命懸けの契約 1
その後、滞在先に向かう馬車の中は全員がずっと無言だった。ユリウスはずっと窓の外を見つめていて、王子は気遣うような眼差しを向けてくれていた。
「あら、レーネ。おかえりなさい」
「ただいま。みんな、あの後も観光は楽しめた?」
「ええ、面白い話もあるから後で聞いてちょうだい」
「もちろん!」
ホテルに到着すると既にみんな戻ってきていて、夕食まで部屋を行き来して各々好きに過ごしているという。
テレーゼはミレーヌ様と公爵令嬢コンビで、これからお茶をするようだった。一緒にと誘ってもらったもののユリウスと話をしなければと思い、遠慮しておく。
王子が吉田とルカの地下コンビに誘われてどこかへ向かったのを確認した私は、アーノルドさんと話をしていたユリウスに声をかけた。
「ユリウス、少しだけ話せるかな」
「いいよ。俺たち少し二人で話したいから、上の部屋しばらく誰も入らないようにして」
「はーい、ごゆっくり」
アーノルドさんにそう言い、ユリウスは歩き出す。
そうしてユリウスが宿泊している部屋に移動して、私たちは並んでソファに腰を下ろした。
「……さっきは助けてくれてありがとう。ユリウス、本当はお願いしたいことがあったのに」
メレディスが入ってくる直前、ユリウスは陛下に対して何か言いかけていたことを思い出す。
それなのに私を庇うために、あんなお願いをすることになってしまった。
「いいよ、元々大したことじゃなかったし。レーネが一番大切だから」
さらっと至極当然と言わんばかりにそう言ってくれるユリウスに、胸が締め付けられる。
「それにあのままだと、相当面倒なことになってただろうから。世界の脅威である神聖国の教皇の言葉を唯一理解できて気に入られている人間なんて、どの国も喉から手が出るほど欲しい存在だろうね。レーネの存在が知られたら、他の国も躍起になって利用しようとするはず」
「…………っ」
それほどメレディスは畏怖の対象でもあり、渇望される力でもあるのだろう。
メレディスの庇護を受けるため、国の資産の何割かを差し出すところさえ存在するという。
改めてユリウスがいてくれて良かった、今後は気を付けようと反省した。
「で? さっきのことについて聞いてもいいのかな」
「…………」
──ユリウスにどこまで話すべきなのだろう。
元々は余計な心配をさせたくない、巻き込みたくないという理由から、エンディングを迎えた後に全てを話そうと思っていた。
けれど結局、私は何度も助けられ、巻き込んでしまっている。だからこそ話せる範囲で話しておくべきではないかと、今は考えていた。
「……まずですね、私は多分、この世界に存在する全ての言語が理解できるんだと思う」
「本気で言ってる?」
こくりと真剣な眼差しを向けたまま頷くと、ユリウスは溜め息を吐いて前髪をかきあげた。
理解し難いというその反応だって、当たり前だ。過去に調べてみたけれど、そんな魔法なんて存在しなかったし、普通に考えればあり得ないチート能力だと思う。
「だから教皇の言葉も理解できたんだ。いつから?」
「ええと、階段から落ちて記憶を失った時から、かな」
流石に今この場で『私は乙女ゲームのヒロインであるあなたの妹と入れ替わった異世界人です』という説明まではしないでおこうと思う。
情報量が多すぎること、今回の問題に直接的な関わりはないこと、元のレーネとユリウスの関係については謎が多く、センシティブな問題だという理由からだ。
「その力のお蔭で、急に異国語のテストだけ満点を取るようになったんだね」
「その通りです」
「……本当、レーネってどうなってんの」
王城を出てずっと無表情に近かったユリウスがどこか呆れたように、諦めたようにふっと笑ってくれたことで少しほっとする。
つられて笑顔になった私は、一番触れにくい話題に突入することにした。
「あのメレディスさんとは去年の夏休みに王城で出会いまして、一度きりの短い会話だったけど言葉が交わせることで気に入られたんだろうなと」
「なるほどね」
ユリウスは口元に手をやり、じっと足元を見つめながら納得した様子をみせる。
そして私に向き直り、ふたつの碧眼で私を見つめた。
「とにかくあいつとは関わらないようにして。絶対に」
「ぜ、善処します……」
ついさっき「また後で」なんてしまった以上、はっきりとした約束はできない。そんな会話も周りには聞こえていなかったのだと、今更になって理解した。
とにかくメレディスとは一度ちゃんと話をして、上手く折り合い的なものをつけたい。
「レーネって、本当に俺を退屈させてくれないよね。良い意味でも悪い意味でも」
「えっ?」
「流石にあれは相手が悪すぎる」
私には分からなかったものの、ユリウスにはメレディスの魔法使いとしてのオーラというか、その凄さが伝わっていたのかもしれない。
ソファの背に思い切り体重を預けると、ユリウスは私の頬に触れた。
「あーあ、世界一の魔法使いでも目指そうかな」
普通なら、絶対に無理だと笑い飛ばされるような話だろう。けれどユリウスなら本当に実現してしまうかもしれないと、本気で思えてしまう。
それが私を守るためだということも、分かっていた。
「ユリウスなら本当になれちゃいそうだね」
「レーネの中の俺、すごすぎない?」
くすりと笑ったユリウスが私の頬に触れている手のひらに、自身の手を重ねる。
大好きなサファイアの瞳を見つめ、口を開いた。
「それと、今まで色々隠していてごめんね。他にも話せていないことがあるんだけど、いつかユリウスには全部聞いてほしいと思ってる」
ユリウスは思いがけないという反応をした後、薄く微笑んだ。
「……分かった。俺もいつかレーネに全てを話したいと思ってるよ」
たくさん気になることはあったけれど、今はその言葉だけで十分な気がした。
なんだかんだ私自身とユリウスは、まだ知り合って一年ほどなのだから。
「あと、すごくすごく好き」
そう言って飛びつくように抱きつくと、ユリウスはすぐに両腕で受け止めてくれる。胸元に顔を埋めて甘えてみれば、頭上でユリウスがふっと笑ったのが分かった。
「今日は積極的だね。俺は嬉しいけど」
「本当は地下にいる間、ずっと甘えたいと思ってた」
「そっか。いくらでもどうぞ」
私の頭を優しく撫でてくれるユリウスはやっぱりいつだって私に甘くて、このままだと本当にユリウスがいなければ駄目になってしまいそうだ。
「こういうのは迷惑じゃない?」
「まさか、むしろ逆だよ。嬉しくて仕方ないくらい」
「ふふ、良かった」
──とにかく今は焦らず、けれど少しずつ確実に、お互いのことを知っていきたい。
そんなことを考えながら、大好きなユリウスの腕の中で静かに目を閉じた。
◇◇◇
その日の晩、私は隣ですやすやと寝静まるルカの頭をそっと撫でた後、ベッドから抜け出した。
ソファにかけていたストールを肩から羽織り、静かに窓を開けてバルコニーへと出る。
「やあ、レーネ」
するとそこには美しい満月を背に、バルコニーに腰掛けるメレディスの姿があった。




