体育祭 4
「はい、大丈夫ですけど」
目の前の黒髪黒目のCランクらしい男子生徒に、見覚えはない。何かあったのだろうかと、私はすぐに足を止めた。
ラインハルトと吉田は先に行ったようで、テレーゼには少しだけ待ってもらうようお願いして、彼に向き直る。
「ありがとう。その、ウェインライトさんのこと、可愛いなと思ってて。良かったら仲良くして欲しいんだ」
「えっ?」
そして告げられた予想もしていなかった言葉に、驚きで心臓が跳ねた。まさかこれも、イベントマジックだろうか。
連日悲惨な目に遭いすぎているせいで、警戒心まみれの私は悪戯か何かではと一瞬疑ってしまったけれど。彼の照れたような表情を見る限り、嘘をついているようには見えない。
何より、レーネは可愛いのだ。Fランクを脱出した今、こうして声をかけられてもおかしくはない。
「その、私で良ければよろしくお願いします」
そして一番に感じたのは、嬉しいという感情だった。
今まで風当たりが強すぎたせいか、こうして仲良くなりたいと好意を向けてもらえるのは純粋に嬉しい。
「本当に? ありがとう。俺、ダレルって言うんだ」
「あ、私はレーネです」
「知ってる」
そう言って笑った彼は、とても良い人そうだった。彼の後ろで「良かったな」なんて言っている男子生徒達を見ていると、なんだか少し恥ずかしいような気持ちになる。
こうして少しずつ交友関係を広げていけたらいいなと思っているとダレルくんは「あの」と続けた。
「良かったら、午後の代表リレーも応援して欲しいな」
「うん。頑張ってね」
「ありがとう、すごく頑張れそうだ」
嬉しそうに笑う彼を見ていると、こちらまで嬉しくなってくる。やがて彼と別れるとテレーゼに「待たせてごめんね」と謝り、私たちは再びグラウンドへと歩き出した。
「び、びっくりした……」
「レーネは可愛いもの。これからきっと、増えると思うわ」
動揺している私を見て、テレーゼは微笑んだ。
「ずっと恋がしたい、って言っていたものね」
「うん。まずは友達を増やしたいなと思って」
「でも顔の良い男性なら、既に周りに沢山いるじゃない」
「それはそうなんだけど……」
兄や距離感バグのアーノルドさんを抜いても、確かに今の私の周りにはイケメンがいるけれど。
攻略対象らしき人を好きになるのだけは、絶対に避けたかった。嫌だというより、怖いのかもしれない。
万一両思いになったところで、相手からの好意がシステムによるものだときっと疑ってしまうからだ。だからこそ、ノーマルエンドあたりでゲーム本編を終わらせて、モブキャラと恋に落ちたいと思っている。
「応援してるわ。話、聞かせてね」
「ありがとう、もちろん」
とは言え、自分が誰かを好きになるなんてことは正直、さっぱり想像もつかなくて。
──恋をしてみたいと言いつつも、苦しくなるくらい誰かを恋しく思う日が来るなんて来ないような気がする。
この時の私は、心のどこかでそう思っていた。
◇◇◇
代表リレーは学年ごとに行われ、まずは一年生からだ。
私はユッテちゃんと共に、最前列で見守っていた。今のところ我がクラスは学年二位らしく、クラスメイト達もかなり気合が入っているようだった。
声援を送りながらヴィリーやテレーゼの華麗な走りを見届けていると、ふと先程の黒髪の彼が走り出すのが見えた。
「あの人にね、さっき友達になりたいって言われたの」
「えっ、普通にかっこいいね。いいなあ」
ダレルくんはかなり足が早いようで、何人も抜いていき大活躍していた。イベントマジック効果のせいか、先ほどよりも格好良く見えてしまう。
私達のクラスは一位でゴールし、歓声が上がる。
それからは二年生の代表リレーが始まり、ユリウスの番が来るとユッテちゃんは「きゃー!」と黄色い声を上げた。
「本っ当にレーネちゃんのお兄様、かっこいいよね!」
「そうだね」
「あのレベルなら、兄妹でも好きになっちゃいそう」
「いやいや」
兄妹になったばかりとは言え、私も倫理観というものは持ち合わせている。そうして観戦を続けていると「レーネちゃん」と声をかけられ、振り返った先にはダレルくんがいた。
キラキラと輝く汗が眩しい。どうやらリレーが終わってすぐに、私の元へやって来てくれたようだった。
「俺のこと、見ててくれた?」
「うん! すごく足が速くて驚いちゃった、お疲れ様」
「ありがとう。良かったら、少し歩かない?」
私の出番までは、まだ時間があるけれど。どうしようかと思っていると、ユッテちゃんに「行っておいでよ」と背中を押され、お誘いを受けることにした。
軽い自己紹介や他愛無い話をしながら、歩いて行く。彼は年齢より見た目も性格も大人びていて、とても話しやすい。
「レーネちゃんといると、なんだか落ち着くんだ」
「落ち着く……」
実は私も彼を一目見た時から、同じことを思っていた。
そしてふと、気が付いてしまった。やけに彼に親近感を覚えるのは、彼が黒髪黒目だからということに。
カラフルな髪色や瞳の色が溢れている世界で、日本人のような容姿の彼を見ていると、なんだかほっとするのだ。
「実は私も、ダレルくんを見てると落ち着、」
「レーネ」
そんな中、私の声を遮るようにして名前を呼ばれて。ぐいと私の身体を引き寄せたのは、なんとユリウスだった。
「何してんの?」
「ど、どうしてここに……」
「お前が男と何処かに行くのが見えたから、来たんだけど」
そんなことを堂々と言ってはシスコンだと思われてしまうだろうに、兄は一体何を考えているのだろうか。
「彼、どちら様?」
「隣のクラスのダレルくん。あ、こちらは兄です」
「初めまして」
「どうも」
そうユリウスに紹介したところ、お兄さんとの邪魔をしては悪いからと言って、彼はグラウンドへと戻って行った。
なんだか気を遣わせてしまって申し訳ないと思いつつ、その背中を見送っていると、不意に兄によって顎を掴まれた。アイスブルーの瞳と、至近距離で視線が絡む。
「で、なんで二人でこんな所に居たのかな」
「ダレルくん、私と仲良くなりたいらしくて」
「へえ。それで?」
「それでお話を、していたんですけど、も……」
彼の纏う空気が、やけにピリピリとしている気がする。何故、責められているような雰囲気になっているのだろうか。
「なんで?」
「なんでって……普通に仲良くなろうと思って」
「お前さ、下心のある人間と友達になれると思ってんの?」
小馬鹿にしたようにそう言った兄は、笑顔を浮かべてはいるものの、どう見たって怒っているようにしか見えない。
だからこそ「なんで怒ってるの?」と尋ねると、ユリウスは瞳を見開き、不思議そうな表情を浮かべた。
「俺、怒ってる?」
「うん」
「……そうかな? 本当はこれくらい、今は許してあげるつもりだったのに。おかしいな」
兄の言っている意味が、さっぱり分からない。そして本人もまた、分かっていないようだった。こちらが聞きたい。
やがて、いつの間にか壁際まで追い詰められていた私の顔の横に、ユリウスは手をついた。鼻先が触れ合いそうなくらいの距離まで、その美しい顔が近付いてくる。
訳がわからなすぎるこの状況に、私はただ彼のアイスブルーの瞳を見つめ返すことしかできない。謎の重苦しい沈黙が続き、先に口を開いたのは兄の方だった。
「ごめんね、怒ってるみたいだ」