はじめての 3
安全面の問題がないとはいえ、流石にそこまでしてもらうのは申し訳ないと思った私は、慌ててユリウスの腕を掴んだ。
「いやいや、いいよ! ちょっと気になっただけだし」
「すぐ勝ってくるから、安全な場所で少し待ってて」
ユリウスはなんてことないようにそう言うと、完全個室のVIPルームを押さえた。
そして私をそこへ送り届けると「じゃ、行ってくる」と軽い調子で立ち去っていく。
「だ、大丈夫なのかな……」
犯罪組織を壊滅して回ったことを思うと、実際に怪我もしないなら安全な気もしつつ、ソワソワしてしまう。
やけに広い豪華な部屋で一人、ガラス越しに舞台へと視線を向ける。するとノック音が響き、細身でやけに露出の多い服を着た綺麗なセクシーお姉さんが、飲み物やお菓子を手に入ってきた。
「お嬢ちゃん、せっかくだし少し賭けてみない? そっちの方がドキドキして楽しめるわよ」
「あっ、そうですよね。そうだ」
クマのぬいぐるみに気を取られていたけれど、本来のこの場所の楽しみ方は試合を見て賭け事をすることなのだろう。
どうしようと思いながら再び舞台へ視線を向けると、こちらを見上げ、不敵な笑みを浮かべたユリウスと目が合った。
私は鞄からお財布を取り出すと、旅行用にと多めに持ってきていたお金を全て差し出した。
「──あの銀髪のお兄さんに、この全部を賭けます」
◇◇◇
クマのぬいぐるみを左腕に抱きしめ、右手でユリウスと手を繋ぎながら、私はすっかり日が落ち薄暗くなった街中を歩いていた。
「ごめんね、思ったよりも時間がかかって」
「ううん、本当にありがとう! 見ているだけでもすっごく楽しかったよ」
あれからユリウスは三人抜きどころか、十人抜きをやってのけてしまった。
あっさり三人を倒してそのまま帰ろうとしたところ、湧き立つ観客やスタッフに止められてしまい、結局そのまま試合に出続けることになった。
お蔭でお目当てのぬいぐるみだけでなく、他の賞品や賞金までもらっていた。
「ユリウス、本当にかっこよかった!」
もちろん相手がみんな弱かったわけではない。ユリウスが強すぎただけだ。
様々な属性の魔法を使いこなした上で、なんというか「魅せる」戦い方をしていたように思う。だからこそ観客も沸き立ち、私もその姿に見惚れてしまっていた。
ただ勝ってのけるだけでなく、そんな余裕まであるなんてやはりチートな存在すぎる。
「それなら良かった。レーネに格好いいところを見せたかったから」
「ユリウスさんはいつだって格好いいですよ」
「本当? 惚れ直した?」
「それはもう」
魔物と戦っているところは見たことがあったけれど、こういった対人戦は初めて見た。
勉強も兼ねてじっくり十試合見ていて思ったのは、対人戦は特に頭を使う必要があるということだった。相手の数手先の攻撃を読み、魔法の発動時間や相性や残量を考えて攻撃する必要がある。
ワンパターンの攻撃しかできない弱い魔物などとは、別次元だった。
「慣れだよ、慣れ。こういう時はこうしたら良いってパターンを身体に覚えさせておくと、いざという時でもなんとかなるから。魔力の制御ができるようになったら、その辺りも練習しようか」
「ありがとう! やっぱりユリウスも練習したの?」
「そうだね、俺は子どもの頃からアーノルド相手によく練習してたよ。実力も近いし、ああいう天才型は予測がつかないことをしてくるから、ちょうどいいんだよね。容赦なく攻撃できるし」
「ふふ、そうなんだ」
「……なんでそんなに嬉しそうなの?」
「昔のユリウスの話を聞くのって、なんか嬉しいんだよね。もっと知りたいくらい」
するとユリウスは一瞬驚いた様子を見せた後、ふっと笑った。
「俺は自分の話をするのは好きじゃないんだけど、レーネになら知ってほしいな」
そんな言葉に嬉しくなった私は、過去の二人のことについて色々と質問した。
結果、アーノルドさんの様子が昔からおかしくて、彼についても深掘りしてしまい「レーネってアーノルドのこと好きだよね。顔もそうだし」と怒られてしまった。加減が難しい。
「それにしても私までとんでもなく稼いじゃって、ずっと落ち着かないんだけど……」
「俺が勝つって信じてくれて嬉しいよ」
そう、ユリウスがストレートで十勝したことで私が預けたお金は、なんと五十倍になっている。
誰もがぽっと出の青年が勝つなんて予想していなかったことで、オッズが跳ね上がったのだ。
ユリウスのお蔭なのだし分けようとしたところ「俺は大丈夫だから、何かあった時に使えるようにレーネが全部持っていて」と言われてしまった。
緊急事態が起きた時のためにも、きちんと貯金しておこうと思う。お金の余裕は心の余裕、ということも私は前世の経験からよく知っていた。
「それで、これからどこに行くの?」
「夜カフェだよ、この国で流行ってるんだって」
夜景を見ながらおしゃれな場所でお茶をするのが、トゥーマ王国での大ブームらしい。カフェは昼間に行くイメージだったため、夜に行くというのは新鮮だ。
やがて着いたのは、美しい庭園に囲まれた真っ白な塔のような建物だった。
「すごい、どこまでもおしゃれだね!」
シャンデリアの柔らかな光に照らされた建物の中は大きな絵画や花が飾られていて、絵本の中の世界みたいで素敵で、胸が弾む。
案内された部屋の奥には広いバルコニーがあって、真っ白なテーブルセットがある。
ユリウスと向かい合って腰を下ろすと、トゥーマ王国の王都が一望でき、感嘆の声が漏れた。
「わあ、綺麗……!」
「確かに新鮮だね。風も心地良いし」
「それにお菓子もお茶もかわいい! 食べるのがもったいないくらい」
夜がテーマなのか食べ物は星や月を象っているものが多く、お茶には金箔のようなキラキラしたものが入っている。写真を撮って残しておきたくなり、カメラがないことが悔やまれた。
「し、しかも全部美味しい……」
お菓子はどれも上品な甘さで、いくらでも食べられてしまいそうだった。かわいらしいスタンドにはパンや小さなサラダなどもあって、夕食としてもちょうどいい。
その後は二人きりで楽しくお喋りをしながら、ゆっくり食事をした。毎日のようにずっと一緒にいるのに話題が尽きることはなくて、気が合うのかななんて思っては嬉しくなった。
「おいで、レーネ」
食後のお茶もいただいた後はユリウスに誘われ、席を立つ。
肩が触れ合う距離に並び立ち、バルコニーから見える街並みを見下ろした。
「……きれい」
ここへ来た時よりも夜は深まっていて、そんな陳腐な言葉しか出てこないくらい、月も星空も夜景も全てが美しかった。
無数の光が街を彩る地上も星空のように煌めいていて、空とひとつなぎに見える。
静かに佇む月の優しい光が、隣に立つユリウスを照らす。他の何よりもその横顔が綺麗で、思わず見惚れてしまっていた。
「……俺に見惚れちゃった?」
バレてしまっていたらしく、こちらを向いたユリウスが口角を上げる。
事実だったものの、恥ずかしくなって慌てて顔を逸らし、再び夜景へ視線を戻す。
「ほ、本当に綺麗でびっくりしちゃった。ここ、絶対に特別な場所だよね?」
周りを見渡す限り、建物の造り的にも様々な角度的にも、この個室のバルコニーからが一番よく景色が見える気がする。
ユリウスは何てことないように、そうだねと頷いた。
「一日一組限定で週の半分しか営業してないから、一年待ちなんだって」
「えっ」
隣国へ来る日程が決まったのはつい最近だったため、より驚いてしまう。
話を聞いたところ、知人のツテで相当な無理をして予約を取ってくれたらしい。
「あ、ありがとう……! こんなに綺麗な夜景を見たのは生まれて初めてな気がする。景色ももちろんだけど、お店の雰囲気も素敵でムードがあるよね?」
素直な気持ちを口に出していると、ユリウスはこちらを向いて私の頬に触れた。
耳元まで滑らせた手のひらに包まれ、親指で優しく撫でられる。
「ムード、作ったんだよ」
そして綺麗に口角を上げたユリウスに、心臓が大きく跳ねた。




