私と兄
ローザに案内され食堂へ足を踏み入れると、既に私以外の人は揃っているようだった。
ちなみに使用人に対して「さん」付けをするのも敬語を使うのもいけないと、軽く怒られてしまった。今後は、貴族令嬢らしい振る舞いも意識していかなければ。
全員の視線が、一斉にこちらへと向けられる。皆が美形なせいで、なんだか妙な迫力がある。大人しく勧められた席に腰を下ろすと、父らしき男性が口を開いた。
「記憶喪失と聞いたが、大丈夫なのか?」
「身体の方は問題ありませんが、記憶の方はやはり一切なくて……今後、ご迷惑をおかけするかと思います」
「そうか。本当に別人になったようだな。分からないことがあれば、使用人やジェニーに聞きなさい」
「分かりました」
え、それだけ? と思いつつも笑顔で返事をする。一応皆簡単な自己紹介はしてくれたものの、素っ気ない気がした。
ふと隣に座る金髪の美少女へと視線を向ければ、彼女はふわりと花のような笑みを浮かべた。
「お姉様、何でも聞いてくださいね」
「あ、ありがとう……」
ジェニー、語彙力を失うくらい可愛い。レーネもかなりの美少女だけれど、彼女にはオーラというか華がある。これでAランク、そして同い年となれば、二人はかなり比べられてきたのだろうと想像できた。
それにしても、あまり居心地の良い食卓ではない。数少ない会話も、ジェニーの話が中心なのだ。一方で、心配していたマナーなどは身体に染み付いているようで、安心した。
さっさと食べ終えて部屋に戻り、再び明日今後の対策を立てようと決める。そうしてパンを食べようとしたところ、ジャムが少し離れた場所にあることに気が付いた。
「ユリウス、そこのジャムとって」
「俺が塗ってあげようか?」
「結構です」
「そう? 残念」
「…………」
ユリウスという人物をさっぱり掴めずにいると、隣でジェニーがフォークを床に落としてしまったようだった。
すぐにメイドが新しい物を彼女に手渡す。そんな彼女は信じられないという表情で、私を見ていた。
「大丈夫? けれどジェニーの気持ちは分かるわ、ユリウスとレーネ、いつの間にそんなに仲良くなったのかしら?」
「…………?」
「貴女達が会話をしているところ、初めて見たもの」
「えっ」
そんな義母の言葉に、訳もわからずユリウスへと視線を向ければ、彼は可笑しそうに笑っていた。やはり名前呼びなどおかしいと思ったのだ、嘘をついたに違いない。
それにしても、兄妹だというのに会話をしているところを初めて見たなんて、どうなっているんだろう。
「……おにいさま」
「嫌だな、ユリウスでいいって」
その顔には、人生イージーモードだと書いてある。何でも許されてきたタイプだろう。私の一番苦手な人種だ。
「バカなレーネの勉強も俺が見てあげるから、分からないことは何でも聞いてね。何もかも分からないだろうけど」
「は?」
「ほう、本当に仲良くなったんだな」
「全然です」
それからの私はとにかく早く食事を終えて退室することに集中していたせいで、ジェニーが睨むようにこちらを見つめていることに、気が付いていなかった。
「ちょっと、お姉様」
「うん?」
やがて食事を終えて部屋に戻る途中、私に声をかけてきたのはジェニーだった。声まで驚くほどに可愛い。
「ユリウスお兄様は、絶対に渡さないから」
「うん……?」
告げられた言葉の意味がわからず、私は首を傾げる。すると彼女は、形の良い金色の眉を顰めた。
「私が絶対に、お兄様と結婚すると言っているんです」
「あ、そうなんだ」
そうか、彼女は後妻の連れ子なのだ。私とは違い、ユリウスとは血が繋がっていないはず。結婚だって可能だろう。
あれだけのイケメンが側にいれば、恋に落ちてもおかしくはない。ユリウスもジェニーに対しては、当たり障りのない態度をとっているようだった。
あの兄の様子を見る限り、私は過去も未来も間違いなくブラコンにはならなさそうだ。むしろ絶対になりたくない。
「美男美女でお似合いだと思うよ、頑張って」
「……そうですか。記憶喪失だかなんだか知りませんが、私の邪魔だけはしないでくださいね」
先程までの笑顔はどこへやら、彼女は冷ややかな視線を向けてくる。どうやらジェニーにまで嫌われていたらしい。
すたすたと歩いて行く彼女の背中を見つめながら、なんだか疲れる家だなあと私は一人溜め息をついた。
◇◇◇
翌朝。病み上がりのため、まだ登校しなくても良いんじゃないかと心配するローザに「大丈夫」と笑顔で返し、制服に袖を通した。コスプレかと思うくらい、可愛らしい制服だ。
ふわふわとした栗色のロングヘアを片側だけ編み込んでもらい、可愛らしいリボンで結んだ。肌荒れひとつない真っ白な肌には、化粧で少しだけ色を乗せる。
「これが……本当に私……!?」
「そうですよ。お嬢様、とてもお美しいです」
「あ、ごめん……ありがとう……」
うっかりボケてしまったものの、普通に褒められてしまった。とは言え、本当に可愛いのだ。過去のレーネは自身の容姿に無頓着だったらしいのが、とても勿体ない。
けれど鏡に映る胸元の真っ赤なブローチの色を見た私は、深い溜め息を吐いた。この色がFランクの証拠らしい。よりによって何故、こんな派手な色なのだろう。虐めてくださいと言っているようなものではないか。
……昨晩、ハートフル学園に詳しい執事に話を聞いたところ、ランクは魔力量、知識、技術の3つで判断されるとのことだった。現在は5月で、次のランク試験は6月らしい。1ヶ月でなんとかEまでは上げたいところだ。
必死に記憶を遡った結果、ヒロインの魔力は攻略対象による好感度、そして技術は他人との練習で伸びることを私は思い出していた。知識は多分、普通に勉強すればいいはず。
内気だったらしいレーネには、間違いなくステータスを上げるのは難しかっただろう。
「……同級生には、王子がいるんだよね?」
「はい。セオドア様ですね」
とにかくランク上げのためには、攻略対象の好感度が必要なのだ。私が覚えているのはプレイしたものの途中で辞めた王子のみ。彼の取り巻きの中にも一人くらいいたような気はするけれど、定かではない。
今はとにかく、セオドア王子に話しかけるしかない。
作業系の乙女ゲームでは、数百というターンをひたすら攻略対象に話しかけるものもある。全く同じ会話を繰り返すことだってあるくらいで。けれどその苦痛を乗り越えた先に、ドキドキのイベントやハッピーエンドが待っている。
とは言え、私は王子に対してそこまでするつもりはない。友人くらいまで好感度を上げさせてもらい、魔力量を増やしたいだけだ。頑張らなければ。
「よし、行ってくるね」
「行ってらっしゃいませ」
そうして気合いを入れて部屋を出れば、ばったりとユリウスと出会した。今日も驚くほどにイケメンで、ただ歩いているだけで一枚絵のようだ。歩くスチルと名付けたい。
「おはよう」
「おはよ。レーネから朝の挨拶をされる日が来るなんて感慨深いな。俺も準備が終わったところなんだ、行こうか」
「うん……?」
大人しく彼の後をついていき、玄関を出て馬車に乗る。そして向かい合って座った途端、馬車は動き出した。
「あれ、ジェニーがまだ」
「来ないよ」
「え、だって」
「俺達全員、元々別の馬車で登校してたし」
「…………」
「お前、バカすぎて可愛いね」
またやられてしまった。ユリウスが当たり前のような顔をしていたせいで、これが普通なのかと思ってしまった。
そもそも三人とも行き先が同じだというのに、バラバラで登校する方がおかしい。後でジェニーに怒られそうだ。
それにしても頬杖をつき機嫌の良さそうなユリウスは、何がしたいんだろう。仲が悪かった妹と仲直りがしたい、と言うようにはとても見えない。完全に、私で遊んでいる。
「……なんで私達、仲良くなかったの?」
「さあ?」
やはり可笑しそうに笑う彼に聞いても無駄だと悟り、私は深い溜め息を吐くと、窓の外へと視線を向けたのだった。