兄と私
「あ、これすごいかわいい」
「買おうか?」
「いや、大丈夫だよ」
「お兄ちゃん、お金持ちだから何でも買ってあげるよ」
あっという間にやって来た週末。裏でユリウスに指示されていたらしいローザにばっちりと着飾られ、現在私は王都の街中を歩いていた。
今日の為に用意されたドレスや靴はとても可愛らしく、何よりレーネによく似合っていて。出発時には内心、かなり浮かれてしまっていた。小さな宝石が散りばめられている髪飾りも、いつまでも眺めていたいくらいにかわいい。
一方、兄もしっかりと身支度を整えており、あまりの輝きに思わず目を細めてしまったくらいだった。兄とすれ違った後、足を止めて振り返る人もいる程のイケメンぷりだ。
そんな彼と私は、まずはウインドウショッピングをしていたけれど、私が何かをかわいい、素敵だと褒める度に兄は全て買おうとするのだ。恐ろしいシスコンである。
どうやら兄は父に内緒で投資をしていて、かなりの貯蓄があるらしい。「バレたら俺、酷い目に遭わされちゃうから内緒だよ」なんて言われたけれど、そんな秘密を私に話してしまって良いのだろうか。
「昼は何が食べたい? レーネの好きなものにしようか」
「どんなものがあるのか、よく分からなくて」
「それならいくつか候補を挙げるから、その中から選んで」
「うん、ありがとう」
そして何より、今日の兄は一段と私に甘い。
まるでお姫様のような扱いをしてくれるのだ。悔しくなるくらい、女性の扱いが上手いなと思う。
「最近のユリウス、優しすぎて怖い」
「俺は狡い人間だからね、見返りを求めちゃうかも」
あはは、なんて言って笑いながら、彼はごく自然に自身の左手で私の右手を絡め取っていた。兄妹でこれはおかしいと突っ込んでも「誰も俺たちが兄妹なんて分からないよ」と言って聞かない。
兄の温かい手は、好きだ。こうして誰かに手を引かれて歩いたことなんてなかったせいで、余計にそう思えてしまうのかもしれない。改めて思い返してみると、我ながらかなり寂しい人生を送っていたように思う。
「でも、私にできることがあれば言ってね。できる限りのことは何でもするから」
だからこそ今、私の周りにいる人達を大切にしたい。
そう思っての言葉だったけれど、何故か兄はひどく驚いたような表情を浮かべ、私を見つめている。
「……俺に、何でもするなんて言っちゃダメだよ」
「えっ?」
「ううん、何でもない。困ったら、レーネちゃんに助けてもらおうっと」
そう言って微笑むと兄は再び私の手を引き、沢山の人で溢れる街中を歩き出した。
「そういえば試験の時にお前を攫った奴、退学になったよ」
「え、そうなの?」
「うん。代わりに聞いたのに、言うの忘れてた。ごめん」
どうやら「妹を傷つけたくない」なんて言って、教師達から代わりに話を聞いてくれていたらしい。体育祭に集中しすぎて、すっかり忘れていた。警戒心、警戒心。
「そもそも、退学届が出されてたんだって。試験前から」
「どういうこと……?」
「さあ? その上、問い詰めても制約魔法が掛けられていたせいで、何の情報も引き出せなかったって」
「制約魔法?」
そんな初めて聞く言葉に首を傾げれば、どうやらお互いの同意の上で懸ける魔法で、本人の行動を制限できるものなんだとユリウスは説明してくれた。
「とにかく、かなり用意周到だったってことだね」
「それ、すごい怖くない……?」
「うん。しばらく身の回りには気をつけたほうがいいよ」
つまり、誰かが試験の前から計画を立て準備をして、私を退学に追い込もうとしていたことになる。
その人物が誰なのか分からない以上、再び何らかの行動に出る可能性は高い。今後、本気で気を付けなければ。
「ちなみに、実行犯の奴は俺が虐めておいたから安心して」
「あ、ありがとう……?」
にっこりと爽やかな笑顔を携える兄が、あの男子生徒に一体何をしたのかは怖くてとても聞けなかった。
──それからは二人で、今一番人気だと言う恋愛物の舞台を見た。内容も素晴らしいのはもちろんのこと、魔法を使った演出もあり、その美しさはまるで夢の世界にいるようで。
子供のようにはしゃいでしまう私を見て、ユリウスはどきりとしてしまうくらい、優しい笑みを浮かべていた。
◇◇◇
「今日、すごく楽しかった。本当にありがとう」
「良かった。俺も楽しかったよ」
舞台を見たあとも近くのお店を見て周り、あっという間に空は茜色に染まっていた。今はいつものように隣合って馬車に乗り、ウェインライト家へと向かっている。
今日一日、本当に楽しかった。体育祭、頑張ってよかったなあなんて思いながら、窓の外を見つめる。
「私も今度、何かお礼をするね。何がいい?」
「……Sランクになって欲しいな」
突然のそんな言葉に、口からは間の抜けた声が漏れた。流れゆく景色から兄の顔へと、再び視線を移す。
「本気で言ってる?」
「うん、俺は本気だよ」
真剣な表情を浮かべ、ユリウスは私を見つめていた。
「レーネには、卒業までにSランクを目指して欲しい」
この世界に来た頃は、呑気に最高ランクを目指そうなんて思っていたけれど。その為には間違いなくかなりの魔力量も必要で、キャラクターの攻略が必須になるだろう。
勿論その他の部分で精一杯頑張り、できる限り上を目指すつもりではあった。それでも、攻略なくしてSランクになるのは、ゲームシステム的にも無理だと今なら分かる。
「わ、私には無理だよ」
「今のレーネなら大丈夫だよ。俺も出来る限り手伝うから」
「そもそも、どうして私にSランクになって欲しいの?」
そう尋ねると、兄は眉尻を下げ困ったように微笑んだ。
「それはまだ言えない」
「…………」
「でも、俺の人生が掛かってるんだ」
人生が掛かっているだなんて大袈裟だと、普段なら笑い飛ばしていただろう。けれど、隣に座る彼の表情はやはり真剣そのもので、嘘をついているようには見えない。
今まで落ちこぼれだったレーネが、急速に成長していく姿を見て、兄はSランクをも目指せると思ったのだろうか。
私がSランクになることが、何故兄の人生を救うことになるのかは分からない。けれど今まで、彼が私を助けてくれていたことにも納得がいく。
本当に彼の人生がかかっているのなら、自身の試験を投げ出すくらいしてもおかしくはないだろう。
「……ねえ、俺を助けてくれないかな?」
やがて縋るような視線を向けられた私は、どうすべきなのか、どう答えれば良いのか分からなくて。
いつの間にか握られていた手のひらの体温を感じながら、私はただ、彼の瞳を見つめ返すことしか出来なかった。