亀裂
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「…………っ」
「自分だけお兄様とあの家から逃げ出して、さぞ気分が良いでしょうね」
背中の痛みを堪えながら顔を上げると、怒りに満ちたジェニーと視線が絡む。
ジェニーの怒りの理由は分からないものの「自分だけ逃げ出した」という言葉からは、彼女もあの家をよく思っていないことが窺えた。
けれどいつだって両親は落ちこぼれだった私よりも優秀なジェニーを可愛がっていたし、彼女の味方ばかりをしていたからこそ、意外だった。
「……ジェニーもあの人達が嫌いなの?」
「好きだとか嫌いだとか、もうそういう話じゃないわ」
私の問いに対して鼻で笑ったジェニーは、私の制服を掴んだ手に力を込める。
「あんたは良いわよね、最初から落ちこぼれだったせいで何の期待もされないんだから」
「……でも、良いことばかりじゃなかったと思うよ」
私は元のレーネ自身じゃないし、過去のことについては明るくない。
けれど、彼女があの家で辛い思いや孤独な思いをしていたことは知っていた。転生した直後、階段から落ちて意識のなかったレーネに対し、誰一人お見舞いにすらこなかったのだから。
ジェニーに手を出されてやり返したら、両親ともに彼女の味方をしたことだってある。だからこそ黙っていられなくて言い返すと、ジェニーはぐっと桃色の唇を噛んだ。
「うるさい! お兄様をたらし込んで友人に囲まれて、自分だけ幸せですって顔をしているのが本当にムカつくのよ!」
「ねえ、落ち着いて! どうしてそんな……」
どんどん激昂していくジェニーから逃れようとしても、意外と力が強くて振り解けない。
「なんだ? 喧嘩か?」
「ウェインライト伯爵家の……やっぱり複雑なのかしら」
私を壁に押し付けたままのジェニーが大声を出していることで、何事だろうと辺りにいた生徒が集まってきていた。
ユリウスと私の関係が広まったこともあり、より注目されてしまっている。
「私より不幸だったから、全て許せたのに……!」
「痛っ……」
制服を掴んでいない方の手の爪がぐっと腕に食い込み、鋭い痛みが走った。
ジェニーは人目を気にするイメージだったのに、周りなんてもう見えていないらしく、私を解放する様子はない。
これ以上は先生が来て大事になりそうで、どうしようと思っていた時だった。
「おい、何してんだよ!」
「何するのよ! 離して!」
騒ぎを聞きつけたらしいヴィリーとラインハルトがこちらへ駆けてきて、ヴィリーがジェニーと私を引き離してくれた。
「大丈夫? レーネちゃん」
「う、うん……ありがとう」
心配してくれるラインハルトにお礼を言った後、再びジェニーへ目を向けた。
ようやく冷静になったのか、思った以上に野次馬が集まっていたことに気付いたらしく、バツの悪そうな顔をしている。
そのままこちらへ背を向けて去っていこうとするジェニーに対し、私は声をかけた。
「……何かあったら言ってね! 力になるから!」
今の出来事だけでなく、これまでの嫌がらせなど許せないこともたくさんある。
けれど人でなしの伯爵夫妻のいるあの屋敷にジェニー一人を置いてきた罪悪感と、私の方が実際の精神年齢は大人だからこそ、純粋に心配な気持ちもあった。
けれどジェニーはこちらを振り返ることなく、人混みの向こうへ消えていった。
◇◇◇
「ジェニーと揉めたんだって? 大丈夫だった?」
新居へ向かう帰りの馬車に揺られていると、ユリウスにそう尋ねられた。
「ヴィリー達が助けてくれたし平気だったんだけど、どうして知ってるの?」
「クラスの奴らが話してたんだ」
あの出来事は三年生にまで広まっていたようで、噂の広まる早さには驚かされる。
ジェニーが言っていた内容について伝えたところ、ユリウスは「なるほど」と呟いた。
「やっぱり次期伯爵夫人の座に就くよう、きつく言われていたんだろうね。特にあの女は身分を理由にレーネの母親を見下していたから、俺がレーネを選んだことは許せないんじゃないかな」
あの女というのは、伯爵夫人のことだろう。
ユリウス曰く夫人にはかなりヒステリックな一面があるそうで、昔はジェニーへの指導の中で金切り声を上げながら叩いているところも見たことがあるという。
『ユリウスお兄様は、絶対に渡さないから』
『お父様はとっくにおかしいのよ。……お母様もね』
そんな話を聞くと、やはりジェニーにも事情や抱えているものがあるのだと胸が痛んだ。
レーネを退学にさせようとしていたのだって、卒業時に成績が良かった方がユリウスと結婚するなんて馬鹿げたルールに則っていたのだろう。
「……どうしたらジェニーの力になれるのかな」
「レーネって本当にすごいよね。お人好しにも程があって心配になるよ」
「だって、ジェニーはまだ十七歳だよ」
もちろんランク試験でのことなど、汚い手を使ったことは許せない。
貴族社会はそういうものだとはいっても、元の世界で言えば高校生くらいの年齢で一生を決められて縛り付けられているなんて、辛くて苦しいことに変わりはないだろう。
「レーネだってまだ十七歳だけどね。まあ一度、俺もジェニーと話をしてみるよ。俺と結婚なんかしなくても幸せに暮らせる道はいくらでもあるだろうし、その手伝いはするって」
「うん、ありがとう」
私の言葉に聞く耳は持ってくれなくても、ユリウスなら違うかもしれない。
ほっとしていると、じっとユリウスがアイスブルーの瞳でこちらを見ていることに気付いた。
「やっぱりレーネって時々、すごく大人びた顔をするよね」
「フフ、実は大人の女だからね」
幼稚な言動が多い自覚はあるものの、精神年齢は一応ユリウスより少し上の私はファサ……と肩にかかっていた髪を後ろへ流す。
するとユリウスはくすりと笑った後、とん、と私の後ろの窓に手をついた。
「俺、たまにはレーネお姉さんにリードされたいな」
「本当にすみませんでした」
もちろん恋愛に関しても幼稚な私にそんな芸当ができるはずもなく、素直に謝っておく。
そんなこんなで帰宅したところ、それからすぐにルカが新居へとやってきた。
「ふうん、なかなかいいじゃん。俺、あんまり広い屋敷は好きじゃないんだよね」
「良かった! ルカの部屋はこっちだよ」
この屋敷を気に入ってくれたらしいルカを、ルカ用の個室へ案内する。客間として用意していた部屋だそうで、ベッドや机など必要な家具は全て揃っていた。
「なんで姉さんとあいつの部屋は二階で、俺の部屋は一階の端なわけ? やらしくない?」
「や、やら……お姉ちゃん、そんなことはないと思うなあ」
「あいつに手を出されたら俺に言ってね。上手くやるから」
「何を?」
部屋の配置への文句と物騒なことを言いつつ、ルカは持ってきた荷物を広げていく。
けれど大きなカバン二つぶんだけで、驚くほど少ない。
「これ以外は寮に置いてきたの?」
「うん。でも、そもそも物が多いのは好きじゃないんだよね。服とかも頻繁に買っては捨てるし」
「ルカ、お洒落だもんね。流行りの最先端って感じ」
「服が特別好きなわけではないけど、人間の大半は見た目で判断するって言うしね」
片付けを手伝いながら、やはりルカには大人びた一面があるなあと感じる。
高級感のあるアクセサリーをひとつひとつ取り出していると、服をクローゼットにかけていたルカが「あ」とこちらを振り返った。




