父と娘 2
親しげに名前を呼ばれたけれど誰なのか分からず困惑していると、ルカが耳打ちしてくれる。
美形なのはもちろんのこと、見た目が若すぎて見知らぬお兄さんだと思ってしまった。
人魚の肉でも食べたのではと突っ込みたくなるくらい若々しく、十六歳の娘がいるようには見えない。
「記憶喪失だとルカから聞いています。僕のことも覚えていないのは当然でしたね、すみません。僕があなたの実の父です」
「あっ、すみません。レーネと申します」
「ははっ、それは知っていますよ。僕がつけた名前ですから」
動揺してしまった私を見て、父は柔らかく目を細める。その様子からは娘への愛情が見て取れて、胸がぎゅっと締め付けられた。
初めて見る父は想像していた百倍は美形で、私と同じ栗色の髪をしていて、大きめの垂れ目はルカにそっくりだった。本当にレーネとルカの父なのだと実感する。
「立ち話もなんだから、中へどうぞ。二人が来てくれるって聞いて、飾り付けもしたの!」
「モイラ様はご自分でされると言うものだから、メイドの皆さんも困っていたんですよ」
「もう、それは内緒にしてって言ったのに!」
モイラさんは血の繋がらない私たちを、心から歓迎してくれているようだった。父と会話する姿も恋する乙女という感じで、ほっこりするくらいかわいい。
白を基調とした屋敷の中も豪華で華やかで、女性なら一度は住んでみたいと憧れるに違いない。
「こ、これは……! すごいです」
やがて広間に案内されると、色とりどりのお花であちこち飾り付けられ、テーブルの上には様々なお菓子や料理が並んでいる。
中心には「ルカちゃん&レーネちゃん♡ようこそ」と書かれた垂れ幕があった。モイラさんが手書きで一生懸命描いてくれたらしく、あまりにもかわいくて愛おしくて抱きしめたくなる。
「本当はもっともっとお話したいんだけど、邪魔をしてはいけないから私はこれで」
これほどの大歓迎をしてくれながらも、気を遣ってくれたらしくすぐに出て行こうとする彼女に私は慌てて声をかけた。
「あの、色々とありがとうございます! 嬉しいです」
「こちらこそ嬉しいわ。今度は私ともお話ししてね」
モイラさんはふわりと微笑み、かわいらしく手を振ると応接間を後にした。私の手を引いてソファに腰掛けたルカは、ふっと口元を緩める。
「騒がしいけど、悪い人じゃないんだよね」
「うん、すごく素敵な人だね」
ルカが誰かのことをそんな風に言うのは珍しい気がするし、それほど良い人なのだろう。機会があれば、私ももっとモイラさんと話をしてみたい。
私の隣からぴったり離れないルカと手を繋いだまま、テーブルを挟んで父と向かい合う。
「僕たちが会うのは十年ぶりですね。美しい素敵な女性になっていて驚きました」
ずっと穏やかな笑みを浮かべていて、纏う雰囲気も柔らかくて温かい。言葉遣いも丁寧で、一緒にいてほっとするような人だという感想を抱いた。
「……それなのに、何も覚えていなくてごめんなさい」
本来、父が会いたかったのは元のレーネなのだ。元のレーネだってきっと、実の父には会いたかったはず。そう思うと罪悪感が込み上げてきて、心が痛んだ。
「いえ、ルカからも色々と話を聞きました。僕が不甲斐ないばかりに、君達にまで辛い思いをさせてしまって本当に申し訳なく思っています」
深く頭を下げた父に、慌てて顔を上げるよう言う。
あの件で悪いのはウェインライト伯爵だけであって、父もルカもレーネも被害者だった。
「記憶喪失なんて、とても不安で大変でしょう」
「いえ! 周りに恵まれているので全く困っていないくらいです」
両手をぶんぶんと左右に振って否定したものの、無理に元気を装っていると思われたのか、父はさらに悲痛な顔をする。確かに元のレーネのことを考えると、尚更そう思うのかもしれない。
「普通は嘘だと思うじゃん? 姉さんの場合は本当だから大丈夫だよ。昔とは別人レベルで明るくて元気で精神も強すぎるからさ」
「そうなんですね、それなら良かったです。確かに雰囲気も変わりましたね」
ルカの言葉に安心したように眉尻を下げて笑うと、父は膝の上で両手を組んだ。
「ずっとレーネを心配していたんです。アイヴィーが入院している間は手紙のやりとりをしていましたが、僕から伯爵家に手紙を送ることは禁じられていたので」
アイヴィーというのは、レーネとルカの母のことだろう。以前見た手紙にも、その名前が記されていた記憶がある。そしてやはり、表向きにも元家族との交流は禁じられていたようだった。
「本来はこうして会うことも、許されないのでしょう」
「いえ、あんな人の言うことなんて気にしなくていいと思います! 私はこれからもお父さんとルカと会いたいし、仲良くしたいです」
「……ありがとうございます。ただあなたが咎められるのだけは避けたいので、無理はしないでくださいね。あなたに会えてルカと仲良くしている姿を見られて、僕は心から嬉しいです」
「あ、姉さんとは一生仲良しだから安心していいよ」
「ルカがこんなに懐くなんて、正直驚いています」
その目は潤んでおり、心から喜んでいるのが分かる。
これからもこうして二人と一緒に過ごしたいと、私自身も強く思っていた。
「ていうかあのクズ、俺らが平民なのを気にしてるんでしょ? それならもう平気だって」
「本当にモイラ様には感謝してもしきれませんね」
モイラさんの一目惚れと猛アタックで再婚に至ったらしい父も、明るくて愛らしい彼女をとても大切に想っているそうで、またほっこり幸せな気持ちになった。
それからは美味しいお茶やお菓子をいただきながら、幼い頃のレーネとルカの話を聞いた。
「レーネはとても心の優しい子でしたよ。いつも周りの誰かのことを思って行動していました」
「そうだったんですね」
「はい。とてもかわいい、大切で自慢の娘です」
──今まで元々のレーネについては内気で暗かったとか、どうしようもなく成績が悪かったとか、マイナスな話ばかりを聞いていた。
けれど父から聞くレーネは気が弱いものの、優しくて気立ての良い穏やかな女の子だった。両親から愛されて育ったのだと知ることができて、胸が温かくなる。
最近の私は元のレーネを「もう一人の自分」のように思っていて、彼女のことを知るたびにより親近感を抱くのを感じていた。
時折、彼女のことを思い出しては「鈴音」として少しでも幸せに暮らしていることを祈っている。
「……会ってみたいな」
思わずそんな本音をこぼし、ルカに「変な姉さん」と笑われてしまった。
過去の自分に会いたいという変な女になってしまったけれど、怪しまれはしなかったようで安堵した。
「アイヴィーもきっと今の二人を見たら喜びますよ」
母にも会ってみたいなと思ったけれど、もう叶うことはない。
「そういや母さんって、何の病気だったの?」
「いえ、アイヴィーは病気ではなく──っ」
そこまで言いかけたところで、父は慌てて口を噤む。
言ってはいけないことを口にしてしまった、という様子に困惑してしまう。
「すみません、間違えてしまいました。流行り病のようなものですよ」
「……ふうん?」
ルカも明らかに納得していない様子だったけれど、そんな返事をするだけだった。
──父は間違いなく、はっきりと「病気ではなく」と言っていた。
病気ではないのならなぜ母が亡くなったのか、入院していたのか、謎は深まるばかり。それでも父の様子から、それ以上尋ねることなどできそうになかった。
「そうだ、知人の画家に頼んで描いてもらった昔の二人の絵があるんです」
「えっ、見たいです!」
その後も幼少期ルカの姿絵を見てあまりの天使っぷりに悶えたりと、穏やかな時間を過ごした。
◇◇◇
やはり楽しい時間というのはあっという間で、ルカは鞄から大きな宝石がついた懐中時計を取り出すと「あ」という声を漏らした。
「そろそろあいつが帰ってくるよね? もう帰るよ」
「あいつって?」
「モイラさんの娘、俺の妹になったやつ」
せっかくだから会いたいと思っていたのだけれど、ルカは眉を寄せ、嫌悪感をあらわにした。
父も困ったように微笑んでいて、首を傾げる。
「どうして会わないの?」
「案の定、俺のことを好きとか言ってくるんだよね。だから会いたくない」
「そ、そうなんだ……」
実は妹という存在にも憧れていた私は、間接的にそんな存在になる彼女のことも少し気になっていたものの、会わない方がいいと言われてしまった。
そうして玄関ホールへ向かう途中、不意に父に手招きをされ、なんだろうと近づいてみる。すると父はルカに聞こえないように私の耳元に口を寄せた。
「次はぜひルカがいない時に会いたいです」
「……ルカがいない時、ですか?」
「レーネのことも、あなたのことも知りたいので」
「…………?」
どういう意味だろうと首を傾げる私に、父は続ける。
「だってあなたは『レーネ』じゃないでしょう?」
「──え」




