に死を覚悟したのかもしれない。大切な弟がそんな思いをしたのだと思うと再び目の奥が熱くなって、きつく唇を噛み締めた。
「ルカ、大丈夫? どこか辛いところはない?」
「……うん」
ゆっくりと身体を起こしたルカは、怪我をした箇所を確かめるように、自身の身体に触れた。
無事だったことに、まだ現実味がないのかもしれない。
「ルカが襲われたところをミレーヌ様が見つけて、助けてくれたんだよ」
今に至るまでの経緯を話したところ、ルカは「そう」とだけ言い、目を伏せた。その悲しげで悔しげな表情は、深く後悔しているように見える。
「……迷惑をかけて、ごめん」
「迷惑なんかじゃないよ! ねえ、ルカは一体何に巻き込まれてるの? どうして東のマフィアに狙われたり、西のマフィアと関わったりしてるの?」
ずっと気がかりだったことを、はっきりと尋ねてみる。
すると私がそこまで知っていることに驚いたのか、ルカの目が僅かに見開かれた。
「……言えない」
けれど少しの間の後、返ってきた答えはそれで、もどかしい気持ちになる。
それでも諦めずに説得しようとするよりも先に、ユリウスが口を開いた。
「もうお前だけの問題じゃなくなってるんだよ。情報がなければ、対処のしようもない」
そう告げたユリウスの声には、静かな怒りや確かな圧があった。ルカにも伝わったのか、ぐっと唇を噛み締めている。
「この屋敷だってバレているだろうし、レーネがお前の血縁だってことも知られているだろうね。レーネだって俺だって、お前の問題が解決しなければいつまでも危険に晒される」
「…………」
「お前の事情に勝手に巻き込んで協力さえしないなんて、あまりにも無責任じゃない?」
ユリウスの言葉は正論で、ルカも言い返すことができないようだった。
それからまた、少しの沈黙が流れる。
「──俺が死ねばいい」
やがて顔を上げたルカは、はっきりとそう言ってのけた。
「そうしたら誰も狙われなくなるし、俺だってこんなことから解放されて、全部が終わる」
ルカは自嘲するように、全てを諦めたように、片側の口角を上げる。私はルカの事情も知らないし、抱えているものだって知らない。
けれどどうしてもその言葉だけは許せなくて、私はきつくルカの両腕を掴んでいた。
「死ねばいいなんて、絶対に言わないで!」
「…………」
いつも甘やかしてばかりいた私が大声で怒鳴ったことで、ルカは目を見開き、信じられないという表情でこちらを見ている。
胸が痛くて苦しくて、泣きたくて仕方なかった。
「……ごめんね」
死んだ方が楽だと思えるくらい、追い詰められていたことに気付けなかったこと、そこまで何もできなかったことも、どうしようもなく悔しい。
「…………っ」
呆然とするルカの身体を抱きしめると、ルカが言葉に詰まったのが分かった。
「私は絶対に大丈夫だし、何があってもルカの味方だから」
「……ねえ、さん」
私はとっくに泣いてしまっていたけれど、ルカの声も震えていて、余計に涙が止まらなくなる。
「上の兄弟ってね、下の子を守るためにいるんだって」
私はルカみたいに戦えないし、魔法だってルカよりも下手だけど、心だって何だってルカが思っているよりもずっとずっと強い自信があった。
まだルカと過ごした時間は短いし、私はレーネ自身でもない。けれど私にとってルカは可愛くて大好きな弟で、心の底から大切で、どんなことをしてでも守りたいと思っている。
そんな気持ちを精一杯のまっすぐな言葉で伝えると、遠慮がちにルカの手が背中に回された。
「……姉さんは、優しすぎるよ」
やがて私の肩に顔を埋めたルカの身体も声も、小さく震えている。
私よりも背丈は高いけれど、縋り付くように私に体重を預けているルカは小さな子どもみたいに見えて、そんなルカが背負っているものを全て取り払いたいと改めて強く思った。
「俺だって、好きでこんなことをしてるわけじゃない」
「……うん」
やがてルカはぽつりぽつりと、話し始めた。
話せば長くなるというルカに「いくらでも聞くよ」と伝えれば「ありがとう」と返ってくる。
ユリウスも穏やかな表情で頷いてくれた。
「……父さんが事故に遭った後、本当に金がなくて死にそうだった頃に、俺を拾ってくれたのがレンブラント──西のマフィアのボスだった」
初めて聞くルカの過去に、驚きを隠せない。それでもルカの話を遮らないよう、平静を装って相槌を打つ。
「あいつは俺みたいなガキに戦い方や犯罪の仕方を仕込んで、使い捨ての道具として育ててた」
レンブラントというマフィアは、ルカのような子どもを大量に拾い、お金を稼がせてあげる代わりに危険な仕事をさせていたのだという。
「俺も最初は自分がしているのが、悪いことだっていうのも分かっていなかったくらいでさ」
子どもはまだ善悪の区別がついていないことが多い上に、ある程度の現金を渡すと喜ぶため、大人よりも簡単に扱えて楽なのだとレンブラントは言っていたらしい。
「他の奴らはすぐに捕まったりダメになったりしたけど、俺は何度も死にかけながらもあいつの用意した仕事をこなし続けて、いつの間にかあいつの『お気に入り』になってた」
呆れたように、吐き捨てるようにルカは言ってのけた。
素人離れしたルカの戦闘能力の高さにも、異常なほど肝が座っていることにも納得がいく。
幼い頃からそういう風に育てられ、危険な局面を何度も乗り越えてきたからなのだろう。
「なんて酷いことを……」
身寄りのない子どもを道具として扱い、危険な目に遭わせるなんて許せるはずがない。ユリウスの顔にも、怒りや嫌悪感が滲んでいる。
けれど今もそういったことは、実際にあちこちで行われているのだとルカは言う。
「そんなクソみたいな生活からさっさと抜け出したくて、二年かけてようやく自力で金を稼ぐ術を得たことで、なんとかあいつと縁を切ることができた」
レンブラントはお気に入りのルカを簡単に離そうとはしなかったものの、手切れ金のような大金を用意して、なんとか足を洗うことができたらしい。
その頃には父の怪我の後遺症なども完治し、平穏な生活が送れるようになったのだという。
ルカは父を心配させないように、ダミーの職場まで用意し「親切な人に雇ってもらって、簡単な仕事をしている」と伝えていたそうだ。
「そこからは、以前姉さんに話した通りだよ」
レンブラントやマフィア達は子ども達を利用し続けており、過去の自分達のような目に遭ってほしくないという想いから、子ども達に仕事先を用意して斡旋しているのだという。
「……仕事も順調だったし、姉さん達との学園生活も楽しくて、ずっとこんな平穏な日常が続けばいいのにって、本気で思ってた」
まるでもうその願いは叶わないような口ぶりで話すルカは、静かに顔を上げた。何もかもを諦めた目をしていて、切ない笑みが浮かんでいる。
「でも、目先の金に目が眩んだガキどもがルールを破って、レンブラントに目を付けられた」




