知らない過去 4
学園から帰宅すると、ちょうど門の前で出かけていたらしい伯爵夫妻に出会した。
「遅かったな。勉強でもしていたのか?」
「ええと、そんなところです」
ちなみに右腕事件が衝撃すぎて、あの後は何を話したかほとんど覚えていない。
普段はあまり関わらないようにしているけれど、ベルマン先生に言われたことが気になり、さりげなく尋ねてみることにした。
「あの、私って過去に大きな事故に遭ったこととかってあります?」
「何をいきなり、一度もそんなことは無かったぞ」
「物騒ねえ」
訳が分からないと顔に書いてある二人に、嘘を吐いている様子はない。一応は両親である伯爵夫妻が知らないくらいだし、先生の勘違いだと思っておくことにする。
そうして屋敷の中に入ったところで、今度は私服姿のユリウスに出会した。
「おかえり、レーネちゃん。先生のところに行ってたんだよね?」
「ただいま! そうなんだ、ちょっと質問がありまして……」
「もしかして呪いについて?」
やはりユリウスは私が呪いについて調べ回っていることに、気付いていたらしい。あまりこの件について話をしたくないけれど、嘘は吐きたくはない。
結局、口籠ることしかできない私を見て、ユリウスはくすりと笑った。
「レーネは本当に分かりやすいね、ベルマン先生のところにでも行ってきたんだ?」
「も、黙秘します」
「最近のレーネ、俺に隠し事が多くない? 寂しいんだけど」
さりげなく私の鞄を左手で持ち、私の肩に右腕を回しながら、ユリウスは歩き出す。きっといつものように、このまま部屋まで送ってくれるのだろう。
「しかも他の男と保健室で二人きりで会ってたなんて、妬けるな」
「いやいやいや、冗談はやめ──」
「冗談じゃないけど?」
「へ」
ぴったり隣を歩くユリウスは、人差し指と親指で私の顔をぐっと掴んだ。
「俺さ、レーネに関する全てに嫉妬してるから」
「……え」
「いつも仲良くしてる子達は別だけどね」
ユリウスはにっこり笑うと、私から手を離して歩き続ける。どこか冗談めいた雰囲気ではあったけれど、本音だというのは伝わってくる。
「自分勝手な小さい男だって、幻滅した?」
「いや全然、むしろ感謝してた」
「……は? なんで?」
ユリウスは心底理解できないという顔をしていて、私はそんなユリウスに向き直ると、透き通るアイスブルーの瞳をまっすぐに見つめた。
「だって本来なら、こんなにも綺麗で完璧で私の一億倍はモテるであろうユリウスに対して、私がやきもきする側だと思うんだよね。二十四時間監視体制を敷くレベルで」
昨日だって講堂で大勢の女子生徒がユリウスに対し、憧憬や好意といった感情を向けていた。
周りからすれば私は「妹」だと思われていて、ユリウスの恋人だなんて思われていない。伯爵の手前、ユリウスは恋人がいると宣言することもできないはず。
そんな中、これから先もきっとユリウスに好意を抱く女性は後を絶たないだろうし、必死に近付こうとする人だって、私よりもずっと綺麗で完璧な人だって現れるだろう。
「それでもユリウスがこうして好意を伝えてくれるから、不安にならず済んでるんだもん。すごくありがたいなって思う」
「…………」
「それにそんなに私のことが好きなんだって思うと、普通に嬉しいよ。ユリウスは私が他の女の子に嫉妬したって言ったら、幻滅するの?」
「まさか。一生レーネ以外とは話さないよ。二十四時間監視してくれたっていいし」
「あっ、それは大丈夫ですのでご自由に……」
とにかく、と私は胸の前で両手を合わせた。
「大好きな友達はもうたくさんいるし、私にとって一番大切なのはユリウスだから」
前世では交友関係だって狭かったから、正直なところ友達を百人作ることにも憧れていた。
けれど、それでユリウスが少しでも嫌な気持ちになったり不安になったりするのなら、私には必要ないと断言できる。
何が自分にとって大事なのか、優先順位を間違えることは絶対にしたくない。
「……感謝すべきなのは俺の方だったな」
「えっ?」
ユリウスは柔らかく両目を細め、私の頭をよしよしと撫でてくれた。
「大好きだよ、レーネちゃん。一生、不安になる必要なんてないから安心して」
「ありがとう。それとベルマン先生とは、お茶を飲みながら超健全な話をしていただけだから」
「へえ? どんな?」
「治癒魔法と人間の身体についてとか……」
「あはは、何それ。面白いの?」
「正直、ものすごく面白かった」
呪いのことはもちろん、その他についてもまた話をじっくり聞きたいと思ったくらい、ベルマン先生の話は分かりやすくて面白かった。
ユリウスにもこの気持ちを伝えたくて、先ほど聞いたばかりの話をしていく。
やはり私が話すと面白さが半減してしまうものの、ユリウスは「それは知らなかったな」「なるほどね」と興味深そうに相槌を打ってくれている。
そして大体の話を終えたところで、一応ユリウスにも例の話について聞いてみることにした。
「あ、そうだ。私って昔、大怪我したことある?」
何気なく尋ねた瞬間、廊下を歩いていたユリウスの足がぴたりと止まった。
どうしたんだろうと私も立ち止まり、振り返る。ユリウスは俯いていて、表情は見えない。
「……どういう意味かな」
「なんかね、さっき先生に右手を失ったことがあるかって聞かれ──っ」
最後まで言い終わる前に、気付けば私はユリウスによって廊下の壁に押し付けられていた。
その表情はこれまで見たことがないくらい真剣で切実で、焦りが浮かんでいて、息を呑む。
「二度とその話はしないで」
「…………っ」
「あいつから聞いたことは全部忘れて、二度と二人で会わないでくれないかな」
尋ねるような言い方ではあったけれど、私に選択肢などないと思えるほどの圧があった。
いつだってユリウスは私に優しく触れてくれるのに、今は掴まれている両腕にぐっと強い力が込められていて、強い痛みを感じる。
「お願いだから」
なぜそうしなければいけないのか、どうしてユリウスがこんなにも必死なのか、焦っているのか私には分からない。
それでも今のユリウスに対しては、理由を尋ねることすら憚られた。
「……わ、分かった……」
小さく頷いて、そう答えるのが精一杯だった。
けれどユリウスはひどく安堵した表情を浮かべ、私から手を離すと、眉尻を下げて微笑んだ。
「驚かせてごめんね、レーネは大怪我をしたことなんてないよ。ただ想像したら不安になって、縁起でもないことは言わない方がいいって思っただけだから」
「そ、そっか。私こそ変なことを言ってごめんね」
普段と変わらない表情を作ったユリウスに合わせ、私も軽い調子で笑ってみせる。
いつの間にか私の部屋の前まで来ていて、ユリウスから鞄を受け取ると「また夕食で」と笑顔を向けて自室の中へと身体を滑り込ませた。
「……びっくり、した」
閉めたドアにそのまま背を預け、鞄を持っていない方の手で胸のあたりをぎゅっと掴んだ。
あんなユリウスは初めてで、未だに心臓は早鐘を打っている。分からないことばかりだけれど、触れてはいけない話題だったのは確かだろう。
『一度、右肘から先を丸ごと失ったようですね。相当大きな事故だったでしょう?』
そしてもうひとつだけ分かるのは、先生の言葉はきっと間違っていない、ということだった。




