体育祭 6
「レーネちゃん、アーチェリーの経験あるの?」
「あるような、ないような感じでして」
そう答えると、周りからは「何だそれ」と笑われてしまったけれど。やはり他に立候補者はおらず、すんなりと私の出場が決まった。
実は前世で少しだけ、経験があったのだ。私が暮らしていた施設の近くには市民体育館があり、そこには小さなアーチェリー場も併設されていて。勉強の息抜きとして、たまに遊びに行っては常連さん達に教えて貰っていた。
皆は私を上手だと褒めてくれていたけれど、大会などに出たこともないため自分の実力がいまいち分からない。とは言え、全くの素人よりは力になれると思ったのだ。
かなり不安はあるけれど、このままジェニーのクラスに負けるなんて絶対に嫌だった。ついでに剣術の仇を取りたい。
「レーネ、頑張ってね。応援してる」
「ありがとう」
テレーゼにお礼を言い、出場者が集まる場所へ向かう。
そんな私を見て、ジェニーが信じられないといった表情を浮かべていた。もしかすると、レーネはアーチェリーの経験がないのかもしれない。
パウラちゃんの代わりということで、私は一番最後になってしまって。やがて順番が回って来た時には、私の結果によって逆転もあり得るというお決まりの展開になっていた。
こんな時までベタなのはやめて欲しい。胃に穴が空きそうなレベルのプレッシャーに襲われつつ、弓を手に取る。
「お前は失敗してもあんまり失うものなさそうだし、大丈夫だぞ! それに皆大して期待してないから、気楽にな!」
「ちょっと」
そんな緊張が顔に出ていたのか、ヴィリーは大声で失礼すぎる声援を送ってくれた。どっと笑い声が上がる。
けれどその声を皮切りに「頑張れ!」「大丈夫だよ」とクラスメイト達からの声援が続く。思い返せば今まで、こんな風に大勢の前に立ち、応援されたことなんてなかった。
じわじわと、胸の奥が温かくなっていく。ヴィリーのお蔭で、緊張も大分解れていた。
……自分の為だけじゃなく、頑張っていたクラスメイト達のためにも一位を取りたい。皆で笑顔で終わりたい。
そして私は深呼吸をすると姿勢を正し、弓を構えた。
◇◇◇
学園近くのクラスメイトの両親が経営するレストランで祝勝会を終えて帰宅した頃には、もう外は暗くなっていた。
疲れ切った私は急いで寝る支度を済ませ、ベッドへと飛び込む。疲れ切った後の布団というのはどうして、こんなにも幸せを感じるのだろうか。天国だ。
そしてうとうとし始めた頃、ノック音が響いて。私は目元を擦ると、すぐに「どうぞ」と声をかけた。
「あれ、ごめん寝てた?」
「大丈夫だよ。疲れたからもう寝ようかなと思って」
予想通り、部屋の中へ入ってきたのは兄だった。彼は子供が寝るような時間に布団にいる私を見て、驚いている。
大丈夫とは言ったものの、直後にふわあと大きな欠伸が出てしまう。今日1日の疲れだけでなく吉田師匠との特訓の疲れも溜まっているせいか、今夜は泥のように眠れそうだ。
「何かあった?」
「レーネの顔が見たくなって」
「そ、そうなんだ」
眠気も吹き飛びそうなほどの眩しい笑顔を向けられ、流石の私も、兄はシスコンなのではないかと思い始めていた。
最初は面白がっているだけかと思っていたけれど、果たしてそれだけでここまで助けてくれたり、会いに来たりするものなのだろうか。昼間の件も、シスコンならば納得がいく。
すぐ出て行くから、と言うと兄はベッドの上に腰掛けた。
「それにしても、帰ってくるの遅かったね」
「うん。クラスのみんなと祝勝会してたんだ」
「今度から遅くなる時は教えて欲しいな、迎えに行くし」
「うん……?」
そのあまりの過保護っぷりに、私の中で兄のシスコン説が確定した。一体いつスイッチが入ったのだろう。
もしかすると、私がトラブルに巻き込まれすぎているせいで、庇護欲が湧いたのかもしれない。兄は忙しいのだ、あまり心配をかけないようにしなければと反省した。
「体育祭、楽しかった?」
「うん。みんなと仲良くなれたんだよ」
「そっか、良かったね」
無事に私がアーチェリーで高得点を出したことで、僅かな差で我がクラスは優勝することができた。
こんなに上手くいくとは想像もしていなかったけれど、ヒロイン補正のお蔭だとでも思っておくことにする。お願いだからもう少し、日頃からヒロインムーブをさせて欲しい。
とにかくそのお蔭もあり、一気にクラスメイト達との距離も縮まったように思う。そしてそのまま、ヴィリーが祝勝会をしようと言い出し、皆でお祝いをしてきたのだ。
「優勝おめでとう。レーネの活躍、見たかったな」
「ありがとう」
急遽出場した私のアーチェリーを見られなかった兄は、かなり残念がっているようだった。
「あ、そうだ。頑張ったご褒美にレーネの行きたい所、どこでも連れて行ってあげる」
「……本当に?」
「うん。欲しいものでも何でもいいよ」
ふと子供の頃、運動会の後は両親に両手を引かれ「頑張ったご褒美、何がいい?」という会話をする同級生を尻目に、一人とぼとぼと帰っていたことを思い出す。
そんなやり取りに憧れ、ずっと羨ましく思っていた私はすぐに、首を縦に振った。
「嬉しい。考えておくね、ありがとう」
「うん」
「……私ね、こういう家族にずっと憧れてた気がする」
思わずそう呟くと、兄は美しい碧眼を驚いたように見開いた。さすがに今のは重かっただろうか。なんだか恥ずかしくなってしまい、慌てて話題を変えることにした。
「そういえば、昼間に言いかけてたことって何だったの?」
「……何でもない」
「えっ?」
「仕方ないからもう少しだけ、付き合ってあげる」
その言葉の意味は、やはり分からなかったけれど。やがて彼は、大きく温かい手で私の頭を撫でた。
「だから俺を、お前の一番にしてね」
その心地よさと安心感から目を閉じた私は、幸せな気分のまま、あっという間に夢の中へと落ちていったのだった。