恋は人を狂わせるらしい 2
「レーネちゃんに、何してるのかな?」
驚く程に低く冷たいラインハルトの声が、聞こえてくる。
そして思いっきり女子生徒の手を踏んでしまっているように見えるけれど、気が付いていないのだろうか。
どうやら彼は私のペンケースを覚えていて、それを持っていた女子生徒を問い詰めてくれているらしい。非常に入りづらい雰囲気だけれど、当事者として声を掛けなければ。
そう思っていると私の右足はうっかり小枝を踏み、静かな裏庭にパキッという軽い音が響く。これ以上ないくらいにベタな存在のバレ方をしてしまった。
案の定、二人の視線がすぐにこちらへと向く。
「……レーネちゃん?」
ラインハルトは私の名を呟くと、慌ててこちらへと駆け寄ってくる。その様子は、先程までとはまるで別人だった。
「いつからここに?」
「ちょうど今、来たばかりなんだ。あの子、私のペンケースを持ってたよね」
「うん。レーネちゃんのものを持って走って逃げている様子だったから、声を掛けたんだ」
ラインハルトはそう言うと、真っ青な顔をして震え、座り込んだままの女子生徒へと視線を向けた。被害者ですら心配で可哀想になるレベルの、怯えっぷりだった。
何かがおかしいと思った私は彼女の元へと向かい、その向かいに蹲み込んだ。
「……もしかして、誰かにやれって言われたの?」
そう尋ねると彼女は瞳に涙を溜めて、小さく頷いた。その胸元で光るブローチは、先日までの私と同じ赤だったのだ。
何より、ペンケースを盗むなんてくだらないレベルの嫌がらせ、今時小学生でもしないだろう。大方、私や彼女を気に食わない誰かが、何かしらの指示をしたに違いない。
そんな彼女を責めることなど、私には出来なかった。
「レーネちゃん、許すの?」
「うん。ペンケースも無事に手元に戻ってきたし、彼女も被害者だろうし、もういいかなって」
「……そっか」
一瞬、なんだか不服そうに見えたけれど、レーネちゃんが良いのなら、と彼は微笑んだ。いちいち眩しい。
「あ、誰にやれって言われたのか教えてくれないかな。もちろん貴女から聞いたなんて言わないから」
名前を聞いて把握しておけば、今後多少は警戒することが出来るだろう。やがて彼女は恐る恐る名前を教えてくれた。
全く知らない二人組だったけれど、もしかするとアーノルドさんや吉田のファンの可能性もある。
とにかく、ロッカーの鍵はもっと頑丈なものを買おう。そう決めて女子生徒の手をとって立ち上がると「何か困ったことがあったら、私に言ってね」と声を掛けて、別れた。
ペンケースと吉田のイラストを片手に、ラインハルトと共に校舎へと戻る。この後は図書室で勉強をして、昨日話したお菓子屋さんへと向かう予定だった。
「……レーネちゃんは、優しすぎるよ」
「そうかな?」
彼女を責めたところで、何かが解決するわけではない。むしろ、今後も虐げられるであろう彼女のことが心配だった。
誰もが私のように、強メンタルなわけではない。それに私は、周りの友人や家族に救われている。
「でも僕は、レーネちゃんの優しい所が大好きだよ」
「ありがとう」
「だから、僕がしっかりしないと」
「…………?」
そんなラインハルトの言葉の意味がわからず、気になって尋ねてみたけれど。結局、彼は教えてくれないままだった。
◇◇◇
「遅い」
「あっ、すみません……?」
ラインハルトとの買い物を終えて屋敷へと戻ると、壁に寄りかかり不機嫌そうな表情を浮かべる兄の姿があった。
「門限作るから」
「ええ」
兄の過保護っぷりが加速している気がする。そのまま二人で自室へと向かい、何故か隣り合ってソファに腰掛けた。
「その髪飾り、どうしたの」
「ラインハルトがくれたんだ」
「へえ?」
兄の視線は、私の耳元辺りへと向けられている。先程買い物に行った際に、雑貨屋で彼がこっそり買ってくれたのだ。
可愛らしい青色の髪留めを、彼はすぐに私の髪につけてくれて、そのまま帰宅したのだけれど。
「お前、これいくらするか知ってる?」
「えっ? 全然分からないけど」
「多分この間買ったドレスの総額くらいするよ」
「…………なんて?」
本当に待って欲しい。目利きが出来ないせいで、そんなにも高い物だなんて気が付かなかった。けれど学生が多い雑貨屋にそんな高級な品、置いていただろうか。
けれど兄に嘘をついている様子もなかった。ラインハルトは距離感だけでなく、金銭感覚もおかしいのかもしれない。とにかく値段を調べて、あまりにも高いものだったら受け取れないと言って返そうと決める。
「……あいつには、色々と気を付けたほうがいいよ」
「えっ?」
「なんかズレてる感じがする」
ユリウスはそう呟くと、私の両頬をぎゅっと掴んだ。
「あと、個人的に俺がムカつく。あいつと一緒に居すぎ」
「ほふは」
けれど彼と二人で過ごすことに、兄は文句は言わない。手を離してもらい理由を尋ねたところ「お前があいつを好きになるとは思えない」という斜め上の理由が飛び出した。
「とにかく、今週末は俺とデートだからね」
「でゑと」
そして突然、過去の私の人生で縁のなさすぎるワードが飛び出し、つい動揺してしまった。けれどよく考えると相手は兄なのだ、全然デートでも何でもない。
とにかく当日はしっかりお洒落をするよう何度も念を押され、私は訳もわからずに頷いたのだった。
それから数日後、私はペンケースを盗んだ女子生徒によって廊下に呼び出され、改めて謝罪をされた。
なんと虐めっ子二人は突然、退学したらしい。今後は安心して過ごせそうだ、私のように勉強も頑張りたいと嬉しそうに話す彼女に、内心ほっと胸を撫で下ろした。
そして彼女は少しの沈黙の後、気まずそうに口を開いた。
「あの……こないだ一緒にいた男性ですが、」
「うん? ラインハルトのこと?」
「……はい、実は「僕がどうかした?」」
突然後ろから抱きしめられたかと思うと、耳元でラインハルトの声がして。一瞬にして彼女の表情が凍りついた。
「い、いえ、何でもないです。失礼します」
あっという間に去っていってしまった彼女の背中を見つめながら、ラインハルトの腕から抜け出す。昼休みの廊下のど真ん中でこんな体勢、間違いなくよくない。
それにしても、あの子は一体何を言おうとしていたんだろうと首を傾げつつ、ラインハルトに向き直る。
「さっきの子、どうかしたの?」
「謝りに来てくれたんだよ。あとね、嫌がらせして来てた子たち、いきなり退学したんだって」
「そうなんだ。レーネちゃんは嬉しい?」
「嬉しい……うん、まあ……そうなのかな」
「良かった」
そんな不思議な返事をすると、ラインハルトは誰よりも綺麗に微笑み、私の頬をするりと撫でたのだった。
いつもありがとうございます。えんさんの素敵なイラストをお見せしたくて無意味な前書き、失礼いたしました。これは間違いなく吉田が書いた絵ですね。
ツイッター(@kotokoto25640)にて、たくさんこちらの作品のFAをいただいておりまして、近々許可をいただき活動報告にてご紹介したいと思っております……!